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2013年6月29日 (土)

正義感とスピード感、切れ味のある発言に村松静子が惹かれる長隆氏のご著書『病院経営改革へーなぜ、わたしは戦い続けるのか』 経営感覚を磨きたいナースにお薦めです 

昨日、1冊の本が届きました。 かの有名なあの方からでした。隆 著『病院経営改革ーなぜ、わたしは戦い続けるのか』 Osa_2 

                                  お薦めの1冊です。

【本書の内容】 第1章 私の医療改革の原点   第2章 公立病院改革に乗り出す   第3章 自治体病院改革のモデルケースに  第4章 地域医療の崩壊を食い止める戦い  第5章 誤れる民活「病院PFI」  第6章 肥大化した巨大組織の弊害  第7章 よりよい地域医療をめざして

崩壊を阻止せよ! 公立病院改革を進めて地域医療を再生させることは日本を救うことに直結する。現状を打破する新しい発想のマネージメントが必要だー。

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2013年6月28日 (金)

今日から、お店『たてまるメンテナンス』、緩め〜にスタートしました。(^∇^)

午前中は、2年前に利用頂いたお客さんの術後のリスクとお産についての相談からはじまりました。新生たてまるメンテナンスの仕事は、鼓動の確認ができた赤ちゃんとそのお母さんから、なんかおめでたい話でスタートしました!
新しい赤ちゃん。来年の春にやって来る赤ちゃん元気にあいたーい!

明日は、常連さんと同僚が来てくださいます。

今日の日を迎えるために、自分もしっかりメンテナンスしました。自分の身体見つめる時間なんですが、なんとも固まってました。かなりの緊張や力みあったんだなぁって感じました。身体が資本で、身体がガチガチになると頭も心もガチガチになる気がするので、また、大事にしながら七月を過ごします。(
たてまるまるる〜)

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2013年6月24日 (月)

たてまるメンテナンス、着々と準備が進んでいます。いよいよ来週、6月28日から始まります。予約受付開始

こんにちは! 搬入完了しました。
メンテナンスできる環境出来て来ました(^o^)/ ヤッホー!

金・土・日:10時~ 13時~ 16時~ です。他時間のご相談の予約を受け付けます。その前に、自分もしっかりメンテナンスして元気にお待ちしています。

美肌のハーブトリオもありますので、夏の美肌対策や、デート前にウッドワルタナおすすめです!! ピンときたかたお問い合わせくださーい!!
どうぞよろしくお願いいたします。

お問い合わせは、090-9968-1406  たてまるメンテナンス 立野好子

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フェイスブックは ⇒こちら

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2013年6月14日 (金)

家に帰りたい、でも帰れない    何年たっても変わらない問題、数年後には必ずその親の立場に私がなるのです。 ←(メールで語り合ったこと)

父は3年半、施設を点々としました。その間私にだけ、たった一度「家に帰る!」と言ってきました。「タクシーを呼んでこい!兄に電話しろ!」
直ぐに連れて帰りたいと思いました。しかし困っていると「明日でいい」と、それからは、二度と帰りたいとは言いませんでした。入院中も何度か家に帰してあげたいと思いましたが、兄を説得する強い気持ちが私にはありませでした。私が病室から帰る際の寂しそうな顔、「帰るのか?明日来るのか?」と必ず聞いてきました。前夜、「帰っていい」と言った父、これから何度も思い出すと思います。
まだまだ思いは溢れてきますが、それをバネに自分を育てたいと思います。

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先日、事務所内の整理の際『ふれあいの樹』(在宅看護研究センター機関誌)が出てきました。探していたものがありました。それはまだ斎藤明子さんが編集担当していた時、20数年前の父の死の時のことを書いて載った文章で読み返しました。父も私に「退院したい、いつ帰れるか」と一度だけ言ったことがありました。でもウンとは言えない自分がいました。誤嚥性肺炎で入退院を繰り返しこれが最後の入院になるかなと思っていました。まだそのころは病院の方が安心という思いが強かったし往診医への不信、姉の介護負担の重さ等々考えて。

今も時々その言葉を思い出します。そしてそのことは自分の中だけにしまっています。
T
さんの、そしてお父様の気持ち、よく理解できます。何年たっても変わらない問題、数年後には必ずその親の立場に私がなるのです。
重たいですね。

