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2013年6月 7日 (金)

【起業家ナースのつぶやき】Vol.51 「もういらない、水もいらない!・・・俺が我慢して入って居れば、みんないいんだベ!」  高齢者医療はどうあるべきか

2011年3月11日18時49分、「我が家全員無事です。停電していてパソコンがつかえません。明日の参加は残念ですが参加出来ません。またご連絡します。」福島の訪問看護師から届いたショートメールである。その後、私は福島市内にセカンドハウス「ここさこらんしょ」を立ち上げるため、彼女との二人三脚で、賃貸の一軒家を探した。あのやりとりは忘れられない。そんな彼女から昨夜1通のメールが届いた。

「父が亡くなりました。私が福島に帰って5年、小脳出血で倒れて19年の月日が流れていました。
震災の頃は、まだ経口でなんとか食べていました。老人介護施設に入所、それまでも発熱を繰り返していましたが、翌年食事を詰まらせて入院。お決まりのごとく、胃瘻を作りました。もともと胃ガンで、胃を3分の1取っていました、案の定痰は多く、逆流性の誤嚥性肺炎を!
昨年11月父の数少ない言葉の中に、「もういらない、水もいらない!」 施設と主治医との話し合いで、入れていいと言う時のみ入れてもらっていました。それでも痰は続き、今年3月肺炎で入院しました。注入食を止めると安定して、再開すると再燃する。それでも4月中旬、注入食を再開して施設に退院したその日また急変し入院。
それでもまた1日1000mlの末梢点滴で吸引をされながら命をながらえていました。5月いつものように仕事帰りに病室に行くと、痰に苦しむ父がいました。昨日までとは明らかに違っており、痰の量も格段に増えていました。「痰を取るかい」と聞くと「うん」と、痰は採っても採っても溢れてきました。その上、波のように痛みが襲って来ていました。「どこが痛いの?」「わがんね!全部!」「大丈夫!」と言いながら頭をなでていました。父も「我慢すればいいんだ!」と言い、何度聞いても「大丈夫だ、苦しくね!」痰取ろうか?と言うと「いい!」そんな繰り返しでした。何度も頭をなでていました。翌日仕事もあって、帰っていいかと聞くと「うん!大丈夫だ!」後ろ髪が引かれましたが帰りました。翌日またいつものように仕事帰りに行くと息を引き取ったところでした。
施設に入所した頃「俺が我慢して入って居れば、みんないいんだベ!」と話していたそうです。認知機能は低下して覚えている事はできませんでしたが、その場の話しはできました。兄弟には厳しい父でしたが私には優しい人でした。
今日初七日を無事済ませ、また明日から仕事です。少しホットした事も事実です。いい看取りではありませでしたが、父の姿を胸に刻んで次に進みたいと思います。
お知らせでした。」(TaM

このところ飛び込んでくる高齢者医療の相談・情報、そこに潜んでいる問題と課題。高齢者の域に入った私、元気でこうしていられる間だからこそ、まだやらなければいけないことがある。

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