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2015年4月29日 (水)

在宅看護の道を辿る人にも貴重な1冊「看護制度と政策」(法政大学出版局)、すでにお読みでしょうが、あえて再び紹介させていただきます。

「看護制度と政策」分厚いこのご著書を手にした時、メッセンジャーナースの役割の位置づけを明快にするために、インターネット上で探し当てた著者の論文と重なり、とても嬉しくなりました。

看護師であれば、メッセンジャーナースであれば、自ら手にし、すでに読んでいるはずの1冊ですが、あえて再びご紹介します。

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よりよき医療の未来のために・・・超高齢社会を迎える日本の看護制度がいま直面している問題は何か。現場の看護師がより専門性・自律性をもって働ける環境を創るにはどんな制度変更が必要か。厚生労働省の医政局看護課長を務めた著者が、明治期の医制創設から戦後改革をへて現在にいたる看護制度の歴史的変遷をたどり、多様なアクターによる政治的決定過程を具体的に検証しつつ、今後の公共医療のあり方を問う提言の著。

野村さんは、厚生省の医療局看護課長としてしなやかに行動されていました。私は優しさが漂う笑顔とその誠実さに惹かれています。麦の穂が1本凛として・・緒方洪章先生の作品「オーヴェルの麦」。「麦は咲き明日へと育って行く」中島みゆきの麦の唄のように、この麦の穂には看護制度がよりよい制度に育っていくことへの期待を込めた、あとがきに記述しています。(村松静子)

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2015年4月23日 (木)

バルンと酸素と点滴3ルート、両手にはミトン・・看護師は真っ直ぐに点滴台にすすみ彼に一瞥もなく。モニター類の音だけ・・。看護とは何か?いつも自分に問いかけながらぶれずに前を向いていこうと決めました。 ← (オハナの家のメッセンジャーナースより)

今日は在宅で関わってきた人が入院し個室に移されたと聞いて見舞いに行きました。心不全の悪化ですが、バルンと酸素と点滴3ルート、両手にはミトン・・口を開けて荒い呼吸で眠っていました。水分制限の紙が貼られ、空いた口からは乾いた舌が見えました。どんなにか喉が渇いているのだろうな?と思いながら、なす術もなく手を握り「生きることと生きていることの意味」を考えていました。
そのうちポンプのブザーが鳴り、訪室してきた看護師は面会者に軽く会釈をして、交換の補液を持ち真っ直ぐに点滴台にすすみ点滴の交換が済むと彼に一瞥もなく部屋を出ていきました。
病室の外ではいろんな声や音があふれていました。しかし、彼に関係する音はモニター類の音だけ・・。彼の存在はかげろうのようです。

これが病院のありふれた風景であり、病院で死ぬことはこれらすべてを受け入れるということだと改めて思いました。この世界にいて、これを良しとするならオハナの存在など問題外だなと感じました。
それでも最期まで希望を捨てずに生きることをあきらめないひとがいる限り、オハナを守り抜かねばならないと思いました。

看護とは何か?形に表すには難しいが、いつも自分に問いかけながらぶれずに前を向いていこうと決めました。

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あなたと同じ思いで集まってくるのがメッセンジャーナースです。

その輪は確実に拡がっています。研究を一緒にやることになった日赤九州国際看護大学の教授2名と一昨日会ってきました。正に同志です。あなたのところへ一度伺うことを計画していますよ。10月の総会にも参加することに!(村松)

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2015年4月20日 (月)

「だから訪問看護はやめられない!」福島の活気を感じて・・。メッセンジャーナースの全国の活動報告、益々知りたくなります。『看護の懸け橋奮闘記』 続きを期待! ←(「ここさこらんしょ」へ最初に駆けつけた熊本の同志からのメッセージ)

愛するご家族、愛されたご家族と共に人生最期の瞬間まで共に語り合い「家族の当たり前の姿」のなかで旅立ちの準備をして送り出す・・・これらの過程にしっかりと寄り添い支えられているナースの姿が場面が目に浮かびます。 

