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2015年7月13日 (月)

コラム「語り部通信」Vol.7 『わたしが・棄てた・女』『沈黙』『深い河 ディープ・リバー』まで ――遠藤ボランティアグループ誕生の源流をさぐる―― 原山建郎(Harayama Tatsuro) 

『わたしの健康』編集者時代、私は作家・遠藤周作さんの「からだ番(小説の担当でなく、健康雑誌の対談担当)」記者でした。遠藤ボランティアグループは、遠藤さんが1982年に提唱した「心あたたかな医療(病院)」キャンペーンをきっかけに誕生しました。
 その後、私は遠藤さんの小説『わたしが・棄てた・女』(1964年)や『沈黙』(1966年)、最晩年の『深い河 ディープ・リバー』(1993年)に、「心あたたかな医療」のモチーフや「病院ボランティア」呼びかけの伏線に気づきました。そして、晩年は仏教の生命観やユング心理学にも引かれた遠藤さんの死生観の考察も含めて、メルマガ『トランネット通信』の連載コラム「編集長の目」(118122回)に、400字詰め原稿用紙にして約70枚という、いささか長尺の拙文を寄稿しました。
 何回かに分けて、遠藤ボランティアグループ誕生の「源流をさぐる旅」に出ましょう。
 

. 『わたしが・棄てた・女』    1971年秋、入社五年目の私は、翌年の『主婦の友』新年号から始まる遠藤周作さんの対談シリーズ担当を命ぜられた。遠藤さんは代表作のひとつ『わたしが・棄てた・女』を、1963年の『主婦の友』に連載(1964年に文藝春秋新社から単行本化)したことがあり、当時の小説担当だった先輩記者・関口昇さんが、新前記者の私を遠藤周作番に推挙してくれたのだった。  関口記者が担当した『わたしが・棄てた・女』は、ひたむきで純真な主人公・森田ミツ、かつて強引に彼女の体を奪い、そして棄てた男・吉岡努の生き方を描いた作品である。

 ある日、吉岡が偶然再会したミツは、まだ彼を一途に愛していた。しかし、彼女にはハンセン病の疑いがあり、これから精密検査のために御殿場の病院に行かなければならないと涙を見せる。おざなりの慰め言葉をかけた吉岡は、逃げるようにその場を立ち去った。
 その後、勤め先の社長の姪・三浦マリ子と結婚した吉岡だったが、なぜかミツのことが気になって、病院に年賀状を送ると、返信の代わりにひとりの修道女から手紙が届いた。
 その手紙にはミツのその後の様子が書かれていた。精密検査の結果、ハンセン病でないことが判明したミツは、はじめは喜んで東京に帰ろうとしたのだが、やがてハンセン病の患者としてではなく、奉仕の生活を送る修道女たちの仕事を手伝うために、再び御殿場の病院に戻った。そこには好きな流行歌を口ずさみながら、病院の厨房や配膳を手伝うミツの充実した日々があった。しかし、手紙の最後には、ミツが交通事故で亡くなったこと、ミツが最後に遺した言葉が「さいなら、吉岡さん」だったことが記されていた。

 主人公の森田ミツは、実際にハンセン病と診断されながらも誤診で、のちに看護婦になった経歴を持つ女性・井深八重がモデルである。隔離入院させられた八重は、誤診が判明したのちも病院にとどまり、やがて看護婦の資格を得て、御殿場市にある「神山復生病院」の看護婦長として献身的な看護にあたり、生涯をハンセン病患者の奉仕に捧げたという。

 『わたしが・棄てた・女』の主人公・ミツは、容態が悪化したハンセン病の子ども(壮ちゃん)を看病しながら、「壮ちゃんが助かるなら、自分がどんなに苦しくても辛抱する」とつめたい木造病棟の床にひざまずいて祈るが、その甲斐もなく子どもは息を引きとる。ミツは「あたし、神さまなど、あると、思わない。そんなもん、あるものですか」とひどく嘆く。さらに、「神さまがなぜ壮ちゃんみたいな小さな子供まで苦しませるのか、わかんないもの。(中略)子供たちをいじめるものを、信じたくないわよ」とミツに言わせている。
 このモチーフは、やがて1980年代に、遠藤さんが「心あたたかな医療」キャンペーンを始めるきっかけになった遠藤家のお手伝いさんの死にも重なってくる。
 当時二十歳代で骨髄ガンに罹った彼女は担当医から余命一カ月と家族に告知され、それでも治療とは関係のない採血だけはつづけられた。
 実は同じころ、遠藤さん自身も上顎ガンの疑いをもたれ、精密検査の結果がどう出るか、不安な日々をすごしていた。遠藤さんは本人にはガンと告げずに励まし、病院には不必要な検査をやめてほしいと交渉した。しかし、病院からの答えは「今後のガン治療の参考になる血液データをとるため必要です」と、にべもない。

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