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2012年12月29日 (土)

「自分の家で死にたい」 「死」の体験が無い家族に対するケアもなく、ネットで臨終を調べた夜の悲しかったこと・・・良い在宅医を地域で探す困難さを痛感しています。

村松静子様

書店で見つけ、一気に読み終えたところです。今年、1月末在宅で肺癌の父(かぞえ100才)を看取りました。

1冊の中に・・・「そうそう、そうなのよね!」と同感することの多いこと、「そうか、そうだったのね!」と無知を悔やむこと、読み応えがありました。

看板だけの24時間診療を掲げ、旋風のような数分の往診で診療報酬を加算・請求し、いざ、容態が急変したときには、「深夜の往診はしない」と断る医療機関は、もうこりごりです。

「死」の体験が無い家族に対するケアもなく、ネットで臨終を調べた夜の悲しかったこと・・・良い在宅医を地域で探す困難さを痛感しています。

父と同じように在宅での最期を望む母(90歳)の願いを叶えるべく準備をしたいと考えています。(K・K)

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2012年12月28日 (金)

「看護の宅配」を閉めることに・・・「理想の看護」の追求は変わりません。

今年もあと数日で終わりますね。

そして私事ですが…今年いっぱいで15年続けた「看護の宅配」を閉めることにしました。開業ナースに憧れ、理想の看護を追求したいと立ち上げましたが、時代は流れケアマネジャーとして動くことだけになり、本来の看護が出来ないことに対してのジレンマを抱えていました。

これまでの活動中、メッセンジャーナース協会、LLPの皆様をはじめ、多くの皆様にご支援いただきありがとうございました。これからさき定年までの8年は、地元の小さな有床クリニックで「理想の看護」の追求をしてまいります。そしていつの日にか、メッセンジャーナース協会と協働できることを夢に、力一杯頑張ってまいります。

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2012年12月26日 (水)

『自分の家で死にたい』 本人の「努力」が不可欠、「まったくその通りだろうな」と思いました。

ご著書の「自分の家で死にたい」を拝読させていただきました。

現場での事例が多くて、非常に説得力がありました。特に、在宅での終末期を希望するならば、家族やかかりつけ医も重要だが、まずは本人の「努力」が不可欠、という内容には、「まったくその通りだろうな」と思いました。

どうしたって、周りに任せていたら、ずるずる流されてしまうものですし、家族は、家族であるが故に「なにもしないで死なせてあげる」ということには大きな抵抗を感じるはずです。まして、苦しい姿を見たら、パニックになるのも当然かもしれません。そして、救急車、延命措置という流れになるのでしょう。

長年、仕事をしていたパワフルな女性は、「死について考えることは、生について考えること」といった私の感覚に共感してくださり、やりとりが続いております。彼女は、1人暮らしですが、家の玄関に「私が倒れているのを見つけても救急車は絶対に呼ばないで」と大暑したボードを掲げています。「いざとなったときに、救急車を呼ばれて望まない過剰な延命措置を施されるのは困りますからね。でも、このぐらいのことをしておかないと、ダメなんですよ」と笑っておられました。

在宅死の誘導ではないものの、自分の終末期の希望を考え、家族と事前に話しておくことは、とても意味のあることだと体験から思っております。

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2012年12月23日 (日)

『一般社団法人よりどころ』で会員募集

『一般社団法人よりどころ』のホームページは ⇒ こちら

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「こらんしょ便り」  少し早いクリスマスケーキに話が弾んで・・本来の生活スタイルへまた一歩近づいた。

1222日 こらんしょは、夕方から夜中にかけて地震のように突風が吹きましたが、今日は風がなく穏やかな日差しにホッコリした朝を迎えました。少し早いクリスマスケーキで楽しみました。石田お父さんは、「ケーキをおいしいですか?」と尋ねると首を横に振り、「甘ぐね」と話す。しかし、凄い勢いで  ごっくん ごっくんと飲み込んでくれました。201212230911001  201212221843000_7

先日、長男さんが石田お父さんに「さむぐねーかい」と声かけたら、「さむぐねぇ」と返事を返されたそうです。先週よりもまして、耳も良く聞こえ、反応する表情や動きが早くなっていて驚きました。

凄いパワーを感じます。

1月26日から129日は、34日でショートスティです。本来の生活スタイルへまた一歩近づいていく様子と、石田母さんも思いにも迷いがなく自分自身の歯科受診を予約されていましたので一安心しています。

近頃また地震あります。石田母さん、玄関にはヘルメットと非常用袋 準OKです。年末年始、地震なく穏やかに過ごさせて下さいと願いながらこらんしょを後にしました。

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2012年12月22日 (土)

「自分の家で死にたい」  多くの方に是非読んで知ってほしいです。看護の力を!