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『ふれあいの樹』、私も懐かしく手にして当時の事を思い出していました。
「この棚のものは捨てないで!」 そう言いながらも、他の人はその思いなど知る由もない。
歴史はこうして葬られて行く。
でも、書いた人にとってはその内容だけではなく、心の奥にはそれらに関連したもっとたくさんのその時のやり取りや感情・思いが留まっているんですよね。
それを悔いたりそのままにしていないで、次に何らかの形で活かしていく。そうしていかなければ・・・私も父の事、母の事、私だけに留めていることがあります。
それがあるから前へ進む。
もうしばらく、一緒に歩んでいきたいものです。

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2013年6月13日 (木)

尾崎雄 コラムVol.50 報道されない「フクシマ」見聞記<一泊二日で原発被災地を歩いて、感じたこと>

6月6日から2日間、福島県を訪れ、原発事故被災地を歩いて被災住民の声をお聴きしてきました。わずか2日の見聞で、あれほど巨大かつ複雑で微妙な事件の全貌が分かるはずはない。それを承知の上で、地元NPOに案内を乞い、福島原発周辺の地震・津波被災地を放射線による立ち入り禁止ゲートまで行き、全国紙やTVでは分かりにくい、現状や地元の人々の本音に触れてきました。

1日目は、いわき市からスタート。原発バブルで地価が高騰し、被災民の移住などで人口が増えるなどにより住宅難になった市中心部から仮設住宅街へ。

いわき市のニュータウンにある仮設住宅は、昨年見てきた宮城県の東北最大の仮設団地(石巻市・開成地区)などに比べると環境に恵まれ、住み心地は良さそうだった。少なくとも建物は石巻市のようなバラックだけでなく普通の住宅に近いもの少なくなかった。 

津波に襲われた海岸に近い地域に到ると「空気」は一変する。

放射線警戒地域、規制のため原発のトンネルや建屋を遠望するところまでしか行けなかったものの、被災住民からは、地震・津波の体験と原発爆発の音と振動、そして混乱した避難のようすを聴くことができた。当然とはいえ、夜間立ち入り禁止の富岡町での見聞は強烈だった。居住禁止区域に走っているのは、巡回警備のパトカーや東電の原発事故関係車両のみ。開いている店舗は作業員相手の弁当や食事を売る店だけだとか。 

原発から遠い小名浜周辺までは、津波によって壊滅した市街地は瓦礫は片づけられつつあったが、事故原発に近い地域の市街地は、破壊された住居や商店などの無残な姿が当時のままの姿を到るところに曝していた。津波で流された自動車が室内に突っ込んだままの廃屋も。線量が高いため、解体も瓦礫処理もできず、201131447分のまま時間がストップしているのだ。

白い防護服を着て雑草除去をしていた作業員が携帯する線量計の表示は0.38~0.43μシーベルト。カメラを向けると「会社名がわかるから」と拒否された。旧財閥系企業だった。同行した朝日新聞OBは「ひとも住んでいない廃墟の草刈りとは」と疑問を漏らす。

その夜、現地案内をお願いしたNPOの幹部と懇談したとき、「除染は無意味では?  単なる公共事業(予算消化の意)」と質問すると、それを否定せず「除染ではなくて、『移染』です」と本音を漏らした。

翌朝の福島民友の読者投稿欄に、ほぼ同じ意見(61歳・無職)が掲載されていた。こうした見方は現地では常識になっているのだろう。

――原発事故二年余も経過しての除染など、もはや除染ではない。この間飛散した汚染物質もあろうし、あるいは深く沈潜しての除染では、どうにもならないものもある。

(除染の実態は)放射性物質の撹拌と散乱、すなわち「移染」にほかならない。あるところを洗浄しても汚染は近隣に永遠に移動し続けるだけなのだ……「除染」は税金による公共事業として実施されいるはずだが、効果はあるのか? 行政は「対策を実施した」というアリバイ作りに行っているのではないのだろうか。

そんなことを連れと囁き合いながら、次の現場にむかった。

「フクシマ」訪問のきっかけは、ある勉強会で現地NPOによる「風化するフクシマ」報告を聴いたこと。「風化」の様子を自分自身の目と耳と肌で知りたくなり、朝日新聞の政治部と整理部のOBを誘って現地を訪問したのである。