ご家族の悔いのない看取りはお孫さんにも受け継がれていく事でしょうね。

ほんとに!!! 訪問看護の醍醐味ですよね!
福島の活気を感じます。

 

こんな普通の関わりが、最近は出来にくい様に感じていました。市民の方々も生きにくい世の中になってきた・・・と感じられる中に、今回のような報告は励みになります。

いろんなナースがこのホームページを注目しているようです。
メッセンジャーナースの全国の活動報告、益々知りたくなります。

『看護の懸け橋奮闘記』 続きを期待しています。 (同志)

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2015年4月19日 (日)

「だから訪問看護はやめられない!」 福島は今桃の花が満開、これから梨の花そして林檎の花が咲きます。 ← (2011-12.「ここさこらんしょ」の同志からのメッセージ)

むっちゃんとは5年来のお付き合いでした。リウマチをメインに糖尿病、甲状腺機能低下症、肝硬変と長年の通院生活。インシュリンの自己注射が困難になり、朝、夕食前の注射で訪問開始になりました。

ちょっと厳しい目つきで訪問看護師を出迎えてくれます。お嫁さんがお休みの日は、お嫁さんが注射。お嫁さんと二人三脚で血糖コントロール、しかし次第に血中アンモニアが高値となりADLも低下していきました。診療所にレスパイト入院を利用しながら、在宅療養を続けていました。今年の正月を迎えた頃から意識レベルが低下していき、食事量が減ってきました。そして、その日は目前でした。お義母様を自宅で看取りたいとの思いは一貫していました。


前日、昼過ぎ緊急の電話が入りました。呼吸がおかしいとのこと、不規則で努力呼吸、むつ子さんと声をかけると、一瞬目を開けたような・・・「きっとその時をむつ子さんは自分で決めて、旅立たれると思いますよ、今ががんばり時、旅立ちの準備をしましょう」と声をかけて帰りました。その後お嫁さんは、旅支度を。着物好きだったお義母のために着物を選び、帯を選び、扇子を選びました。一つ一つ思い出をたどりながら選んだそうです。

そして、その晩息子さん、春休みで帰宅された大好きなお孫さんと家族4人で一晩ベットサイドで思い出を語り明かしたそうです。翌朝、出勤しようとした息子さんをお嫁さんは留めました。その30分後、むっちゃんは3人に見送られながら旅立ちました。「呼吸が止まったようです。」の涙の電話に訪問しました。 淡いグリーンの春にふさわしいお着物でした。素敵な帯、お茶の師範だったむつ子さん、扇子も素敵! また今年素晴らしい思い出をいただきました。     

だから訪問看護はやめられない!

 福島は今桃の花が満開、これから梨の花そして林檎の花が咲きます。むつ子さんもはるか彼方から見ていますよね!(保)

❀~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~✿ 保さん、メッセージをありがとう!

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2015年4月11日 (土)

【おすすめの本】「果てしなく続く医療福祉の道~川﨑祐宣の思想に学ぶ」(日本医療企画) この1冊を自分では手にできなかった江草安彦氏、その情熱が伝わってくる

はじめに   医師には思想が求められる。  この言葉から始まっています。

社会福祉・医療福祉・教育の三分野に独創的な視点で取り組み、多大なる実績を遺された川﨑祐宣先生を生涯の恩師とし、自らを「川﨑イズムの伝道師」という江草安彦氏、今は亡き川崎医療福祉大学名誉学長の監修本です。

「自ら手掛けたこの1冊を手にとっていただくことができなかったのが残念で・・」と、日本医療企画の林社長がしみじみとおっしゃいました。

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<一部紹介>
第1章 医療への取り組み  ◎医師は職業ではなく、行き方である。 ◎冷えた食事が食べられるか、それを確かめるのが理事長の仕事です。◎病院は患者のためにある。従業員のためにあるのではない。◎まず患者さんの心を探り、あとで病気を診なさい。   

