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2014年8月28日 (木)

【LLP同志のやりとり】 喜多悦子先生の問いに応えて

皆さま
南の高気圧が弱まりやっと夏も終わりに近づいてのでしょうか。それにしても広島をはじめ被災された地域の映像に心が痛みます。

 喜多先生のブログが更新されました。
福島原発の元吉田所長の証言を今ニュースで放映しています。
未だに信じられないようなことが起こっている事実が次々と発表されますが、自国の処理もままならないのになぜ???

 喜多先生の3つの?にお答えします。はい買ってます差別していません!!(稲留) 

<喜多先生のブログでの問い>http://blog.canpan.info/smhf/archive/155

①あなたは福島に対して関心がありますか?
 
②あなたは福島の産物に偏見を持っていませんか?
 
③あなたは「福島」を差別していませんか?

 稲留 様
 空のどこにこんなに雨があるのだろうと見上げてしまいます。行方不明の方たちが1分でも早くご族の胸に抱かれることを祈ります。被災地で活動しておられる方たちに頭が下がります。
喜多先生の3つの問いに
有ります偏見全く無し差別していませんと答えます。私はいつもお伝えしているように実際の活動として何もできていなくて心苦しいのですが、福島市にあった保健師助産師合同コースで1年間学びました。昭和46年4月から。20人のクラスでした。全く知らない土地でしたが思いで多い1年でした。卒業以来、手紙のやり取りはしているものの一度も出かけられていません。ずーと心の中にあります。
喜多先生が岡山に出かけられるとありましたが、長島愛生園・邑久光明園の訪問かなと思いました。私は高校が邑久高校でした。愛生園に分校があり野球の試合の応援に行ったこと、湯原温泉病院で一緒に働いた医師が愛生園に勤務されたことがあり訪問したことを思い出します。いつごろか覚えていないのですが、父の手が変形し岡大病院で診察を受けた時「らい病」かもしれないと言われたことは今でも覚えています。疑いで結果はちがっていたのですが家族にとっては何十年経っても忘れることはないです。昭和40年代に勤務していた病院に結核病棟があり、患者さんや家族は辛い思いをされていたことも忘れられません。おばあちゃんが入院され、家族検診も終わり問題なしの孫たちが学校で辛い思いをしているようだと情報が入りました。早速、担当の保健師さんに連絡を入れ、学校関係者にきちんと説明するように伝えたこともありました。あやふやな感じで差別や偏見がうまれているのですね。自分の言動に責任を持ちたいものです。

雨と日光不足で農作物に被害がでているようです。夏野菜も終わりになりました。草ばかりが成長しなかなか畑仕事ができません。長靴に手袋、虫予防の帽子をかぶった姿で時々畑にでています。(山谷)

山谷様
岡山も相当降ったのではないですか?山間地だけでなく、東京のど真ん中でも今回のような豪雨では思いもよらない危険がいっぱいだそうです。自然が怒っているのでは?
差別、子どもの時にはその言葉も知らなかったと思いますが、子ども心に差別的言葉を受け傷ついたことをしっかり覚えています。そのことは親にも言えずずっと胸にしまっています。
2
歳上の姉が小学校4年生で結核に罹患し毎日「今夜はダメかもしれない」と生死の境をさ迷っていました。何年後かのストマイ出現、母が自分の腿に針を刺して練習(往診の先生に指導してもらった?)し、姉のお尻に注射する姿が今も目に焼き付いています。そのおかげで命は助かり、その後大人と同室の療養所生活、現在まで癌をはじめ大病をいくつもしながらも元気に過ごしています。
当時、国民病といわれた結核。自宅療養でしたから、ご近所も「あの子と遊んではダメ」と言ったのは仕方ないのかも。しかし怒りがわくのは、そう言った口の端から「信じれば治る」と宗教勧誘してきたこと。大人への不信感、低学年の小学生にはきつかった。

山谷さんのような看護師さんに出会ってれば。でも当時の看護婦さんは往診医のカバン持ちという印象でした(すみません)。遥か昔のことですから。
今週は今までの暑さから一気に気温がさがるようです。涼しくなるとなんだか淋しくなる、人間って勝手ですね。(稲留) 

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