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2017年8月22日 (火)

コラム「医師として、武士として」 Vol.86 「“呑んべい”の言い訳」(2)     安藤 武士 Andou takeshi

1941年、新潟県生まれ。1967年、新潟大学医学部卒業後、医師登録と同時に外科研修を開始。72年、呼吸器・心臓血管外科を専攻後、80年より、心臓血管外科部長として日本赤十字社医療センターに勤務。87年より職域病院部長、2001年より職域診療所所長、2010年より佐野市民病院健康管理センター所長、その後、医療法人社団東華会・介護老人保健施設たかつ施設長として活躍。労働衛生コンサルタント・スポーツドクター(日体協)・健康スポーツドクター(日医)・認定産業医(日医)の資格を持ち、これらの5つの顔を絶妙な味で使いわける医学博士である。身体の大きさと、豪快な笑い・笑顔には、その人柄と存在感をより強くアピールする何ものかが潜んでいる。やはり'武士'にして"武士"ここにあり。

Vol.86 2017.8.17 「“呑んべい”の言い訳」(2)

           「“呑んべい”の言い訳」(1)こちら

「呑んべい」は、なんやか言い訳を考えながら飲む。自分自身を納得させる言い訳をしないで呑む人は、本物の「呑んべい」ではない。このコラムでは、それを「呑んべい」の定義とする。

朝、今日は止めておこうかと思っても、一仕事を終え帰宅する際、何かと理由を付けて、今日は、まあいいかと仲間と居酒屋に繰り込む。大抵、今日は飲まないと決めていたがと、仲間のせいにする。すでに「依存症」に近くなっている。飲む量の多寡でないでなない。毎日、晩酌をする人は、大半は「依存症」か「依存症」候補者である。

「キッチンドランカー」という言葉を御存知と思う。それが常態化すると「依存症」になる確率が高くなる。他人に迷惑を懸けないうちは、個人の問題として片付けられる。明らかにそれが原因で人様に迷惑をかけると「アル中」と言われる。「アル中」は、今は医学用語として用いられてないが、「依存症」と言われても「そうかな」と思うだけであるが、「アル中」と言われると、むきになって否定する。

「依存症」の医学の定義は、ある物事に依存し、それがないと身体的・精神的な平常を保てなくなる状態を指すとされる。アルコール依存症のような物質に対するものと、ギャンブル依存症、インターネット依存症のような行為に対するも、人間関係に対するものがある。 医学書を見ると、幾つかの「依存症」の病名が記載されている。

「ワークホーリック」という言葉がある。これも「依存症」であると思っているが、医学書には載っていない。現在の社会では、仕事第一の人が愛でられる風土なので、「仕事依存症」は、好ましく受け止められることが多い。しかし、自分の一生、家庭にとっては「害」となることもある。定年を迎え、さて、これからの人生をどのように送るか、仕事一筋だけの人生を悔やむ。趣味を持っていればと。家庭は、「呑んべい」と別な世界を送っている。ご近所さんの話、スーパーの話、新聞のチラシ広告、宅配便の話、クリーニング屋さんの話など、「呑んべい」は全く入り込めない話ばかりである。

帰宅しても家庭の話題に入り込めず、晩酌をし風呂に入り寝るといった人生もまた「依存症」候補である。晩酌の初めの一杯が緊張した気分を解す。これが、家庭に帰ると自動的にできるシステムになっているとその習慣に頼る。長年、続くと「依存症」になる。

小生は、健康面談を受けることが多い。中年の人で毎日、飲酒する人に、午前中はかったるそうにしているが、午後になるとバリバリ活動する人、言い訳をし「呑む人」、過度に晩酌をする人は要注意である。

先日、明らかに依存症と思われる人と面談した。今日は、止めておこうと思っても帰宅するとすでに酒肴が並んでいるので、やむを得ず「一杯」と、言い訳をした。「呑んべい」は呑むことに対し、少なからず罪悪感を持っていることが多い。呑まざるを得なかったと自分に言いきかさているのである。

小生は、アルコールは嗜むが「呑んべい」ではない、「依存症」になっていないと思っている。2・3週間ほど、アルコールを遠ざけても精神活動はかわらない。「依存症」でないことを確認するために禁酒をしたのである。確認はできた。

さあ、今日は何を「酒肴」に一杯、やるかな。(完)

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在宅看護研究センターLLPは、35年前出会った作家・遠藤周作氏の一言「ボランティアでは無理。これからはもっと必要になる」この後押しがあったから・・。現在は、全国連携プロジェクトをめざすメッセンジャーナース活動(現在、32都道府県107名)を後押ししています。DVD「私はメッセンジャーナース」発売中

在宅看護研究センターの歩み 在宅看護研究センターLLPの全体像「llp.pdf」をダウンロード 訪問看護ステーション・出生秘話 

2016年6月10日より、『日経メディカル』オンライン版で、メッセンジャーナースによるリレーコラム「患者と医療者のギャップ考」が始まりました。 

在宅看護研究センターは、198326から3年1ヶ月、日赤医療センター看護師有志11人で始めた訪問看護のボランティアチーム「在宅ケア保障会」が残した「心」と十数万円を引き継いで発展してきました。140920_121638_3今は亡き作家・遠藤周作氏「ボランティアでは無理。これからはもっと必要になる」の後押しを受け、訪問看護制度がない時代の1986324、赤十字出身の看護師2.5人で創設。1992には研究事業部門を任意組織とし、収益事業部門として「日本在宅看護システム社」を設立。1995年には「看護コンサルタント社」を設立。 1999年、民間でも可能になった制度枠の訪問看護を担うべく、それまで実施してきた自費の在宅看護事業に加えて、「在宅看護研究センター付属訪問看護ステーション」を設置。20069には新会社法を導入、「在宅看護研究センターLLP」を設立。 

