在宅看護研究センターLLPは、35年前出会った作家・遠藤周作氏の一言「ボランティアでは無理。これからはもっと必要になる」この後押しがあったから・・。今年、遠藤ボランティアグループが結成35周年を迎えられました。遠藤周作氏の提唱『心あたたかな医療(病院)』運動の一端を継承した病院ボランティアの活動は、今も続けられています。

在宅看護研究センターの歩み 在宅看護研究センターLLPの全体像「llp.pdf」をダウンロード 訪問看護ステーション・出生秘話 

2016年6月10日より、『日経メディカル』オンライン版で、メッセンジャーナースによるリレーコラム「患者と医療者のギャップ考」が始まりました。 

在宅看護研究センターは、198326から3年1ヶ月、日赤医療センター看護師有志11人で始めた訪問看護のボランティアチーム「在宅ケア保障会」が残した「心」と十数万円を引き継いで発展してきました。140920_121638_3今は亡き作家・遠藤周作氏「ボランティアでは無理。これからはもっと必要になる」の後押しを受け、訪問看護制度がない時代の1986324、赤十字出身の看護師2.5人で創設。1992には研究事業部門を任意組織とし、収益事業部門として「日本在宅看護システム社」を設立。1995年には「看護コンサルタント社」を設立。 1999年、民間でも可能になった制度枠の訪問看護を担うべく、それまで実施してきた自費の在宅看護事業に加えて、「在宅看護研究センター付属訪問看護ステーション」を設置。20069には新会社法を導入、「在宅看護研究センターLLP」を設立。 

丸30年を迎えた在宅看護研究センターは、改めてその出会いに感謝し、遠藤ボランティアの顧問として、未だ、熱いメッセージを送り続けている原山建郎さんのご許可を頂き、原山建郎のコラム欄を設けて、遠藤ボランティア『語り部通信「からだ」番記者レポートを連載。Photo_6

 

【お知らせ】

メッセンジャーナース不在の県は、青森、宮城、長野、石川、福井、山梨、滋賀、三重、奈良、和歌山、香川、徳島です。あなたもメッセンジャーナースに! 2名の方の推薦で、S認定も全国連携プロジェクトを構築中 

 

「て・あーて東松島の家」では、一緒に活動して下さるボランティアスタッフ募集中です! お問い合わせは、

「て・あーて 東松島の家」:TELFAX:0225-90-4485 または、

「一般社団法人日本て・あーて,TEARTE, 推進協会」TEL03-Mn_a4_tth1_010528

5813-7395 FAX03-5813-7396     

「看護実践の科学 9月号」(看護の科学社) [特集]メッセンジャーナースが伝える看護師の主体性

中央公論9月号(8月10日発売) 特集:対談「父・永六輔は家族に囲まれて旅立ちました」

 43回フローレンス・ナイチンゲール記章受章を機に出版された村松静子の『心と絆といのち-私の看護実践論』(看護の科学社) 「自分の家で死にたい 死に逝く人、看取る人の幸せな終末期の考え方」(海竜社)

<関連記事>人でも多くの人が自宅で最善のケアを受けるために    http://www.csr-magazine.com/archives/repo_d/rep08_03.html

が在宅看護を阻むのか・・看護は何のためにあるのか」特集「今求められるコミュニケーションスキル」(看護の科学社 9月号 VOL39 NO.10) 婦人公論平成27年1月22日号「ルポルタージュ 時代を創る女たち 村松静子 ~開業ナースは心を聴く」 → 「20150122.pdf」をダウンロード

『開業ナースのエッセンス「暮らし」に伴走する看護のすすめ』(こころの科学:日本評論社)

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2017年10月 3日 (火)

日経メディカル・メッセンジャーナースによるリレーコラム:10月3日「看護師さんに看取ってほしいのです」 (村松静子・東京)オンエア!11月1日「 自宅に帰りたい、でも家族に負担がかかる……家族の思いを引き出せないまま退院に、病棟看護師が自問自答」(田口かよ子・兵庫) 

全国のメッセンジャーナースによるリレーコラムは、昨年6月から月1回、時に2回のペースでバトンが渡されています。

10月:看護師さんに看取ってほしいのです(村松静子・東京)詳細は☞ こちら から

11月: 自宅に帰りたい、でも家族に負担がかかる…… 

家族の思いを引き出せないまま退院に、病棟看護師が自問自答(田口かよ子・兵庫)

