« 在宅看護研究センターの30周年に参加して、看護の柱の一つは特定看護師のようにフィジカルアセスメントの強化、そしてもうひとつはメッセンジャーナース、つまり心のケアができる看護ではないかと考え始めました。 | トップページ | 30年の歴史、看護の世界、まだまだ深いですね。看取ったご家族が、お祝いに駆けつけてくれる。我々は未だ、みなさんのような末永い絆にはなっていません。 »

2016年5月11日 (水)

在宅看護研究センター30周年、懇親会の席 遠藤ボランティアグループ代表・原山建郎氏のスピーチを一部ご披露

遠藤ボランティアグループを代表して、心からお祝い申し上げます。私ども遠藤ボランティアグループは、作家の故遠藤周作さんが、1982年4月、讀賣新聞夕刊で提唱した「心あたたかな病院(医療)」キャンペーンから生れた病院ボランティアグループです。最初は6人の女性メンバーで発足し、あれから34年がたった現在もなお、約50人のメンバーが8つの病院・介護施設において、「傾聴」ボランティアをめざしながら活動をつづけております。

本年は、遠藤さんの没後20年の年ですが、遠藤さんの「心あたたかな医療」キャンペーンをしっかり支えてきたのは、在宅看護研究センターの村松静子さんなどプロナースの皆さん、在宅ホスピス医・内藤いづみさん、大腸肛門科の女医・山口トキコさん、そして遠藤ボランティアグループのオール女性メンバー、すべて女性のちからです。今夕は、在宅看護研究センターとの「遠藤周作つながり&心温まる医療」というご縁を手がかりに、いくつかお話をさせていただきます。

遠藤さんと「ナース(看護婦さん)」をめぐるエピソードを、二つ、ご紹介します。

1955年、『白い人』で第三十三回芥川賞を受賞した遠藤さんは、1960年に肺結核が再発し、その後3年間の入院生活を経験されます。翌1961年、38歳のときに、慶應病院で三度の大手術を受けました。三度目の手術のときには、一時、心臓停止の危機を迎えましたが、奇跡的に手術は成功します。長期入院を余儀なくされた遠藤さんは、夜になると術後の痛みがはげしくなり、看護婦さんに助けを求めました。「おつらいでしょうね」と言って、看護婦さんは、遠藤さんの手をそっと握ってくれたのです。すると、その痛みが少し薄らぎました。「痛みを一人で耐えるのではない。痛みを共有してくれる人が、そばにいてくれる、その安堵感がからだの痛みをやわらげてくれた」というエピソードを、直接うかがったことがあります。

もうひとつは、あるとき、遠藤さんが入院中にお世話になった看護婦さん三人を、食事に招待したときのことです。レストランに向かう途中、車がネコを轢いたのを見た看護婦さんの一人が「キャーッ」と悲鳴を上げて、思わず顔をおおいました。遠藤さんが、「あなたは手術場の看護婦さんだから、血を見ても平気なはずでしょう」と言うと、「手術場は病院で、ここは病院じゃないんですもの」と答えたのだそうです。つまり、日常的な神経(生活での日常感覚)と病院の中での神経(病院での日常感覚)とでは、その場の環境、役割意識によって感覚が異なるわけで、たとえば「病院の日常」では、医療スタッフが気づかぬうちに患者に無用の苦痛や屈辱を与えていることも、案外多いのではないか、というのです。

 

「入院患者の苦しみというのは、結局、孤独感です。とくに慢性病や末期の患者さんは、夜が苦しい。五時の夕食のあとは、検査もない、見舞い客もいない。じっとしているだけです。そのとき、ぐちを聞いてくれるだけのボランティアというのはできないでしょうか」

たとえば、病室での身の回りのお世話、車椅子でのお散歩を介助しながら、患者の話を聞く、それが自然体の〈傾聴〉ボランティアではないだろうか、そういう病院ボランティアがあってもいいのではないか、遠藤さんは素朴にそう考えていたのです。

しかし、友人の河合隼雄さんから、「ほんとうのボランティアというのは、非常にむつかしい。ボランティアというのは、善意によって人を傷つけるという、まさに天才的なことをやることがある。これがいちばんこわいですね。傷つけられたほうはわかるけど、傷つけたほうは喜んでいるわけですからね」と指摘された遠藤さんは、「そうなんですか。それを私は考えとったんだけど、ボランティアはむつかしいんですか」と、思わずたじろぎました。

すると河合さんは、「たとえば私が遠藤さんの髪を散髪してあげましょうかと言ったら、断るでしょう。当然ですわな、私は髪の刈り方よう知らん人間ですから…… 髪をさわるだけでも相当な訓練がいるのに、なぜ心をさわる人だけが訓練を受けなくていいのか、ということを私は申し上げたい」と。この二人のやりとりは、遠藤ボランティアグループが、年に数回「傾聴」を学ぶための講座を開催し、つねに学びつつ病院ボランティアを行う、遠藤ボランティア誕生の出発点となったのです。

在宅看護研究センターが大切にされている看護の心と技」の考え方とも、相通じるエピソードですね。

 

遠藤さんは病院ボランティア活動を提唱する自分の役割について、つねづね、「ボランティアの皆さんの踏み石になりたい」と語っておられました。はじめのうちは、不安定でグラグラしていても、たくさんの人々が踏んでくれて、そのまわりに新たな踏み石を置いていけば、やがてしっかりしてくるというのです。

「捨て石にはなりたくないが、踏み石には喜んでなろう」

結核の手術で肋骨を7本もとられ、肝臓病、糖尿病、腎臓病などの慢性病に苦しめられてきた遠藤さんのことばは、いまでも私の耳の奥でやさしく響いています。 

|

« 在宅看護研究センターの30周年に参加して、看護の柱の一つは特定看護師のようにフィジカルアセスメントの強化、そしてもうひとつはメッセンジャーナース、つまり心のケアができる看護ではないかと考え始めました。 | トップページ | 30年の歴史、看護の世界、まだまだ深いですね。看取ったご家族が、お祝いに駆けつけてくれる。我々は未だ、みなさんのような末永い絆にはなっていません。 »

6)原山建郎のコラム」カテゴリの記事