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2015年8月29日 (土)

コラム「医師として、武士として」  Vol.72親 族:争いの遺伝子   安藤 武士 Andou takeshi

Vol.72 2015.8.29親 族:争いの遺伝子(3)

2万8千年ほど前、地球の孤児になった、我々、ホモ・サピエンスの歴史である。人類の歴史をおさらいしながら話を進める。 

500万年前、アフリカでゴリラ、チンパンジー、ピグミー、ボノポから別れ将来「ヒト」となる「猿人」が誕生した。その一部は、アフリカ大陸を南北に走る大地溝帯の西側の熱帯雨林帯に生息した。東側に残された「猿人」は、狩猟採集民として獲物を求めて草原を移動しながら狩猟・採集生活に有利な二足歩行を始め草原の暮らしに適応できる能力を身に着けた。初期人類は、生息に適した土地を求めてアフリカの北東部に移動した。更に、170万年前、「猿人」から進化した「原人」と言われるホモ・エレクトスや、20万年前出現した「旧人」ネアンデルタール人の一部は、北アフリカ、シナイ半島、南ヨーロッパ、西アジアに移動した。アフリカからの脱出したのである。 

アフリカの北東の片隅に残った我々の祖先集団は、5000人ほどの集団に減り他の集団と争いながら生息していた。最終氷河期にあたる5万年前、「新人」と言われる我々のご先祖様であるホモ・サピエンスの内、幼児を含めた150人がその生息地を抜け出し、シナイ半島を経由し、まず、東アジアを沿海ぞいに移動、次いで東南アジア諸島を経てオーストラリア大陸に渡った。アフリカからの二次脱出である。ホモ・サピエンスの生まれ故郷は、現在の所、アフリカの北東に位置する「エチオピア」が最有力候補である。 

更に、東に向かい氷河で埋め尽くされたベーリング海をわたり北アメリカ、南アメリカへと移動し全世界にホモ・サピエンスが拡散した。もともと、狩猟・採集人種であったが、各地で「定住人種」となった。180万~170万年前に東アフリカから脱出し、既に定着していた先住民のホモ・エレクトスと壮絶な戦いがあったことは容易に想像される。彼らは7万年前絶滅した。人類、最強と言われる兄弟・姉妹にあたる南欧のネアンデルター人と闘い28千年前、我々は勝ち残った。 

世界各地に進出したホモ・サピエンスは、各地で定住し新たな集団を作った。アフリカ、ヨーロッパ、東アジヤ、東南アジヤ、南北アメリカなどである。定住するにしたがい「家族」が社会集団の基本単位となった。その集団のなかに血縁関係、性、年齢を基に序列をつけ男性が政治的に支配するようになる。社会をまとめているのは血縁関係であり、身内だけに目をかけるようになる。定住により資源の奪い合いになる事は容易に想像がつく。生き残りをかけた「基本単位」の縄張り争いが一層激しくなった。 

猿人が、500万年前、2足歩行を始め狩猟・採取民になり、さらに「定住人種」となってから生き抜くために他の「人種」や「集団」と争い、今日の現世人類(ヒト)になったのであるから「力」による紛争の解決は「本能」になっていたのである。「争う遺伝子」が「ヒト」に刷り込まれたことになる。 

「遺伝子」は固定していない。「突然変異」、「自然選択」、「遺伝的浮遊」と言われる現象で常に変わる。「遺伝子」が変われば徐々にではあるが「ヒト」そのものも変わる。変化した「環境」に変化した「遺伝子」が適応したことを「進化」と定義されるので、「ヒト」の生き残りに絶対というものはない。「環境」と「遺伝子」のかね合いで生存できた「生物」が、現在の「ヒト」なのである。 

戦争による死亡者は、19世紀は1940万人、20世紀は1億8千万人と言われる。500万年前から、今日まで、「戦」で亡くなった人の数は分からないが、20世紀は決して少ない数ではない。 

北東アフリカから5万年まえに脱出した我々、ホモ・サピエンスは現代人の「遺伝子」を遡ると、Y遺伝子は唯一人の男性に、ミトコンドリアDNAは男女問わず一人の女性に集約されると言われている。現在、地球上には、5億1千Km2の世界に73億人が生息しているが、我々は「生物学的親族」なのである。「争う遺伝子」が、「平和の遺伝子」に代わるのは何時であろうか。(完) 

[参考資料]

1. ニコラス・ウェイド著 安田喜憲監修:5万年前:(株)イースト・プレスト、2008年

. 戦争の被害者 :http://matsusiti.tumblr.com/post/2149584056/ 

3.人類の進化:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E3%81%AE%E9%80%

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2015年8月27日 (木)