★~~~~~~~~~~~~~~~~~~~★・・・現在、連載中

 

9月:往診医に連絡が取れず、このままでは検死に(仲野佳代子・東京)  

 

8月:①癌の母を自宅で看取った娘の後悔  私の一存で「もうここまで」と決めたけど…(前田真由美・長崎)

 

 ②自分の家で、この子を抱きしめて川の字で寝たい(渡邉八重子・愛媛) 

 

7月:過剰な薬の投与で自分らしさを失っていた患者(村中知栄子・熊本) 

【リレーコラムを読むには】

1.日経メディカル連載「患者と医師の認識ギャップ考」  ☜ クリック!

2.一覧表の読みたいコラムをクリック!

3.ログインする(全文を読みたい場合は、「ログインして全文を読む」をクリック!)

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経験を語り合って、大いに学び合いましょう。

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2017年9月24日 (日)

コラム「医師として、武士として」  Vol.87 「紳士」     安藤 武士 Andou takeshi

1941年、新潟県生まれ。1967年、新潟大学医学部卒業後、医師登録と同時に外科研修を開始。72年、呼吸器・心臓血管外科を専攻後、80年より、心臓血管外科部長として日本赤十字社医療センターに勤務。87年より職域病院部長、2001年より職域診療所所長、2010年より佐野市民病院健康管理センター所長、そして 現在は、医療法人社団東華会・介護老人保健施設たかつ施設長として活躍。労働衛生コンサルタント・スポーツドクター(日体協)・健康スポーツドクター(日医)・認定産業医(日医)の資格を持ち、これらの5つの顔を絶妙な味で使いわける医学博士である。身体の大きさと、豪快な笑い・笑顔には、その人柄と存在感をより強くアピールする何ものかが潜んでいる。やはり'武士'にして"武士"ここにあり。

Vol.87 2017.9.24 「紳士」 

「紳士」でありたいと思う男性は小生だけではないと思う。「紳士」でありたいと思っているからには、現在、自身は今だ「紳士」非ざると思っていることになる。

日本語の「紳士」は「縉紳の士」に由来するという。「縉紳」は、束帯を挿んだ高い官位を有する人物をさしており、江戸時代から用いられているという。

英語では”gentleman”と訳されていることはご存知と思う。明治の初期に英国で学んだ夏目漱石らが、英国で“gentleman”と呼ばれている人の立ち振る舞いが、江戸時代から用いられている「縉紳の士」にあたるとしたーと、ネット辞書に記されている。「縉紳」が「紳士」と記されることになった由来はわからなかった。

日常会話においては、礼儀マナーに長けているものを表現する際に紳士的と言うことがある。また、マナーに厳しく、教養があり経済的にも裕福な年配の男性というイメージを持たれることが多いと記されている。

小生はそれに憧れを持っていた。過去形であるからには、努力しても無理である条件があることによる。「紳士」になろうとしている努力の一端を記す。ドアが閉まりかけているエレベターに乗るため小走りし、エレベターに飛び込まない。チョット急げば入り込めたかもしれないが、入りこめなかったことを想定し閉まりかけているドアの前で悠然としている。歩道でも同じである。交差点で青信号が赤信号に代わるとき青信号が点滅するが、走れば間に合うのにあえて走らず「紳士」然とし次の青信号まで数分待つ。心の内では無念と思っていることが多いが、これが、「紳士」の基本の姿であるとし納得させている。電車、地下鉄もそうである。“きょろきょろ”と空席探しをしない。

過日、学会で名古屋詣でをした。何時も目的地に行く時は、座席指定券を購入し計画どおり目的地に着くようにしている。帰りは利用する新幹線の時間で行動を縛られないよう自由席券を購入しておく。過日の学会でも同じようにした。久しぶりに会う友人と学会終了後、時間の許す限り会食しながしら時間を過ごした。積る話をしているうちに、21時過ぎになったのでお開きとした。名古屋駅のホームに着くと、上りの「のぞみ」の発車ベルが鳴っていた。走れば間に合うが、「紳士」の条件に合わせ悠然と「のぞみ」を見送った。さて、次の新幹線は何時だろうと思い時刻表をみると、22時14分、「こだま」、静岡駅行となっている。見送った「のぞみ」が、上りの終電であった。