ご著書拝読し深く感銘を受けました。あらためて看護は人との出会いからはじまる。出会い・つながり・見送る…それはその人だけの人生の閉じ方であるということ。当たり前のことですが,1人ひとりの生き方が違うように最期も違う。その人に合った人生の幕をどう降ろすか,簡単ではないことも知りました。

そして「自分らしい死に方に必要な看護の力」と述べておられますが,拝読しながら描かれている場面場面でそのことを実感しましたし,著者の「生への思いと死への感慨」の言葉も胸にずしりと沁みました。多くの方に是非読んで知ってほしいです。

年末にすばらしい本と出会えたこと,感謝しております。

看護の力を!

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2012年12月21日 (金)

新しく修復された東京駅の赤レンガがスクリーン代わりで綺麗でした。

昨日残念だったのがライトが消えてしまった東京タワー、悔しいので東京駅で今日から始まった東京ミチテラスに行って来ました。このイベント、28日迄で、新しく修復された東京駅の赤レンガがスクリーン代わりで綺麗でした。Sn3v0370 Mini_121221_19410001

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2012年12月18日 (火)

ご著書『自分の家で死にたい』を拝読・・・・3月23日に福島の「こらんしょ」にお邪魔させていただきます。

ご著書『自分の家で死にたい』を拝読いたしました。私たち看護師が終末期病棟で患者さんを看取っていたのと同じように、在宅でも、その人らしい最期を過ごすことができることに感銘を受けました。また、一人で自宅で最期を迎えるのも悪くないというケースに励まされました。

いかに自分らしく生きていくか。日々をどのように過ごしたいか。楽しみたいか。私自身も、あと数年したら・・・、まんざら悪くはないなという希望にもなりました。

看護師としては、いかに人々に寄り添うか。そのためには、何をすればよいか。1ページ1ページに、自分の姿を映して考えることができました。ありがとうございました。

323日に福島の「こらんしょ」にお邪魔させていただきます。先生をはじめ、皆様にお会いできることを楽しみにしております。 

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2012年12月16日 (日)

「こらんしょ便り」  温かい福島、久々に出向いた「こらんしょ」では餅つきでした。

 「只今~~」玄関の引き戸を開け入りながら大声高々・・・・ ボランティア仲間が出てきて「ああっ!」 次に「なんだべ~~片岡さん・・・」にんまりの笑顔で久々のお母さんの顔を見て、 『こらんしょにもどってきた!』そんな気持ちになりました。

手を洗い、お父さんのところに。 布団で頭を覆っているような姿勢、眠っているのかな? 耳元で「お・と・う・さん」目をぱっちり開けて、こちらを見ています。 顔色良し、目の輝きあり、反応は良し・・・ デイ通所に通っている効果抜群! お母さんの言葉です。

「餅つきの準備は、米を浸してあるだけで、な~んにもやっていないんだ・・ 朝6時頃かな、父ちゃんのおむつを取り替えて、そのあとまた寝てしまった。はっ!と気がついて、何時だべ? たくさんのもち米が浸してあるボールが、床に。 順次、教えてもらいながらの作業です。お母さんの指令が飛び、「はい!シシャモを使うんですね???」大笑い、『餅にシシャモを入れたら、双葉風のシシャモ餅??』 まあ、笑いが絶えない3人でのやり取り、今は、二人の母もいない私にとって、母に教えてもらいながら料理をしたころが懐かしかった!

途中で大きな地震がありビックリ。でもその後、同志や親戚の方の二人も増え、さらに賑やかになりました。 作ったおもちは、隣近所3件に。・日々の中で、野菜(かぼちゃ・白菜)をいただく、というご近所さんとの関係性がしっかり築かれてきています。親戚の方たちも、初めてではない様子。こうして徐々に石田家本来の生活が取り戻されていっているように、受け留められました。

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2012年12月12日 (水)

「自分の家で死にたい」  思いのこもった貴重な本です。在宅看護従事者の「知識・こころ」を鍛錬しさらに充実させ自己主張しないと「従来型の医療」に飲み込まれてしまう

「自分の家で死にたい」、そろそろ僕も・・・ということでもあり、考え深く読みました。
今日まで山あり谷ありの活動であったと思われますが、日本の医療制度を動かした訳ですので、村松さんのエネルギーに感服しております。