第2章 福祉への取り組み  ◎あるべきものがないのだったら、それを自らつくろう。◎「現場がいちばんの学校」である。

第3章 教育への取り組み  ◎背筋を伸ばしてものを言え!◎医療と福祉のサービスは、融合して提供すべきである。◎人は、心に響き合う者を信頼する。

第4章 医療福祉に取り組んだ人生  ◎世の中を変えるには、まず自分が変わらなければならない。◎一度得た恩義はけっして忘れない。◎川﨑祐宣は二人といない最良の師である。

川﨑先生の教え方は、常に実践的だった。

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2015年4月 3日 (金)

北日本は大荒れ、東京も花散らしの強風です。

新年度も始まりお忙しいことと思いますが、お変わりございませんか。

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今年の花見は買い物の行き来に通る自宅近くの黒目川沿いの桜。

ちょっと足を延ばせば柳瀬川回廊、全生園(ハンセン病療養施設の入園者が敷地内に植えた)など桜の楽しめるところは近くに沢山あるのですが、今年はその気分になれず、でした。

私は日本人なんだろうナなんて勝手に思っています。

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2015年4月 1日 (水)

年度の初めに 今日はApril foolだけど、…だったの?とならないように・・・。

4月1日、また新しい年度がスタートした。

桜も一気に満開。今年は近くの川沿いの桜で花見気分を。

今日はシステムの設立記念日。おめでとうございます。若い人たちが頑張っているようで心強いですね。

 

昨日と今日、どこが違うか。入社式、入学式(1日に式だけする学校もある)等々、街には新しいスーツ、制服を着た若者たち…、外界に出ればその違いを感じられるだろう。

しかし、毎日が日曜日、引きこもりがちの身にとっては、1231日と元旦の、新年を迎えるのとは「度」という一文字がつくだけで全く異なる。もっとも比較することが無意味なことだけど。

いつものことだが、“負”への前向きがさらに進んでいる。昨日の東京都知事の報道でまた一歩進んだ。だがそう言いながらも“正”へのこだわりがあることも否めない。まあ深刻ではない、いい加減だ、ということだろうか。

「度」を感じないと言うものの新年度から実行しようと考えていることがある。“正”へ向けてのささやかな行動だが…。

 

「苟(まこと)に日に新たに、日日に新たに、又日に新たなり」
中国の古典・大学に記載された殷の湯王の言葉。この言葉を洗面手洗いの盤に刻み毎朝顔を洗う際繰り返し読んで自戒したとのこと。土光敏夫氏をはじめ多くの方が座右の銘としているそうだ。

今日よりも明日と、日々よりよくなるように 行いを正していかなければならない、ということ。

三日坊主、飛びつき症候群の己にとって「続ける」は厳しい。しかし、今日より明日と、日々の向上は望まないまでも現状を維持するよう行動を正していかねば、と年度初めに心した次第である。

今日はApril foolだけど、…だったの?とならないように・・・。(Y.I

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「今日が一番若い日」、父の口癖でした。新春シンポの一コマ、みんな若い!こんな時もあったのよー・・・いつもありがとう!(村松) 

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コラム「医師として、武士として」  Vol.54離婚  安藤 武士 Andou takeshi

1941年、新潟県生まれ。1967年、新潟大学医学部卒業後、医師登録と同時に外科研修を開始。72年、呼吸器・心臓血管外科を専攻後、80年より、心臓血管外科部長として日本赤十字社医療センターに勤務。87年より職域病院部長、2001年より職域診療所所長、2010年より佐野市民病院健康管理センター所長、そして現在は、医療法人社団東華会・介護老人保健施設たかつ施設長として活躍。労働衛生コンサルタント・スポーツドクター(日体協)・健康スポーツドクター(日医)・認定産業医(日医)の資格を持ち、これらの5つの顔を絶妙な味で使いわける医学博士である。身体の大きさと、豪快な笑い・笑顔には、その人柄と存在感をより強くアピールする何ものかが潜んでいる。やはり'武士'にして"武士"ここにあり。