今更、じたばたしても仕方がないと思い「ホテル」を探した。土曜日とあって名古屋駅周辺の「ビジネスホテル」はどこも満室。「超高級ホテル」に泊まる羽目になった。

僅かな差で無駄な出費をしたことになるが、「紳士然」としたことに満足している。(完)

 

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2017年9月20日 (水)

在宅看護研究センターLLP代表の村松静子は、日本赤十字九州国際看護大学大学院に、この4月開設された在宅籠専門看護師コースを後押し。その最初のクラスが10月31日の在宅看護学特論Ⅴ「看護職が地域で事業を立ち上げることは」です。

在宅医療に関するケアとキュアの統合を学ぶことを目的とした「在宅看護学特論Ⅴ」、今回は開業ナースからメッセンジャーナースへ その深い関係とはのサブタイトルで、訪問看護事業所等の開設、効率的な管理・運営および経営戦略について探究していきます。

講義日時:平成291031日(火)  34時限目(13:10-14:40,14:50-16:20) 

対象者 :大学院1年生  聴講生・若干可

講  師 :村松静子 

担当教員:教授、小林裕美&乗越千枝

連絡先 :日本赤十字九州国際看護大学 学務課教務係

      Tel 0940-35-7007

 

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2017年9月11日 (月)

【メッセンジャーナースの会第6回総会のご案内】10月28日、大阪で開催です。総会後の午後は、「市民講座」を通して市民の皆さんとの交流です。お会いできるのを楽しみに!

2017_000001_2市民講座の詳細は☞ 「17.10.28.pdf」をダウンロード

今回は6回目の総会となります。総会後、午後の時間を使い「市民講座」を通して市民との交流を図 り、高齢化社会を自分らしく生ききるための知恵を語り合う会及び提言や講演を通し、研鑽の機会とな ればと願っております。ご多忙と存じますが、多くの皆様の総会参加をお待ちいたします。

1.日時:平成29年10月28日(土)10:30~12:00 2.会場:TKP 新大阪カンファレンスセンター6 階 カンファレンスルーム 6B    大阪市淀川区宮原4丁目1-4 KDX 新大阪ビル 6階  3.会費:3000円

4.出席連絡:10月 4日 迄  *1 週間前まで追加可能です。    連絡先:南 孝美 E-mail:takami-minami@laugh-sensyu.org  にお知らせください。 欠席される方は、お手数ですが、下記委任状を事務局住所に郵送してください。

5.市民講座 13:30~17:00

17:30より懇親会(会費:5000円)を計画しています。  * 宿泊を希望の方は、南(090-5132-4970 又はメ-ル)までお知らせください。

委任状等、詳細は☞ 「ANNAI.pdf」をダウンロード

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2017年9月 8日 (金)

2011年から2年間、福島に設置したセカンドハウスよりどころ「ここさ こらんしょ」に、一番に駆け付け、何もない中3週間泊まって繋いだ熊本のメッセンジャーナースに、その時出会った近所の鈴木さんからお手紙と川柳が届きました。正に、「心と絆といのち」です。

福島の鈴木さんから、有り難いお手紙、芸術作品と魂からのメッセージを頂きました。

短い間の一時の幸せ…の言葉に申し訳ないきもちもあります。

退職し落ち着いたら、福島・成川に行きたい…と思って頂けに…『為知栄子』の川柳は心に沁みます。

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出会いから生まれる心の報酬はわが人生の財産と改めて実感し、感謝の言葉以外の言葉が見つかりません。同志に私の喜びを共感して頂きたいなんて…我儘を聞いてください。

鈴木さんの作品がNHKで放送されようです。 嬉しいことです。

 

目標や希望は、生きる力になります。

 

私は、この便りで言葉に言い尽くせないほどの勇気を頂きました。

自分なりに一人の人間として、メッセンジャーナースとして人々と向き合う手立てを前向きに考えて行こうと思います。(村中知栄子)

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2017年8月22日 (火)

