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2014年8月30日 (土)

コラム「医師として、武士として」  Vol.47 看護・介護:その1  安藤 武士 Andou takeshi

詳細は⇒ こちら  と こちら

Vol.47 2014.8.26  「看護」と「介護」

「看護」は、「けが人や病人の手当てや世話をすること。」「手厚い看護を受ける。」「病人を看護する。」「寝ずに看護する。」などと用いられると辞書にある。「看病」という言葉もある。「一晩中寝ずに病人の看病をした。」「年老いた父の看病をした。」というように「看護」と同じ意味に用いられるが、違いは専門職と一般人が行う行為の違いと考えてよい。

「介護」という言葉もある。「介護」は、以前は個人、家族が行う人類愛レベルの行為であったが、平成 9年12月、「介護保険法」が誕生し「社会福祉サービス」の中核をなす存在となってから「制度」という冷たい空気が「介護」に入ってきている。家族が行う「介護」と制度のサービスで提供される「介護」は、言葉が同じだけのようだ。超高齢者社会が、「介護」を「医療」「看護」の仲間入りをさせた。「介護」に類似の言葉に「介抱」という言葉がある。「介抱」は、一般に一時的に世話をするという場合に用いられる。「病気で倒れた友達を介抱した。」「酔っ払いを介抱する。」などと用いられる。「看護」「看病」は相応しくない。

「看護」は、見守り病態を知るということに対し、「介護」は、世話をするという具体的な意味合いが「看護」より強い。これで言葉の遊びを終える(次号に続く)。

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2014年8月28日 (木)

【LLP同志のやりとり】 喜多悦子先生の問いに応えて

皆さま
南の高気圧が弱まりやっと夏も終わりに近づいてのでしょうか。それにしても広島をはじめ被災された地域の映像に心が痛みます。

 喜多先生のブログが更新されました。
福島原発の元吉田所長の証言を今ニュースで放映しています。
未だに信じられないようなことが起こっている事実が次々と発表されますが、自国の処理もままならないのになぜ???

 喜多先生の3つの?にお答えします。はい買ってます差別していません!!(稲留) 

<喜多先生のブログでの問い>http://blog.canpan.info/smhf/archive/155

①あなたは福島に対して関心がありますか?
 
②あなたは福島の産物に偏見を持っていませんか?
 
③あなたは「福島」を差別していませんか?

 稲留 様
 空のどこにこんなに雨があるのだろうと見上げてしまいます。行方不明の方たちが1分でも早くご族の胸に抱かれることを祈ります。被災地で活動しておられる方たちに頭が下がります。
喜多先生の3つの問いに
有ります偏見全く無し差別していませんと答えます。私はいつもお伝えしているように実際の活動として何もできていなくて心苦しいのですが、福島市にあった保健師助産師合同コースで1年間学びました。昭和46年4月から。20人のクラスでした。全く知らない土地でしたが思いで多い1年でした。卒業以来、手紙のやり取りはしているものの一度も出かけられていません。ずーと心の中にあります。
喜多先生が岡山に出かけられるとありましたが、長島愛生園・邑久光明園の訪問かなと思いました。私は高校が邑久高校でした。愛生園に分校があり野球の試合の応援に行ったこと、湯原温泉病院で一緒に働いた医師が愛生園に勤務されたことがあり訪問したことを思い出します。いつごろか覚えていないのですが、父の手が変形し岡大病院で診察を受けた時「らい病」かもしれないと言われたことは今でも覚えています。疑いで結果はちがっていたのですが家族にとっては何十年経っても忘れることはないです。昭和40年代に勤務していた病院に結核病棟があり、患者さんや家族は辛い思いをされていたことも忘れられません。おばあちゃんが入院され、家族検診も終わり問題なしの孫たちが学校で辛い思いをしているようだと情報が入りました。早速、担当の保健師さんに連絡を入れ、学校関係者にきちんと説明するように伝えたこともありました。あやふやな感じで差別や偏見がうまれているのですね。自分の言動に責任を持ちたいものです。

雨と日光不足で農作物に被害がでているようです。夏野菜も終わりになりました。草ばかりが成長しなかなか畑仕事ができません。長靴に手袋、虫予防の帽子をかぶった姿で時々畑にでています。(山谷)

