どのように死ぬか・・つまり、最後だけでなく、どのように生きて死にたどりつくかが重要な時代
喜多先生 皆さま (2014.1.6)
私の年になると周りとの会話は今抱える健康不安の店開きと、ピンピンコロリと行かないときどう対処するか・したいか、店仕舞い方法は、ということになり、結局はどうなるかわからないことをくよくよ考えないで今の一日一日を大切に笑顔で過ごそう、となります。そんな中でそれぞれの考えが自然に出てきて“そのとき”には互いの尊重に役立てられるのではと思っています。
「技術(手技や薬剤)」が進歩した時代に生きて、正にその技術に助けられて今存在している私ですが、生との決別まで苦痛だけは逃れたい、と悟りきれないでいます。この数カ月、腰椎が悪さして腰から下肢の神経が大暴れでその痛みに眠れず、時に歩けず唸っています。薬剤効果も撥ね退けられて。イノチに関わらないので決別までは共存していくことになりましょう。自分との戦いです。
過剰な治療はもちろん望みませんが病で苦しさ、痛みが出たらそこだけは緩和して欲しい。そこ辺りは看護の出番、看護の技(手技だけではない)を駆使出来る場面ではないかと。でも、誰もその願いと言うより、私の看護は御免と言われるでしょう。現に言われたことがありますから(笑)。
私だって、おとなしく良い患者(を演じて?)で誰も叱ったりしませんよ。一生懸命お世話してもらうのに文句言ったら罰があたります(これが高齢患者の気持ちです)。稲留でした。
喜多先生 (2014.1.6)
先生は恐らくノタウチマワルような亡くなり方はしませんよ。「逝くわよ」と、目で合図して生に訣別するでしょう。私が知っている範囲では、自ら死を覚悟していらっしゃる方は穏やかなものです。
とはいえ、本日早朝、40代の男性が亡くなりました。彼は、白血病の妹を自らの骨髄を移植をして救い、その後、父親を看取り、一昨日、友人たちと呑んだ帰りに気分が悪くなってそのまま・・・脳橋部出血で意識不明になり、です。そんな逝き方もあるのですからね。
緩和・緩和と言いますが、最後まで家族と話していたいという方もいますし、人それぞれです。
私も倒れたら、苦痛は自らコントロールするだろうと思っていますが、その時にならないとわかりません(笑) 剰医療もですが、私は、過剰ケアもお断りです。自分で決めて逝けたら最高でしょうが、こればかりは死ぬ時にならないと何ともいえません。 村松
村松先生
(繊細さとある種の神経の太さをお持ちの)細井さん!! (2014.1.6)
私は、もはや医師ではありませんので、医師の言葉として読まないで欲しいのですが、(日本を含む)現在の先進国では、必ずしも、人は長生きすることだけを望んではいないと、私は思います。で、格好をつけて、クオリティ・オブ・ライフなどと申しますが、どのように死ぬか・・つまり、最後だけでなく、どのように生きて死にたどりつくかが重要な時代になっているように思います。
このことは、ほとんど見るべき医療がない貧しい国のド田舎では、とても自然に受け入れられているのです。アアッ、こんな風に死ぬ・・・のではなくて、生きるのだと思わせられた老人と見えた人々の実際の年齢は40代か50くらいだったかと思います。
一方、「技術(手技や薬剤)」が進んだことで、助けられるイノチが増え、苦痛が軽減されるようになりました。人間が傲慢かましている・・・分、苦しみは深く広く長くなっています。
看護の力を行使すべきは、どの場面なのか、私は答えを持っていません。傲慢に生き続けたい人を救うことも、静かに死に向かい人を過剰な医学的介入からまもることも、共に正しい看護かな、と、今は思っています。
私は、先般、申しましたように、苦痛にノタウチマワッテ生に決別したいので、鎮痛剤とか緩和ケアは避けたいと、今は、傲慢に思っています。その内、云うことが変わる、でしょうけど。(きた)
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