コラム「医師として、武士として」 Vol.86 「“呑んべい”の言い訳」(2)     安藤 武士 Andou takeshi

1941年、新潟県生まれ。1967年、新潟大学医学部卒業後、医師登録と同時に外科研修を開始。72年、呼吸器・心臓血管外科を専攻後、80年より、心臓血管外科部長として日本赤十字社医療センターに勤務。87年より職域病院部長、2001年より職域診療所所長、2010年より佐野市民病院健康管理センター所長、その後、医療法人社団東華会・介護老人保健施設たかつ施設長として活躍。労働衛生コンサルタント・スポーツドクター(日体協)・健康スポーツドクター(日医)・認定産業医(日医)の資格を持ち、これらの5つの顔を絶妙な味で使いわける医学博士である。身体の大きさと、豪快な笑い・笑顔には、その人柄と存在感をより強くアピールする何ものかが潜んでいる。やはり'武士'にして"武士"ここにあり。

Vol.86 2017.8.17 「“呑んべい”の言い訳」(2)

           「“呑んべい”の言い訳」(1)こちら

「呑んべい」は、なんやか言い訳を考えながら飲む。自分自身を納得させる言い訳をしないで呑む人は、本物の「呑んべい」ではない。このコラムでは、それを「呑んべい」の定義とする。

朝、今日は止めておこうかと思っても、一仕事を終え帰宅する際、何かと理由を付けて、今日は、まあいいかと仲間と居酒屋に繰り込む。大抵、今日は飲まないと決めていたがと、仲間のせいにする。すでに「依存症」に近くなっている。飲む量の多寡でないでなない。毎日、晩酌をする人は、大半は「依存症」か「依存症」候補者である。

「キッチンドランカー」という言葉を御存知と思う。それが常態化すると「依存症」になる確率が高くなる。他人に迷惑を懸けないうちは、個人の問題として片付けられる。明らかにそれが原因で人様に迷惑をかけると「アル中」と言われる。「アル中」は、今は医学用語として用いられてないが、「依存症」と言われても「そうかな」と思うだけであるが、「アル中」と言われると、むきになって否定する。

「依存症」の医学の定義は、ある物事に依存し、それがないと身体的・精神的な平常を保てなくなる状態を指すとされる。アルコール依存症のような物質に対するものと、ギャンブル依存症、インターネット依存症のような行為に対するも、人間関係に対するものがある。 医学書を見ると、幾つかの「依存症」の病名が記載されている。

「ワークホーリック」という言葉がある。これも「依存症」であると思っているが、医学書には載っていない。現在の社会では、仕事第一の人が愛でられる風土なので、「仕事依存症」は、好ましく受け止められることが多い。しかし、自分の一生、家庭にとっては「害」となることもある。定年を迎え、さて、これからの人生をどのように送るか、仕事一筋だけの人生を悔やむ。趣味を持っていればと。家庭は、「呑んべい」と別な世界を送っている。ご近所さんの話、スーパーの話、新聞のチラシ広告、宅配便の話、クリーニング屋さんの話など、「呑んべい」は全く入り込めない話ばかりである。

帰宅しても家庭の話題に入り込めず、晩酌をし風呂に入り寝るといった人生もまた「依存症」候補である。晩酌の初めの一杯が緊張した気分を解す。これが、家庭に帰ると自動的にできるシステムになっているとその習慣に頼る。長年、続くと「依存症」になる。

小生は、健康面談を受けることが多い。中年の人で毎日、飲酒する人に、午前中はかったるそうにしているが、午後になるとバリバリ活動する人、言い訳をし「呑む人」、過度に晩酌をする人は要注意である。

先日、明らかに依存症と思われる人と面談した。今日は、止めておこうと思っても帰宅するとすでに酒肴が並んでいるので、やむを得ず「一杯」と、言い訳をした。「呑んべい」は呑むことに対し、少なからず罪悪感を持っていることが多い。呑まざるを得なかったと自分に言いきかさているのである。

小生は、アルコールは嗜むが「呑んべい」ではない、「依存症」になっていないと思っている。2・3週間ほど、アルコールを遠ざけても精神活動はかわらない。「依存症」でないことを確認するために禁酒をしたのである。確認はできた。

さあ、今日は何を「酒肴」に一杯、やるかな。(完)

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2017年8月17日 (木)

