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2016年1月29日 (金)

北海道ただ一人のメッセンジャーナース、いよいよ活動?【メッセンジャーナース通信 2016.1.29 No.110】が配信されました

129日、メールマガジン「メッセンジャーナース通信」の110号を発行しました。各地のメッセンジャーナースが「このままではいけない。私たちにできることがあるはず」と、動き始めました。北海道ただ一人のメッセンジャーナース、開業医ゼロの長崎は上五島のメッセンジャーナース、福島の教育の場で、熊本の病院で、新潟・岡山・栃木・埼玉そして横浜・東京で、それぞれの持ち味を活かしながら、連携プロジェクトの形も築きつつ・・活動状況を紹介等、今回も盛りだくさんの内容です。真の看護にこだわるナース、対話重視の懸け橋・メッセンジャーナースの輪は、着実に拡大しています。

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メッセンジャーナース協会へのお問い合わせは、messenger.ns@e-nurse.ne.jp までお願いします。

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2016年1月25日 (月)

受け継がれるもの,変わるもの 看護教育「看護観の伝承」看護は変化を起こすものである「村松静子先生の電話」から受け取ったもの(医学書院) 訪問看護制度がまで発足されていない時代、在宅看護研究センターで共に歩んだ丸山育子さんの記事です。

在宅看護研究センターへの熱い思いを抱きながら、現在、福島県立医科大学の教員として学生と向き合っている彼女の考えが、医学書院の雑誌、「看護教育 2016 FEB. Vol.47 No.2」の特集 “看護観の伝承”に掲載されています。

     看護は変化を起こすものである 「村松静子先生の電話」から受け取ったもの   丸山育子
Kise1_01_2
=☆=★=☆=★=Kise2_01_5☛ 続く お手にしてお読みいただけると嬉しいです。

届いた雑誌のそのタイトルを目にした村松静子が驚かないはずがありません。実に素直なその切り口は、遠い時代と引き合わせてくれるものでした。彼女の教育観にまで流れ、繋がり、村松静子は思ったのです。心の中で呟いたのです。

「こんな形でも看護が残るんだ、看護実践を続けてきて良かった・・・育子さん、ありがとう! あなたと出会えた私は幸せ! いつかゆっくり語り合いたい」と。

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2016年1月 6日 (水)

28都道府県83名で新たな年を迎えました【メッセンジャーナース通信 2016.1.6 No.109】を配信されました

16日、メールマガジン「メッセンジャーナース通信」の109号を発行しました。今号の最初のニュースは、何と言っても、メッセンジャーナースたちの声。年が明けて、決意と共に、新たな動きや繋がりがより強まって来ている様子が伺えます。また、第11回研鑽セミナーが東京と共に岡山での開催が決定し、その準備が着々と進められている様子。さらには、安藤武士審査委員のコラムやおすすめの本、研鑽セミナーのお知らせ等、盛りだくさんです。真の看護にこだわるナース、対話重視の懸け橋・メッセンジャーナースの輪は、着実に拡大しています。

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2016年1月 2日 (土)

コラム「医師として、武士として」 Vol.76子育て 安藤 武士 Andou takeshi

1941年、新潟県生まれ。1967年、新潟大学医学部卒業後、医師登録と同時に外科研修を開始。72年、呼吸器・心臓血管外科を専攻後、80年より、心臓血管外科部長として日本赤十字社医療センターに勤務。87年より職域病院部長、2001年より職域診療所所長、2010年より佐野市民病院健康管理センター所長、そして 現在は、医療法人社団東華会・介護老人保健施設たかつ施設長として活躍。労働衛生コンサルタント・スポーツドクター(日体協)・健康スポーツドクター(日医)・認定産業医(日医)の資格を持ち、これらの5つの顔を絶妙な味で使いわける医学博士である。身体の大きさと、豪快な笑い・笑顔には、その人柄と存在感をより強くアピールする何ものかが潜んでいる。やはり'武士'にして"武士"ここにあり。

Vol.76  2016.1.2 「子育て」

 「子育て」には手がかかる。大変である。だからこそ一層、愛らしく感ずるのではなかろうか。

 過年の3月頃の話である。夜、11時過ぎ、小生宅の玄関のチャイムが鳴った。家人はすでに床に就いていたので、小生が対応した。ドアを開けると、小さなダンボール箱を持ったご婦人が、「玄関先に置いてありました。」と言って、小生に蓋のないダンボール箱を差し出した。反射的に受け取った。ご婦人は、何も言わず立ち去った。

 居間でダンボールの中を覘いた。3匹の臍の緒が取れたばかりの眼もまだ開いていない赤ちゃん猫が、底にうごめいていた。

 すぐ、家人を起こした。家人は、「またぁ~。」と言って、どこからかぼろタオルを持ち出し、赤ちゃん猫を包み、粉ミルクと猫用哺乳瓶を用意し一匹づつミルクを飲ませた。赤ちゃん猫は必死に乳首に吸いつき、満足すると吸い付くのをやめた。家人は、3匹の哺乳を終えた後、ダンボールの底に“ぼろきれ”を敷き詰め、赤ちゃん猫が温まるように寝つかせた。

小生が「どうする?」と尋ねると、家人は後かたづけをしながら「仕方がないじゃない。」と眠そうに言った。一段落し、これからの事を打ち合わせた。3時間ごとに哺乳しなければならないことを知った。夜11時に始めたから、次は午前2時、5時となる。結局、夜の8時、11時、午前2時の保育は小生が担当することになった。猫用哺乳瓶の使い方は慣れていないと難しいので、小生はミルクを注射器で目薬瓶に入れ哺乳ビンとした。哺乳が終わり下腹部をさすると勢いよく放尿する。これが赤ちゃん猫の「子育て」の基本である。

 数週間たつとダンボールの中を処せましと駆けまわるようになった。ダンボールは次第に大きなものが必要になった。餌(家人は食事と言っている)もミルクから缶詰のペットフードになった。「トイレ」の躾を始めた。応接間の床に数枚の新聞紙を敷き、その上にバスタオルを置く。赤ちゃん猫は当初は勝手な所で用を足すが、しばらくすると同じところでするようになる。自分の臭いで分かるのである。

 用を足したタオルの部分を切り取り、小さな箱に「猫砂」と一緒に入れておくと赤ちゃん猫は、時にはおそそもするが自分の臭いのする「猫砂トイレ」で用をたすようになる。「トイレ」の躾の完了である。

 「生後3週、トイレ可、予防接種済」などの情報を添え書きした「赤ちゃん猫の写真」を通りに面したガラス窓に貼り付け貰い手を待った。2匹の貰い手は直ぐついたが、一匹はなかなかなかった。2ヶ月も経つと家中を駆け巡り、小生が帰ると玄関で足にまとわりつくようになった。可愛い。心の中で「クロ」と名付けた。家人は、すでに家猫もいるし2匹はだめと言っているが、このまま家で飼っても良いかなーと貰い手がないことを願うようになった。日に日に可愛さは増した。帰宅が楽しくなった。

 とある日、家に帰ると何時ものようにとびつく「クロ」がいない。「どうしたの?」と家人に聞くと、「貰い手があったの。猫砂と缶詰を付けて渡したの。良かったわ。」と喜んでいた。

小生の「子育て」は終わった。(完)

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