山谷様
岡山も相当降ったのではないですか?山間地だけでなく、東京のど真ん中でも今回のような豪雨では思いもよらない危険がいっぱいだそうです。自然が怒っているのでは?
差別、子どもの時にはその言葉も知らなかったと思いますが、子ども心に差別的言葉を受け傷ついたことをしっかり覚えています。そのことは親にも言えずずっと胸にしまっています。
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歳上の姉が小学校4年生で結核に罹患し毎日「今夜はダメかもしれない」と生死の境をさ迷っていました。何年後かのストマイ出現、母が自分の腿に針を刺して練習(往診の先生に指導してもらった?)し、姉のお尻に注射する姿が今も目に焼き付いています。そのおかげで命は助かり、その後大人と同室の療養所生活、現在まで癌をはじめ大病をいくつもしながらも元気に過ごしています。
当時、国民病といわれた結核。自宅療養でしたから、ご近所も「あの子と遊んではダメ」と言ったのは仕方ないのかも。しかし怒りがわくのは、そう言った口の端から「信じれば治る」と宗教勧誘してきたこと。大人への不信感、低学年の小学生にはきつかった。

山谷さんのような看護師さんに出会ってれば。でも当時の看護婦さんは往診医のカバン持ちという印象でした(すみません)。遥か昔のことですから。
今週は今までの暑さから一気に気温がさがるようです。涼しくなるとなんだか淋しくなる、人間って勝手ですね。(稲留) 

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2014年8月19日 (火)

大雨警報が何度か出て、・・・お蔭様で被害はありませんでした。

先週は1週間、雨が降り続きました。大雨警報が何度か出て、夏祭りが延期になったり中止になった所がありました。お蔭様で被害はありませんでした。

お盆の習慣もその家の主婦(実権を持った)の在り方で変わるのだと思われます。私の実家は母が几帳面で喜多先生の様子に近い事をしていました。ところが山谷家では義母がする人ではなく(義祖母はしていたようです)、夫などお墓掃除や花を立てに行くことも思わない状況です。そのうち私の代になると、実家でしていたことを思い出し見よう見まねでしていると夫も一緒にするようになり孫たちを連れてお墓詣りです。

娘の嫁ぎ先は分家なのでお墓がなく孫たちもめずらしさを感じてお墓詣りには喜んでいきます。これまた思いで作りですね。現代はお墓も色々と言われています。どうなっていくのでしょうね。人間より動物の方が大切にされているようにも感じられます。

家族の在り方も変わっていることを念頭にいれ関わっていかないといけないと痛感しています。(山谷)

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お盆休みの終わりにまたまた大変な豪雨が。

今日も残暑が厳しいですが、朝夕ちょっぴり秋の風を感じるようになりました。

お盆休みの終わりにまたまた大変な豪雨が。高山市に別宅のある細井さん、岡山の山谷さん、大丈夫でしたか。
喜多先生のブログ更新されました。
お盆の思い出」    私には喜多先生のような素敵な思い出はありません。

地方出身の両親は東京・代々木の(やっと手に入れたであろう)家を焼き出され、狸の出そうな杉並に。戦後の混乱の中、身体の弱い子どもたちのため日々の生活に必至。小学校入学直前に亡くなった妹の位牌を入れるために購入したと思われる?小さな仏壇とその中には過去帳。お盆は迎え火をたいて、お坊さんが来てお経を唱えて頂き・・・、と簡素なもの(確かにお供えの果物やお菓子は魅力的でした)、そんな程度の記憶です。お盆で田舎に行くこともありませんでした。

子どもの死は親にとって一生分の涙が出尽くした(母の言葉)程の悲しみ。墓地も妹のために、と用意し、1人で寂しいだろうとお墓参りにはよく通ったものです。

皆さまのお盆休みは如何でしたか?(稲留)

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2014年8月15日 (金)

【声】「終活なんておやめなさい」(宗教評論家・ひろさちや著)、「終活」とも思わず最初からやめようと考えていること。自身の考えを後押ししてくれた。

今年も帰省ラッシュ・Uターンラッシュの盆休み。終わればサービスに疲れた老親、両親の姿。元気なのは子どもたちだけ? 帰省して先祖代々の墓に参った方も多いだろう。

在宅看護研究センターの応援団・安藤武氏の「戒名騒動」を読ませていただいた。(いつも軽妙な筆致で楽しみにしております。)私の知る温和な先生が、と正直驚き、墓石の撤去、整地の費用だって相当額だろうと下種の勘ぐりをしたり、中々やるじゃん、と内心で拍手したり・・・(ゴメンナサイ)。