コラム「医師として、武士として」 Vol.85 「冷やしそうめん」と「カレーライス」     安藤 武士 Andou takeshi

1941年、新潟県生まれ。1967年、新潟大学医学部卒業後、医師登録と同時に外科研修を開始。72年、呼吸器・心臓血管外科を専攻後、80年より、心臓血管外科部長として日本赤十字社医療センターに勤務。87年より職域病院部長、2001年より職域診療所所長、2010年より佐野市民病院健康管理センター所長、そして 現在は、医療法人社団東華会・介護老人保健施設たかつ施設長として活躍。労働衛生コンサルタント・スポーツドクター(日体協)・健康スポーツドクター(日医)・認定産業医(日医)の資格を持ち、これらの5つの顔を絶妙な味で使いわける医学博士である。身体の大きさと、豪快な笑い・笑顔には、その人柄と存在感をより強くアピールする何ものかが潜んでいる。やはり'武士'にして"武士"ここにあり。

Vol.85 2017.7.18 「冷やしそうめん」と「カレーライス」 

小生の若いころ、特異な性格を有する友人が発した言葉と人生を紹介する。共に大学にいた頃の友人である。医師である友人は型にはまらない性格であるが、医療も研究も極めて真剣に取り組んでいた。当時、当たり前に行われている診療に対しても斜に構え評価し自分が納得した、また、自分が考えた医療を行っていた。しかし、所謂「リピーター医師」ではなかった。彼の母親は、シングルマザーで「クリニック」を経営し一人っ子の彼を育てた。彼は「育てられたのではなく、育った」という。幼少時から、何時も一人で行動していたようである。女医に対しては、「女医は女ではない」と厳しい見方をしていた。 

その彼は、自由奔放な生活を送っている一方、寂しがり屋でもあった。少ない友と心を許しあうまでになると、急によそよそしくなる。いつぞや、「自由と孤独」、「幸福と束縛」が僕の人生観と小生に言った。幸福そうな家庭は、家族の誰かが潜在的に「自由」でありたいと思う気持ちを抑えているから成たっているという。かねがね、だから家庭を持つ積りはないと言っていた。以来、今日まで小生の頭の隅に彼が発した「フレーズ」は住みついている。その言葉は、両極端であるが説明しなくとも充分理解されると思う。彼は、何時も何かからも「自由」でありたいと思い生活を送っていた。 

その彼から、30歳の半ば「結婚」したという知らせが届いた。あんなに、「自由」であることを、「誰からも束縛されない人生を送る」ことを望んでいたはずなのに、と驚いた。彼は二人の子供を持ち「幸福な家庭生活」を送っていたと聞く。その後、自宅から離れた片田舎に「クリニック」を開いた。彼は、「クリニック」に寝泊まりし週に1度、帰宅するというという家庭から離れた生活を続けた。 

その特異の性格と医療に対する熱心さが地域住民から受け入れられ「赤ひげ先生」になった。彼が望んでいた自分の生活を取り戻したのである。彼の心の束縛から解放されたのである。しかし、自由になった交換に一人で生活する孤独な生活を送ることになった。30余年後、離婚したと風の便りで知った。

 

前置きが長くなった。彼の望んでいた「自由」を取り戻した人生を、若干、ためらいつつ人生の終末期に入った小生の感想を記す。「自由と孤独」、「幸福と束縛」。人生を両極端の言葉で括ると、人生は正に「ギャンブル」である。そうならない為には、「適当な自由」、「適当な幸福」を望むことが必要と思われる。それも、また難しい。 

 そとは暑い。夕食は「冷やしそうめん」でもと思っていたが、「カレーライス」であった。“美味しかったよ。ご馳走さま”と言ってお風呂に入り床についた。あと何年、続くのかな。(完)

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2017年7月31日 (月)

コラム「医師として、武士として」 Vol.84 ねこの挨拶     安藤 武士 Andou takeshi

Vol.84 2017.5.5 ねこの挨拶

毎週、日曜日、夕飯を楽しみながらTVの“さざえさん”を見ている。1969年10月5日から続いているとのことで、日本一の長寿番組であろう。

いつ放映されたかわからないが、磯野家の庭に毎日遊びに来る野良ネコが、姿勢正しく両前脚をそろえ、きちっとした佇で、サザエさんに、“にゃーん”と一声なきしどこかに去った。それ以後、野良は姿を見せなくなった。数日後、さざえさんが、“どこにいったのかしら、”お別かれの挨拶“にきたのかしら”というという場面があった。