看護の力が拡がって、一人でも多くの人の心が救われれば【メッセンジャーナース通信 2015.8.27 No.102】を配信されました

827日、メールマガジン「メッセンジャーナース通信」の102号が発行されました。今号は、岡山でも研鑽セミナー開催の準備が進んでいること、各地で活動するメッセンジャーナースの様子や考えの発信・同志の交流、『開業ナースのエッセンス「暮らし」に伴走する看護のすすめ』の紹介や読後感想等々、盛りだくさんです。

 

10月17日の栃木での総会準備は、県内の同志の輪を集会によって着実に拡げている栃木勢によって着々と進められています。

購読登録が未だの方はこちらからできます。
 ⇒ http://www.mag2.com/m/0001196132.html

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2015年8月25日 (火)

コラム「医師として、武士として」  Vol.71親 族:争いの遺伝子   安藤 武士 Andou takeshi

Vol.71 2015.8.25親 戚:争いの遺伝子(2) 

前号で、「お寺の過去帳」で自分のルーツを知ることが出来るが、現代では遺伝子解析で「親族」のことは無論、「全人類の血のつながり」を知ることができるようになったことを記した。

 

以下は、長い歴史を経て得られた考古学的知見から、現代科学の遺伝子情報で確認された事実を、関係書を参考に人類の歴史を簡潔に記す。無味乾燥な言葉の羅列であるが、文章に起承転結を付けねばならず、お付き合いいただきたい。

500万年前、チンパンジーと別れ「人類」のルーツである「ヒト亜族」に属する「猿人」から、時を経て「現世人類:新人」と言われるホモ・サピエンスが誕生した。我々である。

「ヒト亜族」は、アルディピテクス属、アウストラロピテクス属などを初めとする数種の「猿人」からなるが、我々は、「アウストラロピテクス属」から進化した「ホモ属」に属し、「ホモ属」から「原人」と呼ばれる数種の「人種」が誕生した。40万年から25万年前、ホモ・ハイデルベルゲンシスという「原人」から「新人」と呼ばれる、我々、ホモ・サピエンスが誕生したのである。従って、ホモ・ハイデルベルゲンシスは我々の親筋にあたる。

我々の祖先であるアウストラロピテクス属を「幹」とする「人類の系統樹」を見ると、環境に適した「枝葉」はすくすくと育ち、ある「枝葉」からまた新らたな「枝葉」が伸びているが、成長せず枯れた「枝葉」が多くみられる。人種間、身内同志の「争い」や「遺伝的要因」で枯れてしまったのである。絶滅したのである。

「人類の系統樹」を見ると500万年で20数種の「人種」が生存していたことが分かる。現在、我々、ホモ・サピエンスが最上位にいる。180万~25万年生存していた原人ホモ・エレクトスは、我々の大叔父・大叔母に当たり、アフリカを脱出し北アフリカ、欧州、中央アジア、東アジアに生息した。約70万~60万年前に誕生した旧人ネアンデルタール人は兄弟・姉妹にあたり、アフリカを脱出し中東、地中海沿いの南欧を縄張りとした。

ホモ・エレクトスは中東地区で20万年前、他の地区では7万年前に絶滅した。ネアンデルタール人も28千年前にホモ・サピエンスと争い絶滅した。結局、最後に残った「ヒト」が、我々、新人ホモ・サピエンスである。我々は、親族である大叔父・大叔母、兄弟姉妹との生存競争に勝ったが、地球の孤児になってしまったのである。環境の変化に適応する能力に優れ、知能が他の親族より長けており、「戦」上手であったからと言われている。

良く知られている「ジャワ原人」は、ホモ・エレクトスに属し、180万~170万年前にインドネシアのジャワ島に生息していた。「北京原人」もホモ・エレクトスに属し78万~68万年前、存在したと言われる。同族という事になる(続く)。

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2015年8月22日 (土)

コラム「医師として、武士として」  Vol.70親 族:争いの遺伝子   安藤 武士 Andou takeshi

1941年、新潟県生まれ。1967年、新潟大学医学部卒業後、医師登録と同時に外科研修を開始。72年、呼吸器・心臓血管外科を専攻後、80年より、心臓血管外科部長として日本赤十字社医療センターに勤務。87年より職域病院部長、2001年より職域診療所所長、2010年より佐野市民病院健康管理センター所長、そして 現在は、医療法人社団東華会・介護老人保健施設たかつ施設長として活躍。労働衛生コンサルタント・スポーツドクター(日体協)・健康スポーツドクター(日医)・認定産業医(日医)の資格を持ち、これらの5つの顔を絶妙な味で使いわける医学博士である。身体の大きさと、豪快な笑い・笑顔には、その人柄と存在感をより強くアピールする何ものかが潜んでいる。やはり'武士'にして"武士"ここにあり。