最近2人の友人の伴侶が亡くなった。戒名について1人は院居士、1人は信士。どちらもお寺のお坊さんから当然のように賜ったという。

8月10日の朝日新聞・特別編集委員の「日曜に想う」に、万事に手回しの良い父親から「ワシら夫婦の院号法名や。お寺さんに決めてもろた。お前も安心やろ」と折りたたんだ和紙に書かれた戒名を見せられた。色々調べてみると、戒名は日本の風習、中国の人々は戒名を持たないと書いた本もあり、国が違っても仏教徒は戒名を授かるものと思い込んでいたから驚いたとのこと。

 

私事だが、終活を始めたとこの欄に2回投稿したがその後一向に進まない。

2カ月程前、新聞の本欄に「終活なんておやめなさい」(宗教評論家・ひろさちや著)が紹介され早速購入した。

仏教を学んでいる著者は“はじめに”で、『釈迦の教えの根本は「死後について一切考えるな」である。即ち仏教は「あなたは人生をしっかり生きていれば、死後のことは仏が一切面倒を見て下さるよ」ということで、死んだ後の事を考えず、今楽しい人生を生き、家族と一緒に楽しい時間を送って下さい。それが本当の「終活」なんですよ。』と言う。

戒名は仏門に入ったことを証すもの、つまり出家したことの証。死者は在家のままで仏さまにお浄土に連れて行っていただくのにどうして出家する必要があるのか、俗名のままで何ら問題ない、拝むのは仏さまで位牌ではない、墓も死者への執着を残すこと、死者への余計な思いは残さない、すなわち戒名も位牌も墓も…いらない。お坊さんがそのことを丁寧に遺族に説くようになったら「遺族の心の整理」はカタが付く、現状では期待は出来ないが。「葬式なんかやめなさい」とお坊さんに進言したら「葬式を辞めたら食っていけない」のだから、とも。

我が家は神道なので戒名は無用。俗名のまま霊となる。生前義父はどうしても代々の墓には入りたくないと言っていたのでこちらで急遽用意した墓に埋葬。お墓の話は長くなるので省略。

信仰心の薄い自分は、ご先祖ざまには申し訳ないが、最近流行りの樹木墓地、散骨など墓守の心配ない、土に戻るもので結構と考えている。

本著者の「おやめなさい」は、私がそれらを「終活」とも思わず最初からやめようと考えていることであり、自身の考えを後押ししてくれるものであった。

最期を迎え、その後のことは自分では何もできないし、望み通りしてもらっているか見ることも叶わない。迷惑かけたくないと「終活」しても残された者との思いに差があり、かえって迷惑をかけるかもしれない。

あまり「終活・シュウカツ」と肩肘張らず、あるがままに、“お母さんらしいね”で良いじゃないか、と心の声が囁く昨今である。

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2014年8月11日 (月)

ナースの勘から生まれた『銅素材巾着袋』 、訪問看護時はもちろんだけど、出産した娘に、ステーションを開設した友人に、普段使っても・・・と、ジワジワと拡がっています。

20131月、看護コンサルタント株式会社では、医療現場で苦慮している感染対策グッズとして銅の抗菌作用を利用した銅製聴診器「スピリット」の発売を開始いたしました。院内の感染対策の1つに加え始めた病院や訪問看護ステーションが徐々に増えています。しかし、銅の部分はいいけれどチューブのところは大丈夫?という声を受けて目を付けたのが、新潟大学とコデラカプロン株式会社の共同研究で殺菌を目的として開発された銅素材(特許登録)。殺菌効果は証明済みで、サッと拭くだけでも効果があるという自信作です。そこで開発したのが「銅素材巾着袋」。器材やエプロンを入れておくことで、その効果を活かそうというのです。

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病院では、感染者のいる部屋で!訪問看護では訪問グッズを入れて!感染対策の一役を担い始めております。

全く違う目的でも注目が!