小生宅のことである。現在の住まいに居を構え四半世紀になる。小生宅前の6m幅の道に、10数匹の野良ネコがうろうろしていた。“野良ネコ通り”とも言われていた。

家人が世話をし始めた。朝夕、餌をやり、野良が餌を食べていう間、40メートルほどの間のトイレの始末、ご近所さんの玄関先を掃除するのが日課になった。数年も続くと、当初、冷やかだったご近所さんの家人に対する視線も変わった。ご近所さんと、挨拶だけでなく立話をするようになった。

野良は大抵、母親とその子と思われる一組で餌を食べに来る。当初は、スーパーで買ったお刺身のトレイなどを利用していたが、風で飛ばされるので瀬戸物になった。許されるかどうかは別にして、家人に手なずいたところで避妊手術を受けさせていた。自治体から補助が出るが、かなりの負担になったらしい。すべての野良に名をつけていた。マメ、クロ、ゾウキン、ゴン、タナ、チビ・・・、などである。ネコ仲間のご近所さんと、「クロが弱ってきた、食事もしないのでもうすぐお迎えが来るのではないか」など立ち話をすることが多くなった。数年前からは、玄関先に“ノラハウス”を置き弱ったノラを住まわせた。

2年前、クロがなくなりチビだけになった。冬になるとホカロンを1、2枚入れ、食事もルームサービスするようになった。エサは缶詰であったり、カリカリ(固形食品)であったり、贅沢させていた。チビは日中は、日向ぼっこ、夕は、エサを食べ終わると“ハウス”にもぐり込んだ。チビは冷たい水はのまず白湯だけを飲んだ。家人は、時間が来ると水差しとお湯の入ったポット、缶詰め、カリカリの食事セットを持って世話をした。

今年の冬、チビは“ハウス“から出てくる回数も減り、食欲もなくなりそろそろお迎えが来るような状態になった。好天の時は、お向いさんの駐車場で日中を過ごし夕刻になる”ハウス“に戻る生活になった。白湯以外、なにも口にしない状態が3週間ほど続いた。“ハウス”でお漏らしをするようになった。紙おむつを敷き快適な環境にした。

ある雨の降る早朝、玄関先で通行人の声がした。家人が出てみると、通行人の傘の下に、精一杯の力で姿勢をただし痩せこけた雨に濡れたチビがいた。家人は、すぐに食事セットを取りに行こうとしたら、チビは、“ニャー”と一鳴きし“ハウス”に戻った。通行人に礼を言った。日中、“ハウス”を覗くと息をしているチビがうずくまっていた。翌朝、チビは息を引き取った。

 小生も、“ハウス”を覗き死亡を確認した。玄関先の花を摘んでハウスに入れた。地元の保健所に連絡し遺体を引きとってもらった。ご近所さんも、亡骸の入った段ボールに花を入れ冥福を祈ってお別れをした。

 家人は、一日も欠かさず、朝夕、野良の世話を四半世紀続けた。その間、泊りがけ旅行は一度も出来なかった。小生との泊りがけの旅行は、無論、無かった。

家人は、一日、数時間の野良の世話がなくなったので、ホットしている。「でも、寂しいは。」と言っている。玄関先に、チビの写真付きの「訃報」の知らせと、お世話になった礼を記したチラシが掲示されている。享年18歳であった(ヒトでは88歳)。 

 間もなく、小生の場合も世話がなくなってホットすることであろう。「でも、寂しいは。」という言葉が出てくるかどうかは、小生は確認できない。(完)

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2017年7月30日 (日)

中下大樹さんの早稲田大学中野校舎・社会人講座「「人生の最期」を考える」の一般申し込みがスタートしました↓2017年8/2、8/23、9/6、(水曜日)19:00-20:30の3回です。

この講座は、毎年15人前後の受講生の方々に限定していただいております。教室も「コ」の字に席替えして頂き、お互いの顔を見れる感じにして、「ゼミ」形式で語り合うことを目的にしています。

普段なかなか語り合うことのできない「死」というテーマを、医療や看護の視点のみならず、葬儀やお墓、被災地の現状なども踏まえつつ、出来るだけ皆さんが、ご自身や家族の「死」について、気楽に語り合うことが出来たらいいなという思いでやっております。(中下)

https://www.wuext.waseda.jp/course/detail/39559/

 

私も、中下さんはじめ出席される皆さんのお話を耳にしたい・・是非、行かせていただきます(村松)

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