               

Vol.70 2015.8.21 親 族:争いの遺伝子(1)

新聞の死亡欄に、「近い親族で『密葬』を行った。」という記事がよく目に付く。「密葬」は、近親者で行う葬式であることであることは想像がつく。「親族」は、血縁関係にある人と漠然と理解しているが血の繋がりがどの範囲までの人を「親族」と言うのか分からない。国語辞書では、「親族」は血筋(自然血族)や縁組(法定血族)によってつながっている人々とある。 

社会的規範は法律を見る必要がある。明治29年に制定された法律89号(民法)、第4編、第725条には「①6親等以内の血族、②配偶者、③3親等以内の姻族」と「親族」の範囲が規定されている。 

6親等以内とは、自分の「直系」では「曾おじいさんの曾おじいさん、子、孫、曾孫、玄孫、来孫、昆孫」までと世代の幅は広い。「兄弟姉妹、甥姪に続く6親等以内」も親族であるが、「直系」に対し「傍系」と言われる。 

「姻族(姻戚)」は、婚姻により親族となった者で、夫からみて妻方の3親等内の者(曽祖父母、兄弟、甥姪)と定められている。「姻族」は、俗に「義理の・・・」と表現される人達である。 

「親戚:しんせき」と「親類:しんるい」は「同義語」で、共に4親等以内の「血族」と3親等以内の「姻族」を指すと何かに記してあったが民法の規定にはない。それ以外に、尊属(先祖)、卑族(子孫)という言葉もある。民法に定められている「親族」は、安定した国の運営を図るため、国民を社会的規範(法律)で束ねている国の基本である。 

「近い親戚」、「遠い親戚」という言葉もある。「近い親戚」は、雑駁に言うと「直系」では4親等内(曾おじいさんの親、兄弟と甥姪、その連れ合)、「姻族:姻戚」では連れ合いの3親等内を「近い親族」というのであろうか。これも規定する「法」はない。 

本邦の人口は、12千万人余であるが、身内と呼ばれる「親族」は、意外と大人数で、数百人、殊によると千人近くなる親族もあるのではないか。国が、多くの「親族」を国民として束ね主権国家の基本としている。 

社会を構成している人を、大雑把に「他人」と「身内」とに分けると、「他人」や「身内」でも「いがみ合い」や「骨肉の争い」が起こるのは日常茶飯事である。古来、地域集団で争い勝利者がその地域を支配する。日本では、物部氏と蘇我氏、平将門と朝廷、源氏と平氏との争いが物語っている。 

今も、国、宗教の違いでどこかで争いが起きている。最近では、同族会社の経営争いが世間を賑わしている。争いは「人類」の生まれ持った「性」、「争いの遺伝子」を持っているのであろうか。 

「親族」のつながりは、社会的には菩提寺の「過去帳」で知り得るが、2003年、生命の設計図である遺伝子本体の「DNA」に書き込まれている遺伝子情報が解明されて以来、生物学的「親族」を知ることが出来るだけではなく、「全人類の血のつながり」を知ることができるようになった(続く)。 

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【起業家ナースのつぶやき】Vol..58看護師の意識が変われば看護の心髄が蘇る その3

Vol.58 2015.8.22      vol.1-vol.45 ⇒ こちら 

30年とはいえ、よくもまぁ次から次へとやってきたものだ。我ながら感心する。しかし求めていることは一貫して変わっていない。ただ1つ、看護師が本来の看護をあたり前のように提供すること。それだけで救われる人がどれだけいることか。つまりは、あたり前のようにできていないと言われる、周囲の声が虚しく響くからである。

詳細は⇒ 看護コンサルタント

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2015年8月18日 (火)

「開業ナースのエッセンス」を拝読  看護は、実践なくして、語れない、改めて実感!