>>>>バックナンバー(Vol32以降) 

>>>>バックナンバー(Vol31まで) 

 

Vol.54 2015.3.28離 婚

 日本の総人口は総務省、総死亡数、死因、婚姻数、離婚数は厚生労働省、離婚原因は法務省が把握している。

昨年の12月 1日現在の総人口(概算値)は1億2707万人(男性6179万人、女性6258万人)となっている。50歳から女性の総人口が男性より多くなっている。総死亡数は、126万8436人で、死因の第一位は悪性腫瘍、37万人である。

婚姻数は660、613組、離婚数は231、383組、離婚は平成14年の289、836組をピークに減っているが、現在、3組に1組は離婚していることになる。

離婚の話しである。離婚数は厚生労働省が把握しているが、離婚原因は法務省であることは先に記した。日本の人口動態(広義)を知るには、総務省、厚労省、法務省の資料を見なければ把握できない。複雑である。

離婚形式には、協議離婚、調停離婚、審判離婚、裁判離婚があるとされている。裁判離婚の場合、民法770条が適応されるので、興味のある方は六法全集を開いていただきたい。

 

本題にはいる。小生の4年後輩の外科医の山田君(仮名)は、小生も所属していた研究室の研究助手の女性と結婚した。小生は、ご夫婦をよく知っていることになる。8年程、山田君は研究室におり、その後、市中病院の勤務を経て、故郷の田舎に診療所を開設した。周囲は田畑だけと聞いている。診療所は山田君の故郷の自宅からそう離れていないが、24時間体制で診療をしていたので、いつもは診療所に泊まり、時に自宅に帰り洗濯物を持ち帰るという生活が続いた。診療所を生活の場としながら地域の医療活動に専念した。住民から“赤ひげ先生”と言われるまでになり慕われた。東京にいる小生にも手術患者を紹介してきたことがある。

毎年、「季節の便り」のやり取りしていたが、途絶えたので自宅に電話を入れた。研究室にいた奥様の声がした。「山田先生から便よりがないが、相変わらず、元気に飛びまわってるの?」と尋ねた。時間が空いた。暫くすると、離婚した。財産分与で調停中であるとの返事があった。驚いた。どうしてと尋ねたら、30数年間、ご主人は、昼夜を問わず診療をしいたので住民から“赤ひげ先生”と慕われており、奥様も誇りに思っていたという。数年前、奥様の実家の両親、ついで同居しているご主人(山田君)のご母堂さまの介護が必要になってから、一人っ子である山田君は診療所より帰えるたびに、ご母堂さまの介護が悪いと奥様を叱責し、また子供達にもあれこれ言い、診療所に戻るという生活が続いた。それでも、奥様は、ご主人を支えたという。山田君のご母堂様が亡くなった。長年続いた重圧から解放された。

山田君は、「患者が待っている。父親と思うな。好きなことしなさい。」と子供達に言ったきり、数ヶ月も帰ってこないという生活が繰り替えされた。

奥様は、お子さん(と言っても大学生)たちと新しい生活を持った。奥様は仕事を始め、近所付き合いも盛んにするようになった。ご主人先生を誇りに思っていた30数年間の生活と全く異なった生活を楽しむようになった。“赤ひげ先生”のことは、家族の精神生活に入らくなっていた。 ある日、“赤ひげ先生”が突然帰ってきた。緊張が走った。奥様は、離婚を申し入れた。

 

小生も、断続的にではあるが10年程、単身赴任の生活が続いた。山田君の奥様の話を聞き、慌てて自宅からの勤務に戻った。今、久しぶりの電車通勤を味わっている。息抜きの時間である。(完)

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