「プレゼントされた銅素材巾着袋が良かったので、これから海外に行く娘へのプレゼントとして1枚購入しました。生まれたばかりの孫のことを思うと感染が心配で・・

詳細は⇒「kinchakwb.pdf」をダウンロード

 8・9・12月は割引価格になっています。       お問い合わせは、03-5386-2427

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2014年8月 6日 (水)

『死に場所』、母が亡くなる時、2人部屋を借りきり付き添い寝食を共に。その場にいることが辛かった。でも今は、・・・開き直って、日々を悔いなきよう生きよう

F.Iさま

転んだ後痛む、そうです。足首の捻挫を一番心配したのですが、そこではなく膝の打僕で階段の上り下りに不都合、手の平をついて肘を打撲、どういう体勢になったのか膝関節がおかしい。肩から脇にかけて痛む・・・です。心筋梗塞をやって以来薬を飲んでいるので、怪我は絶対しないように、と医師から注意を受けているのですが、注意してもこのザマです。娘からは「骨折→入院→寝たきり→痴呆。病院にはそういうお年寄りがいっぱいだからね。」もしそんな事態になれば自分たちにも災難が降りかかる、ということでしょう。子どもたちのためにも気をつけなければと思うのですが。セカセカの性分は身体の衰えに合わせてくれないので。

 我が家は夫と年が離れているので私に再度心臓発作が起こらない限り夫を先に看取ることになるでしょう。子どもたちの世話にはなりたくない、という思いが強く、介護の勉強をしたのも、他人の世話になるための自身のあり方を見つめるためでした。

40年以上前、母が癌で亡くなった時、病院の2人部屋を借りきり姉が付き添い寝食を共にしました。当時は癌は死の病、治療も今のように進んではいません。告知もせず、が普通でした。嘘が嘘を招きます。「手術したのにどうしてよくならないの?」「朝目覚めるとまだ生きていたんだと思う」子どもたちの病気も医者より先に診断する位勉強していましたから自分が癌だと気付いていたと思いますが決して言葉には出しませんでした。姉もきつかったと思います。私も見舞いに行ってもその場にいることが辛かった。そんな体験から家で最期を、ということは、子ども達も同じように感じるのではと思い、病院で、来られるときに短時間だけ来てくれれば良い、それが私にとっても一番楽、と思っています。ただ、それは期限がはっきりする病気しか無理でしょう。そして医療改正で入院もままならなくなる。施設には入れない。となると家にいるしかない、ですから自分で出来る限り踏ん張って専門の方に手助けをお願いする。それだって生活できる程の助けにはならない。ですから前以て希望は言っていてもその時にそれが可能かどうかはなってみなければわからない、と開き直って、日々を悔いなきよう生きよう、それが今一番の望みです。

西大寺にいる叔母も92歳、何年振りかで電話で話したけれどすっかり弱ってました。6年前に肺がんで片肺摘出(80代でそこまでするんですね)見舞いに行きたいなと思っています。

暑さますます厳しくなります。お互い気をつけましょう。(Y.I

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2014年8月 4日 (月)

『死に場所』、私は家で夫の世話になり死にたい

Y.I

 転んだ後、時間の経過とともに気が付かなかった部分に痛みを感じたり、皮膚が変色していたり・・・。大丈夫でしょうか? 不思議なものですね、転ぶ回数が増えることで自分の老いに気付くような気がします。私も道に何も無いのに転んでホッペタを打ち付けケガをしたことがありました。治るのに2か月ぐらいかかりました。手をついていたら骨折していたと思うのですが、どっちが良かったのか傷の場所が場所だけに・・・。足底をしっかり地につけて歩きましょうね。お互いに。

 私は家で夫の世話になり死にたいと考えています。

夫の看取りは自宅では出来かねますが・・・。老健でも特養待ちのまま最期は病院で亡くなられる方が多いです。前に勤めていた老健では看取りをしていました。在宅と同じような感じで。家族も可能な範囲で付き添いをしてもらいます。看護師の少ない老健ですが介護職に色々なことを伝え共にケアをしていけばできていきます。家族にも看取りをしながら経過を説明し又、家族から思い出話を聞くこともできます。ただ、こればかりはご本人の寿命が関係し、半年以上体調変化を繰り返された方もあります。ゆったりと見護り、ケアができる所が必要だと思います。老健は在宅復帰のためのリハビリ施設というのが掲げられています。それなのに看取り加算もあるのですが・・・。矛盾を感じる職員も少なくありません。 もう35年前になりますが自宅で亡くなった父(2年間病院、2年半在宅)が死にゆく姿を見せてくれたことは今もはっきりと私の中に残っています。こういう体験が必要なのだと今更ながら感じています。ただ生まれるときは自分ではどうにもならないけれど、死ぬ時については自分の意思を伝えることはできますね。明日は92歳でケアハウスに入っている母の所に出かけようかと思っています。全て自分で決めてシッカリしているので逢うとケンカになってしまいます。仕事では優しくなれる私ですが、娘になると優しくなれません・・・。 (F.Y