行ってみると、風化というより、むしろ事態は悪化ないし、複雑化し、問題の本質が露わに見えてきたと言ってよさそうである。ひと言で表現すればニッポン全体の縮図が「フクシマ」の形を借りて露呈しつつある。

その過酷な現実は、放射線によって故郷を追われ、「ディアスポラ」(放浪の民)になって復興に取り組む方々の話を現地で直接に聴かねば分からない。

親戚も親しい友人も福島県に持たない私にとって「フクシマ」はやはり風化していた。それを指摘する報道はあまりなかったようだ。あるいは、見ても見えなかったのかもしれない。

「フクシマ」から帰った翌日の11日付け読売新聞の現地レポート(福元理央記者)を載せていたが、それは私が見て聴いて来た「フクシマ」の実感を代弁する。

<希望、失望 二つの心模様 除染作業に汗 高線量で帰還諦め>

 

記事の結語は大熊町の町長談話である。「町に戻れる環境を全力で取り戻すことが、町の使命だ。だが、町民のニーズは多様化している。町に戻る人、戻らない人、どちらの選択も尊重して希望に応えられるようにしたい」

だが、希望派と失望派に分断された町民全員が納得できる復興計画をほんとうに作れるのか? それは、国と県と自治体における政治の問題であり、煎じ詰めれば、国民と現地住民をひっくるめて democratic innovation が問われているということなのである。 

尾崎 雄さんのコラムは⇒こちら  >>>バックナンバーVOL.1-47

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2013年6月 7日 (金)

【起業家ナースのつぶやき】Vol.51 「もういらない、水もいらない!・・・俺が我慢して入って居れば、みんないいんだベ!」  高齢者医療はどうあるべきか

2011年3月11日18時49分、「我が家全員無事です。停電していてパソコンがつかえません。明日の参加は残念ですが参加出来ません。またご連絡します。」福島の訪問看護師から届いたショートメールである。その後、私は福島市内にセカンドハウス「ここさこらんしょ」を立ち上げるため、彼女との二人三脚で、賃貸の一軒家を探した。あのやりとりは忘れられない。そんな彼女から昨夜1通のメールが届いた。

「父が亡くなりました。私が福島に帰って5年、小脳出血で倒れて19年の月日が流れていました。
震災の頃は、まだ経口でなんとか食べていました。老人介護施設に入所、それまでも発熱を繰り返していましたが、翌年食事を詰まらせて入院。お決まりのごとく、胃瘻を作りました。もともと胃ガンで、胃を3分の1取っていました、案の定痰は多く、逆流性の誤嚥性肺炎を!
昨年11月父の数少ない言葉の中に、「もういらない、水もいらない!」 施設と主治医との話し合いで、入れていいと言う時のみ入れてもらっていました。それでも痰は続き、今年3月肺炎で入院しました。注入食を止めると安定して、再開すると再燃する。それでも4月中旬、注入食を再開して施設に退院したその日また急変し入院。
それでもまた1日1000mlの末梢点滴で吸引をされながら命をながらえていました。5月いつものように仕事帰りに病室に行くと、痰に苦しむ父がいました。昨日までとは明らかに違っており、痰の量も格段に増えていました。「痰を取るかい」と聞くと「うん」と、痰は採っても採っても溢れてきました。その上、波のように痛みが襲って来ていました。「どこが痛いの?」「わがんね!全部!」「大丈夫!」と言いながら頭をなでていました。父も「我慢すればいいんだ!」と言い、何度聞いても「大丈夫だ、苦しくね!」痰取ろうか?と言うと「いい!」そんな繰り返しでした。何度も頭をなでていました。翌日仕事もあって、帰っていいかと聞くと「うん!大丈夫だ!」後ろ髪が引かれましたが帰りました。翌日またいつものように仕事帰りに行くと息を引き取ったところでした。
施設に入所した頃「俺が我慢して入って居れば、みんないいんだベ!」と話していたそうです。認知機能は低下して覚えている事はできませんでしたが、その場の話しはできました。兄弟には厳しい父でしたが私には優しい人でした。
今日初七日を無事済ませ、また明日から仕事です。少しホットした事も事実です。いい看取りではありませでしたが、父の姿を胸に刻んで次に進みたいと思います。
お知らせでした。」(TaM