遅くなりましたが「開業ナースのエッセンス」を拝読しました。
実践なくして、語れない、改めて実感した次第です。感動しました。ありがとうございます。

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2015年8月16日 (日)

【起業家ナースのつぶやき】Vol..57看護師の意識が変われば看護の心髄が蘇る その2

Vol.57 2015.8.16

センターを開設して半年たったある日、2人の男性がセンターの小さな事務所にやってきた。そして言った。「これからはシルバーサービスの時代と私たちは読んでいます。私たちは関連会社11社でそこを追究する研究グループを設けています。でも、何をどうやったら良いか、正直検討がつきません。あなたたちは看護師さんの集団です。私たちは何から行ったら良いでしょうか。一緒にできることはないでしょうか」。

看護大学づくりに加わっていた私がその大学を離れるにあたって最も悔やんだのは、研究とカリキュラム編成に参画できないということであった。そんな思いの中から誕生したのが「在宅看護ヘルパー育成プログラム」である。看護一筋の私に、かすかに芽生え始めたビジネス感覚ともいえる。在宅看護は看護と介護の連動・連鎖、在宅介護ヘルパーではない在宅看護ヘルパーという名称にこだわりながら進む私の活動は、明らかに看護の自立の方向へ向かっていた。

十数年前、呟いた「看護の自立をはばむもの」 としてはもう1つある。

その5:看護の本質はいつの時代になっても変わらない。しかし、資格をもつ看護師に求められる看護機能は明らかに変わってきている。そのため、変わらないはずの本質までもが変わってしまうような錯覚に陥ることがある。サービスとしての看護機能は今後もさらに広がり続けるであろう。そこで不可欠なのが『看護の自立』である。それは私たち看護師一人ひとりの意識と行動にかかっている。「看護師さん、あなたたちは医師のかばん持ちではありません。看護師さんには看護師さんのすることがあるはずです」と言われて17年、やっと「あなたの看護は自立していますか」と問われる時代がやってきた。受け手にしっかり向き合ってこそ味わえるプロの醍醐味がそこにはある。

私がめざしていることは今でも変わらない。看護師がその心髄を極めた看護をあたり前のように提供し、「看護師が居て良かった」と、本人・家族はもちろん、周囲の人たちにも認められることである。(続く)

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2015年8月13日 (木)

【起業家ナースのつぶやき】Vol..56看護師の意識が変われば看護の心髄が蘇る その1 ● 村松静子 Muramatsu Seiko

起業家ナースのつぶやき ● 村松静子 Muramatsu Seiko

 Vol.56 2015.8.13

看護することを心から愛してやまないが故にぶつかる壁・壁・壁。
長年に渡る自らの経験と積み上げてきた実績から、看護を取り巻く社会へ、そして看護職へ、熱く厳しいメッセージを送ります。   
         
vol.1-vol.45 ⇒ こちら

 医療現場の仕組みはこれで良いのか、これしかないのか。変えられないのか。今の時代だから問いたい!何かが足りない、どこかが狂っている、そんな気がしてならない。とはいえ、私は今なお開業ナースとして駆けている。看護のあるべき姿を求めて・・・

今から十数年前、私は「看護の自立をはばむもの」と題して、意気込んで呟いている。

その1:大きな組織を離れた私にとって、その第一の壁は「周囲からの批難、特に同僚からの批難の眼と声」であった。『看護は聖職じゃない? 看護を売るなんて、あなた気でも狂ったの? 人道・博愛の精神はどこへ行ったの?
 
看護婦は組織を一歩離れたら家政婦と同じなのよ、わかっているの? ‘浣腸だって摘便だって、結局は医療行為なのよ。看護婦の独自の機能なんてないのよ。 あなたがおこなおうとしていることは10年早いわよ
 
私たち医者は皆を平等に診ている。君たちはお金を払えない人たちにはどうするんだね
 
悔しい一言一言、そこへ返したい言葉はいくつもあった。しかし、耐えるしかなかった。
 
そんななかで、
 
あなたたちのなさることは大事なこと。看護婦さんは医師のかばん持ちではありません。 もっと、本当の看護婦として私たちを助けてください』 療養者を抱える家族の声である。嬉しかった。涙が出てきた。私の心は葛藤していた。その心を自らなだめた。 -いつかはきっとわかっていただける-

その2:続いて第二の厚い壁があった。法の壁である。-保健婦助産婦看護婦法 第37条-「保健婦、助産婦、看護婦又は准看護婦は、主治の医師又は歯科医師の指示があった場合の外、診療機械を使用し、医薬品を授与し、又は医薬品について指示をなしその他医師若しくは歯科医師が行うのでなければ衛生上危害を生ずる虞のある行為をしてはならない。但し、臨時応急の手当をなすことは差し支えない」
 
昭和23年に制定されたこれらの条項を、今の時代の流れの中でどう解釈すべきなのか、私の頭の中はその解釈のことでいっぱいになっていた。

その3:私自身の経営感覚と経営能力の足りなさという第三の壁にぶつかった。一ナースの私にとっては、これこそが最大の壁だったのである。理想はあくまで理想であり、資金が無ければ継続できない。開業して半年後、200万円の資本金が40万円しか残っていないことに気づいた私はあせった。
 