現在、病院での死亡者は80%以上ですが、日々、経験していることを記します。
病院での死亡の多くは療養型病症で見られます。病棟より、医師に「ECGがフラットになった。診断書は作成してある。死亡確認、時間を、サインを、患者家族がまもなく病院に来るのでの、そのとき死亡宣告を」と、見事にステム化されております。所謂、「看取り」なんていうものはありません。死亡者の扱いは見事なといってよいほど、効率的なシステムです。
 村松さんの心がこもった看取り(静的ケア)の世界は微塵も有りません。どこで、どのように死のうとも、高齢者の場合は「90歳。大往生ですね。」でお終りです。「在宅医療」が進めば看取り方が変わるのかもしれませんが。 一方で、医療制度もさることながら、家族が生産性の無くなった高齢者家族に対する思いやりがないことが、医療機関の冷たい態度を許している要因と思っております。

「在宅医療」がより拡大する傾向の中に「在宅看護」も有る訳ですが、今まで力を注いでこられた在宅看護従事者の「知識・こころ」を鍛錬しさらに充実させ自己主張しないと、村松さんが嫌う「従来型の医療」に飲み込まれるのではないかと危惧しております。

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2012年12月11日 (火)

「自分の家で死にたい」  一気に読み終え、皆さんの読後感想とともに、あるシーンが甦ってきました。

病院勤務していたときのこと…その日は深夜勤務、隣の病棟で急変があり救急カートを押して応援に駆けつけたところ、ご家族が今まさに命尽きようとしている患者さんの回りを取り囲み、泣きながら感謝の言葉を発している光景でした。救急カートを押して来たことはむしろ不粋に感じるほど、患者さんとご家族の最期の時間は神々しさに満ちてました。

あのときに感じた思いが、在宅看護へのきっかけだったな…と、再びページを繰りながら思い起こしてます。

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2012年12月 9日 (日)

「こらんしょ便り」  福島は朝から雪(今年3回目?)になっています。

こらんしょ前の畑には白菜かな?がうっすらと雪が積もり、庭先のプランタ-には、春菊や葉物がイキイキとしています。昨日は春菊頂き、香りと味は最高でした。12129_2

石田の母さん、曰く、「寒いと体が動かない」とマイペースに頑張っています。父さんは車椅子で居間でストーブつけ、みんなとテレビ鑑賞しました。寒い所での、暖房の暖かさは、有難く感じます。そろそろこの辺で失礼します。

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「自分の家で死にたい」 自分の人生は一つですが多くの人生にふれあうせて頂いていることに感謝しています。

村松代表だから書くことができた言葉だとおもいました。家につれて帰りたいと願う患者さんに代表はできないことはないといつも答えて、支えてきていましたし、時に厳しいことの選択も一緒に寄り添ってきたのだと思います。だからこそ言えるのだと思いました。

今 ターミナルの方々に訪問しながら本人や家族が迷ったりする場面に立ち会わせてもらっています。以前より少し自分の肩の力が抜けて訪問ができるようになってきているように最近思えています。私がでなく相手の力を引き出すことの意味が少しわかってきたように思っています。まだまだでついつい自分の力で何とかしたいと思ってしまいますが。。。やがていつかは訪れる家族の死や自分自身の死について私は生死の場面にいながら自分のことには向き合えてないなと感じました。日本人だからという部分もあるのかなと思います。私はなんとなく感じるという日本特有の感じは嫌いではありません。言わなくてもわかって欲しいとだからつい私も思ってしまいますので・・。

最後のページの自分の家で最期を迎えたいという意志を強く持てば・・・という文面に再びまた心を打たれました。「自分の家で死にたい」という言葉の奥深くにある本人・家族の重い決心や意志を感じ取り、その思いを受けて寄り添い、時に自分を厳しく客観的なことの判断もしていけるように心がけているだろうかと・・・毎日の訪問に流されていないだろうかと・・その中に楽しさや幸せを感じている本人や家族に出会わせてもらえている自分の幸せを感じられているだろうかと・・・

看護師の仕事がとてもすばらしいとまだまだ言えない自分もいるのですが、自分の人生は一つですが多くの人生にふれあうことをさせてもらえていることはすごく感謝することなのだと感じています。

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2012年12月 8日 (土)