このところ飛び込んでくる高齢者医療の相談・情報、そこに潜んでいる問題と課題。高齢者の域に入った私、元気でこうしていられる間だからこそ、まだやらなければいけないことがある。

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2013年6月 3日 (月)

LLP組合員の日本在宅看護システムの今は100人力、今年こそ、変わります。私たちは一人一人が変わって、変化を興します。 

*今年の全体会は、久々に「宿泊研鑽交流会1泊2日」で行いました。

1日目の一部は事例検討会「安心して家で過ごすための看護の役割とその体制づくり」 二部は「その人の思いを貫ぬく生き方を支えるために」をテーマにロールプレイを行いました。その後、夕食はみんなで語らいながらゆっくりとざっくばらんな話し合いができました。

夜はそれぞれ二部屋に分かれて、さらに、今度はお仕事以外の話しをし楽しい時間を過ごすことができました。職場ではゆっくり話しができないことも多く、宿泊研修という長い時間の中、新たな一面?を見てお互いの良さやユニークさを再認識し、懐かしい学生時代の修学旅行を思いだしました。更に頼もしい仲間たちだなと痛感。また、6月からは新スタッフも入りおもしろくなりそうです。

2日目は平成24年度の反省を含め、来期の活動の目標、計画を立てました。これまでも「やりたいこと」はいっぱいありましたが、来期は大きな柱(目標)を立て、そこへ向けて準備していきます。このような交流会を参加すると、心が元気になります。そしてそれはこれからの看護へ向かうエネルギーとなります。

「必要なとき 必要な看護を 必要なだけ」の理念を看護の実践を通して表現していきたいと更に強く感じ、看護の介入時期のタイミングを逃さずに、小さな変化も見逃さず、その変化をとらえていくこと、それをみんなで次の看護に活かしてつなげていく、そしてその人のこれまでの生き方を受け止め、それを知ったうえで最期を迎えられるようなサポートしていく、そんな本物の看護師になりたいと思います。

「その人らしさ、その人となり」を理解していなければ相手の言葉の真意、こちら側の受け止め方も変わります。その人を理解し、そして自分のくせを理解して話し方を変化させていく努力をする必要があるとまたまた再認識です。

憶測せずにその人らしさを理解し、今の時期を知っておくことで、相手の言葉に対し返す私たちの言葉も、単なる自分の持ち味を出してよい場面なのか、あるいはその人が置かれている今の時期を知って発しているのか、常にそこで交わされる言葉、交流で自分と相手をも大きく変えていくこと、言葉、表情、言葉では表現されない思いをどれだけこちらが受け止められるか、気づけるかにより、看護は大きく変化していくと再認識しました。

人は対話、対峙(まだそこまでいかないかな?)の中で成長していくと感じた今回の研修でした。

*週末の宿泊研鑽会、大変お疲れさまでした。そして、有り難うございました。皆で私達の目指すべき看護の神髄を話し合えた研鑽会だったと思います。「研鑽会」と言ってしまうとすごくかしこまり、小難しく感じてしまいますが、どこまでその人に寄り添う事ができ、自分がお手伝いできるのか・・・。言葉で言ってしまうと簡単なようですが、いざ実行となると技術的な事はもちろん言葉の掛け方、その方に対する表情・仕草等、まだまだ勉強不足な事が良く分かりました。この二日間は大変有意義であり、かつ緩んだ気持ちに喝の入った二日間でした。

このような話ができるステ-ションって凄く素敵だなと思いました。

「○◎賞」有難うございました。正直、私が・・・???なんで?  という想いです。何時も見守って頂き、有り難うございます。まだまだ頑張ります。

*初めての宿泊研修、硬いイメージを持っていましたが、率直に楽しく、また有意義な時間をもてたと感じています。看護についてかたりあえたり、仲間との交流や、その人を知る事も持てました。実践の積み重ねと振り返りの大事さ。時間はつながっていることが大切。
その人らしさを読む訓練を日々精進して行きたいと思いました。当たり前と思っていた事や、看護を通しての変化等意識して、考えていき、アピールにつなげられるように努力したいと思っています。初心忘れず、心ある手で看護を! 研修ありがとうございました。

*研修会で行ったロールプレイングと似た場面を実際に今体験しています。ロールプレイング後は感じた事を大切にしつつも、本番は大丈夫なんて天狗になっていた私…… 前日にいい看護したなぁ~なんて自画自賛していた自分が赤面。恥ずかしさのあまり涙してしまうほど、先の見通しが立てられない自分でした。何が足りなかったのかプロセスを振り返り、スタッフ皆で頑張りたいと思う自分です。もっともっと飛躍します。 (バージョンアップを狙うsei2)

*研修会にはちょっと顔を出しただけでしたが、久しぶりの訪問、おもしろいです。

現実って、はかりしれない面白さがあります!今日の同行訪問、刺激的でした。明日の同行訪問も楽しみ。力まないで行ってきます!