部屋代が払えなくなったらどうしよう、
 
電話代が払えなくなったらどうしよう、
 
スタッフの給料が払えなくなったら・・・頭を過ぎる不安の数々、
 
「このままでは続けられない」それが現実の姿であった。

この道30年を前に振り返り、我ながら感心した。保健婦助産婦看護婦法 第37条は少しだけ変わった。それでも私が求めるものは看護一筋の道、私にできることはこれしかないと、自問自答しつつ、寄り道せずに未解決の道をしばし歩んで行こうと決めた。(続く)

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開業ナースのエッセンス「暮らし」に伴走する看護のすすめ(㈱日本評論社 出版)のコラム欄に書かせてもらいました。「知ってほしい、看護師が知らないがん患者の思い」

開業ナースのエッセンス「暮らし」に伴走する看護のすすめ(㈱日本評論社 出版)

この本の最後のコラム欄に、
私 蓮尾久美が「知ってほしい、看護師が知らないがん患者の思い」というコラムを書かせていただきました。

一緒に活動している当理事であり、(一社)日本エルダーライフ教会代表理事 柴本美佐代さんも書かれています。 http://elder-life.org/

 

私たちは、看護師の皆さんが、医療と介護の架け橋になると、考えています。
いい地域は、いい看護師さんがたくさんいるところじゃないか?と。

詳細は⇒ こちら

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2015年8月 9日 (日)

『開業ナースのエッセンス「暮らし」に伴走する看護のすすめ』(こころの科学:日本評論社)、8月10日発売開始 すでに予約が続いて・・・看護職以外の方にこそお読みいただきたい1冊

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.伴走者としての開業ナース

 

.ともに創りあげる看護

 

.変わりゆく看護機能

 

 

 

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コラム
看護師の要件......在宅療養でよかったと思ってほしくて種々のトイレを製作中です...... 看護の本分を忘れるな...... 顔が見える専門職でありたい...... 男性が担う在宅介護...... 知ってほしい、看護師が知らないがん患者の思い...... 「お節介士」がつなぐ「かかりつけナース」、介護と医療の架け橋に...... 「おひとりさま」を生ききるには...... 在宅医療をもっと素晴らしいものへと、一緒に考えましょう......

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2015年8月 2日 (日)

8月1日・2日と、連夜TBS系で放送された、レッドクロス 『女達の赤紙』昨日の第一夜の放送を観て、改めて戦争の悲惨さは、戦争を知らない私達の想像を遥かに超える現実であったことの思いが更に強くなりました。

戦争の只中で、博愛の精神など通用しない と、過酷で、残虐な体験の中で看護師にいい放す医師の言葉が印象的だった台詞とは言え、戦争中に生きるという事は、瞬時に命の危うさと背中合わせの戦地で、人の命にどう向き合うか、苦悩の連続で常に目の前で起こる壮絶な生き様、自分の強固だったはずの信念も通す事すらままならない、命と引き換えの決断を迫られる悲惨な現実に、赤十字の看護師の使命感の根源が、その根底から覆される、その狭間で苦しむ姿が見事に映し出され、揺れ動き苦しむ心情が、観る者の胸にも苦しみに痛みが走るほどでした。

改めてクリミア戦争で果たしたナイチンゲールの救護活動と、そののちに書き残された『ナイチンゲール覚書』の価値のほどを再認識できる機会ともなりました。
又、第一夜の映像からは、戦争の中で、自国を超え、中国人も分け隔てなく、同じ人間として尊重し合う、人間らしく生きる根源と、家族を必死に守りながらも、看護師や医師としての使命を果たそうと、家族と離れ、命懸けで使命感に動かされ生きる すさまじい姿には、人間としての誇りを、画面から感じとる事がでました。

戦争が人の命や魂までも奪ってしまったが同時に命の重さも教えてくれたように感じた戦争はまさに地獄の果てに追いやられた世界だったろうと思われたが、戦争を体験した者と、語り知る者との大きな隔たりを埋める事は出来ないだろう。との想像もこの放送を通して実感の様なものを得た。

この映像から私は先生が在宅看護研究センターの立ち上げ当時から現在に至る記事に感銘を受けた事とも重なりあい特別な想いが湧き上がり、涙が止まらず
信念に従い事を成し遂げる困難さに、真っ向から向き合う人間の凄さ、素晴らしさも感じて、勇気をもらいました。

村松静子先生に与えられたナイチンゲール記章に今更ながら、さらなる納得を得た次第です

又、メッセンジャーナースの発想も、この映像のナイチンゲールの生き様が通して見えたところに通じるものがありました。

看護師として
『目の前で困っている人を放ってはおけない』ただそれだけ なのですよね村中

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