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2014年8月 2日 (土)

『死に場所』、自分の希望が叶えられる、その保障があれば最期を迎える不安は半減する

皆さま 暑いですね~。

一昨日のスッ転んだことに、温かいお言葉を送っていただいた方、ご心配をおかけしました。オオゴトにならずに済みました。ありがとうございました。

「何故すっ飛ぶような転び方をしたか原因が分からない」に対して「なぜって?あなただからでしょ?」と代表から。そうですよね、過去に何回もすっ飛んでいるのですから()

さて以下、喜多先生からです。

“死に場所”、どうしましょう。何処になる?何処にする?いずれにしろ自分の希望が叶えられる、その保障があれば最期を迎える不安は半減するのですが。(Y.I

 

『死に場所』

New England Journal of Medicine2014626日号、Perspective展望欄に、“Where We Die”というDavid J. Rothman博士の論考がある。文の最後に?がないので、「私たちは何処で死ぬか?」ではなく、「私たちが死ぬ場所」、つまり死に場所・・・「死を迎える(に相応しい)所」とでも訳すべきか。この論考は、同誌の2506-2514ページにあるCook Rockerの論文(ICUでの威厳ある死 Dying with dignity in ICU  

ヘンなタイトルですが・・。急性疾患(治るか治らないかはっきりしている病気)が蔓延していた時代には、病院は必須でしたが、今や、生活の場で、ずるずるぐずぐずの不健康と、健康状態が低下した高齢者が跋扈する時代です。そして病院はすべての健康問題を解消できるところではないだけでなく、色々な問題の根(roots)でもあります。適切に、効果的に活用するためにも、在宅看護(師)の力が必要です。(きた)

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2014年8月 1日 (金)

組合員の日本在宅看護システムに世代交代の兆し、さらに組合員の看護コンサルタントとのコラボが始まった。組合員が密かに動き出している

日本在宅看護システムには、元気いっぱいの20代ナースが3名います。一人は大学院生のため、今年度はなかなか顔を出せないようですが、それでも彼女らは皆、東北出身。粘り強い。打たれ強い。元気いっぱい駆け回る。主張もする。しかし、それがボスである私・村松静子のお気に入り。

今年度は後輩でもある川口がグイグイ引っ張っている。そこに同い年の今野が良い味を出しグイグイすり寄よる。この二人は良い意味で競い合っているようにも見えますが、その動きが何とも小気味よい。その状況をちょっとだけでも覗いていただきたいと思っている時に、タイミング良く、全員に1通のメールが届きましたので、それを紹介させていただきます。 

先日は皆様の出欠確かに受け取りました、ありがとうございます。スケジュールを再度送信致します、ご確認ください。
8月3日(日)  10:00~16:00   百人町ステーション
 
10:00~11:00 現在の有料の料金形態について講義(講師 村松静子代表)
            テーマ:当時どのような背景で、何を参考ににして看護形態や料金を設定したか
11:00~14:00  グループワーク(2Gに分かれる)
            どのような看護形態が必要とされているか、何を参考にして料金を決めるか
14:30~15:00  グループ案をまとめる
15:00~16:00  グループワークでまとめた案をもとに検討会 
16:30~      皆で楽しく暑気払い                          大きな流れは以上です。
 
 
勉強会の前には各自で現在の保険の料金形態の把握や、これからの有料の料金形態を決めるにあたって何を参考に形態や料金を考えると良いか、どのようなことを調査する必要があるか、など事前に各自で調べて勉強会に参加していただけたら、と思います。また、皆さん各々が必要と思う、実際現場で必要と感じる看護形態とは何か、参考図書なども大歓迎です。
そして、当日資料として一部配布は致しますが、「在宅看護への道 起業家ナースの挑戦」(医学書院)をお持ちの方は再度一読し、当日持参してください。
当日は、日本財団起業家育成事業で現在研修を受けられている3名の方々も参加予定です。
また、当日は講義から始まります。講義内容・時間ともに大変貴重な時間であり、時間厳守でお願いいたします。講義については、途中入室は一切できません。(今野・川口)
私の「元気の源」は、若いナースが元気に動いているのをサポートすることのようです。

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