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2016年7月 3日 (日)

【コラム「からだ」番記者レポート⑨】VOL.9心あたたかな、一人オーディション 原山建郎(Harayama Tatsuro) 

昭和58(1983)年5月、遠藤周作さんは、東京・南青山の平田医院で痔の手術を受け、その日に退院した。執刀医は二代目院長、平田洋三ドクターである。青山学院大学建築学科を卒業後、さらに東京医科大学で医学を修めた医師だが、ドクター・ヒップスの愛称で親しまれた、良医にして名医である。

その数カ月前、健康雑誌の連載対談『遠藤周作の「治った人、治した人』に登場した平田ドクターは、手術は即日退院(日帰り手術)をめざす、「患者さん本位の親切医療」を心がける、この二つを強調した。
たとえば、従来は開脚位が常識だった手術姿勢を、患者の羞恥心をとり除くために、平田ドクターの左利きも考慮した右側側位(右肩が下になるように横になる)に変更された。これで、患者は執刀中の医師と目を合せずに手術を受けられるようになった。
また、平田医院の玄関には、「屈んで靴を履く姿勢は、痔の痛みを増強する」ことへの配慮から、上体を支える〈靴脱ぎ石〉が設置されていた。
まず、を選択した遠藤さんだが、もちろん「心あたたかな医療」のにも注目。心強い名・良医を得たと喜ぶ遠藤さんから、「樹座の一人オーディションを受けてもらおう。平田先生にすぐ連絡を!」とご下命があった。
審査会場は、青山のとある酒場。審査員は遠藤座長、原山座員の二名。平田ドクターのみごとなピアノ弾き語りに耳を傾ける。本来なら音痴が入団の条件だが、ここは「心あたたかな」審査基準でクリア、晴れて座員となる。
かくて樹座の初舞台を踏んだ平田ドクターは、遠藤さんはもちろん多くの音痴仲間との親交を深めたのである。

昭和62(1987)年、平田肛門科医院の第三代目ドクター・ヒップスに、平田雅彦院長が就任した。三代目は、先代の診療を、早期治療で、痔は切らずに治す、「心あたたかな医療」を待合室の環境、生活指導に生かすなど、さらに大きく進化させている。
たとえば、待合室のイスは女性用男性用に分かれ、すべて正面向きなので目を合わせずにすむ。呼び出しは番号だが、診察室に入ると雅彦院長が名前を呼んでくれる。病院処方薬は中身が見えない袋に入っている、などなど。                   受け継がれる、心あたたかな医療。

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