2日間の全体会、とても活発な意見交換ができ、いくつも「あ、そうか」と思う事がありました。2日間、お疲れ様でした。 常勤非常勤の壁もなく、皆で結束して前に進んで行ける事を感じとても嬉しく思いました。

*何年かぶりで行われた宿泊研鑽交流会!事例検討あり、ロールプレイングあり、そして今日は今年度の我が社の目標を全員で決めるという、有意義で楽しい二日間でした。この仲間の素晴らしさに感動し何か新しい事ができそうな予感もしています。我が社の結束に乾杯‼

*看護師として、変化をしっかりととらえることが大切と思っている私ですが、容態が落ち着いている時は変化が無いととらえていました。でも今日の話し合いの中で、訪問先の家族の方から「この頃落ち着いて過ごす事ができて、変わったのは入院しなくなった事ですね、」と言われたことを聞いて、落ち着いている事=良い変化を生み出しているという、家族のその見方を大切にしたいと思いました。

詳細は⇒ こちら

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2013年6月 1日 (土)

「たてまるメンテナンス」 6月1日オープン! 「体が変われば心も変わる」  ただいま、高田馬場へ移動して準備中

アーユルヴェーダのお店をオープンして69カ月、 お店は、田園都市線「池尻大橋駅」 徒歩5分以内のところで頑張って来ました。

心機一転、今度は、古巣の「日本在宅看護システム」の後押しを受けて、高田馬場で、6月中にはお店としても再開します!

(コンセプト) 「このコンセプトの対象はナース、つまり、看護師です。 看護師が生き生きと、本来の看護を提供できる為のお手伝いをしたいという思いからです。」なんて、当時は意気込んでいましたが、とんでもない。私の持論は、「体が変われば心も変わる」

ですから、経験を積んだ私が今言えることは、「対象は、赤ちゃんから何歳の方でも」です。

 アーユルヴェーダの考え方を基本として、体のトリートメントと食事の工夫方法をお伝えすることで、日ごろのお仕事や家事・介護、育児で疲れた体の状態を整えて、光り輝くあなたへと変身していただこうと思います。

たての よしこ 通称:たてまる> 私は、人様への心理的アプローチや看護面のアプローチ能力も以前より増したはずですので、アーユルヴェーダの考え方を基本として、体のトリートメントと食事の工夫方法をお伝えすることを手段に、日ごろの看護で疲れた体の状態を整えて、光り輝くあなたへと変化できるようなお手伝いには、自信があります。

 これからのナースはもちろん、人間には、「美」意識が大切だと思います。

自然を愛し、芸術を愛し、好奇心が旺盛で自分も愛して、いつも喜びに満ちている。そんな状態をキープできたら、とても素晴らしいことがおこるにちがいありません。

皆さん、お待ちしています。 『たてまるメンテナンス』のフェイスブックは⇒こちら   私が初心を忘れないために⇒こちら

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意識障害の家族を抱える身としては「なるべく最後の日まで苦しみのない一日を送れる」緩和医療はガン以外にも絶対必要と感じております。

安楽死や尊厳死が法律上認められていない日本において、非常に難しいテーマです。米国では逆に脳死を早々に判定してしまい、意識が戻るかもしれない患者、治るかもしれない患者が早々に見捨てられ、臓器移植の提供者にさせられてしまう(勿論元気なときの本人の意思表明が必要ですが、医師から「もう脳死ですから」と家族が言われてしまうと、素人には本当にそうなのか、確かめる術がありません)という問題が起きています。

意識障害の家族を抱える身としては「なるべく最後の日まで苦しみのない一日を送れる」緩和医療はガン以外にも絶対必要と感じております。「すべて手は尽くしてもらった」と感じられれば、患者の死後の家族の喪失の悲しみも和らぐものだと思います。

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