「自分の家で死にたい」 本屋で探してようやく見つけたので、嬉しくて写メールをしたくなりました。

実はずっと品川の本屋で探していてようやく見つけまして嬉しくて写メールをしたくなりしてしまいました。失礼しました。読ませていただきます。何回もサインもいただいていますが、今度サインを下さい。お忙しいのに下らないメールで失礼しました。(Tom

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             まぁ、探してくれたの? 嬉しいなぁ。心を込めて大きな字で書かせて貰いますよ! ありがとう!(村松)

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2012年12月 7日 (金)

「自分の家で死にたい」 最近わが家でも話題になっていて、実現するためには4項目を挙げていますが、先ずは丁寧に拝読してから考えることにしました。

14年前になりますが、義母が「畳の上で死にたい。看取ってほしい」との願いで杖と車椅子経験在宅8年で一度も入院せずに在宅介護で看取りました。家族がそれぞれ役割を果たし、訪問看護にもお世話になりました。大変でしたが、義母にとっては安らかな死だったでしょうか(95歳)。

最期の言葉「老後はお金があれば安泰と思っていたけれど、お金で買えないものがあった。それはその人の心だ」。この言葉を聞いて、今までの苦労や疲れが解消されました。思い出しています。在宅介護の経験が人生の幅や視野を広げました。介護ノート数冊になりました。

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2012年12月 3日 (月)

『自分の家で死にたい』この本は在宅療養の現実が次から次へと出てくる、そう簡単ではないことを実例を通して表現され、その上で選択するなら、の解決策を示している。

先日朝日新聞に掲載された山田太一氏の~励ますだけがドラマか~という内容の記事を読みました。家族のぬくもりを描いたドラマはたくさんあるけれど、家族の本当の姿は明も暗もある、すべてがハッピーエンドとは行かない現実。腫れものに触るような扱いはかえって孤立感を深めるのではないか・・・。

村松代表の『自分の家で死にたい』を読みながらなぜかこの記事のことを思い起こしました。在宅は療養者も家族にとっても素晴らしいものだという、素晴らしさだけが表現されている本や講演、マスコミが多い中、この本は在宅療養の現実が次から次へと出てくる、そう簡単ではないことを実例を通して表現され、その上で選択するなら、の解決策を示している。一般の方にもわかりやすくこれからその時を迎える予備軍にも是非お勧めしたいです。

事例を読んでいくと色々な方のことを思い出し、お顔を思い浮かべながら読み進んで行きました。懐かしくもあり、自分もその時が近づいてきたなと年月を感じました。

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『自分の家で死にたい』 拝読いたしました。

3章から、涙が溢れだし鼻汁をすすりながら、目にいっぱいの涙で活字が見えなくなり、視力もおぼつかないのです。 この年齢になりますと、「本当に困ったもんだ!」です。

村松代表のこれまでの著書一冊一冊は、一人の人間としての視点で、受け留めることが出来た『学びの教本』でした。今回の新刊は、これまでとは違う(一般の読者対象)ジャンルに括られた一冊、書店でもそのようなコーナー・棚に並ぶのではないでしょうか? 一人でも多くの方々の手にとっていただき、読んでほしい。

64歳の女性は、この本をあっという間に読み終えました。『死を迎えるまでの残りの年、自分の生き様を丁寧に演じたい!』 天高く昇っている先人の仲間に入れるために。」

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2012年12月 1日 (土)

研鑽セミナーⅡ「受ける医療 認識のギャップはなぜ起こる?」は、12月8・9日の両日です。

参加を御希望の方はお早目にお電話下さい。℡03-5386-2427(担当:仲野・片岡)

研鑽セミナーⅡ受ける医療 認識のギャップはなぜ起こる?詳細は⇒「sem5-2.pdf」をダウンロード

<研修内容>医療現場は多忙を極め、受診者への対応は形式的になっている。医療を受けるという事は、新たな人間関係の下で治療やケアを受け入れなければならない事でもある。十分理解・納得して治療を受けるためにはどうあるべきか !   「最期のその時まで“認識のズレを正す対話”」が、今、求められている。

1日目:その1: 今、なぜメッセンジャーナースか

                         ~メッセンジャーナースの必要性

その2:現場で起こる認識のギャップ

                    ~インフォームド・コンセントと不納得

2日目:その3:患者・家族のこころの風景

                    ~募るフラストレーションの要因 

           その4:コミュニケーションと信頼

                         ~愛と憎しみ、否定と逃避

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