丸30年を迎えた在宅看護研究センターは、改めてその出会いに感謝し、遠藤ボランティアの顧問として、未だ、熱いメッセージを送り続けている原山建郎さんのご許可を頂き、原山建郎のコラム欄を設けて、遠藤ボランティア『語り部通信「からだ」番記者レポートを連載。Photo_6

 

【お知らせ】

メッセンジャーナース不在の県は、青森、宮城、長野、石川、福井、山梨、滋賀、三重、奈良、和歌山、香川、徳島です。あなたもメッセンジャーナースに! 2名の方の推薦で、S認定も全国連携プロジェクトを構築中 

 

「て・あーて東松島の家」では、一緒に活動して下さるボランティアスタッフ募集中です! お問い合わせは、

「て・あーて 東松島の家」:TELFAX:0225-90-4485 または、

「一般社団法人日本て・あーて,TEARTE, 推進協会」TEL03-Mn_a4_tth1_010528

5813-7395 FAX03-5813-7396     

「看護実践の科学 9月号」(看護の科学社) [特集]メッセンジャーナースが伝える看護師の主体性

中央公論9月号(8月10日発売) 特集:対談「父・永六輔は家族に囲まれて旅立ちました」

 43回フローレンス・ナイチンゲール記章受章を機に出版された村松静子の『心と絆といのち-私の看護実践論』(看護の科学社) 「自分の家で死にたい 死に逝く人、看取る人の幸せな終末期の考え方」(海竜社)

<関連記事>人でも多くの人が自宅で最善のケアを受けるために    http://www.csr-magazine.com/archives/repo_d/rep08_03.html

が在宅看護を阻むのか・・看護は何のためにあるのか」特集「今求められるコミュニケーションスキル」(看護の科学社 9月号 VOL39 NO.10) 婦人公論平成27年1月22日号「ルポルタージュ 時代を創る女たち 村松静子 ~開業ナースは心を聴く」 → 「20150122.pdf」をダウンロード

『開業ナースのエッセンス「暮らし」に伴走する看護のすすめ』(こころの科学:日本評論社)

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2017年8月17日 (木)

コラム「医師として、武士として」 Vol.85 「冷やしそうめん」と「カレーライス」     安藤 武士 Andou takeshi

1941年、新潟県生まれ。1967年、新潟大学医学部卒業後、医師登録と同時に外科研修を開始。72年、呼吸器・心臓血管外科を専攻後、80年より、心臓血管外科部長として日本赤十字社医療センターに勤務。87年より職域病院部長、2001年より職域診療所所長、2010年より佐野市民病院健康管理センター所長、そして 現在は、医療法人社団東華会・介護老人保健施設たかつ施設長として活躍。労働衛生コンサルタント・スポーツドクター(日体協)・健康スポーツドクター(日医)・認定産業医(日医)の資格を持ち、これらの5つの顔を絶妙な味で使いわける医学博士である。身体の大きさと、豪快な笑い・笑顔には、その人柄と存在感をより強くアピールする何ものかが潜んでいる。やはり'武士'にして"武士"ここにあり。

Vol.85 2017.7.18 「冷やしそうめん」と「カレーライス」 

小生の若いころ、特異な性格を有する友人が発した言葉と人生を紹介する。共に大学にいた頃の友人である。医師である友人は型にはまらない性格であるが、医療も研究も極めて真剣に取り組んでいた。当時、当たり前に行われている診療に対しても斜に構え評価し自分が納得した、また、自分が考えた医療を行っていた。しかし、所謂「リピーター医師」ではなかった。彼の母親は、シングルマザーで「クリニック」を経営し一人っ子の彼を育てた。彼は「育てられたのではなく、育った」という。幼少時から、何時も一人で行動していたようである。女医に対しては、「女医は女ではない」と厳しい見方をしていた。 

その彼は、自由奔放な生活を送っている一方、寂しがり屋でもあった。少ない友と心を許しあうまでになると、急によそよそしくなる。いつぞや、「自由と孤独」、「幸福と束縛」が僕の人生観と小生に言った。幸福そうな家庭は、家族の誰かが潜在的に「自由」でありたいと思う気持ちを抑えているから成たっているという。かねがね、だから家庭を持つ積りはないと言っていた。以来、今日まで小生の頭の隅に彼が発した「フレーズ」は住みついている。その言葉は、両極端であるが説明しなくとも充分理解されると思う。彼は、何時も何かからも「自由」でありたいと思い生活を送っていた。 

その彼から、30歳の半ば「結婚」したという知らせが届いた。あんなに、「自由」であることを、「誰からも束縛されない人生を送る」ことを望んでいたはずなのに、と驚いた。彼は二人の子供を持ち「幸福な家庭生活」を送っていたと聞く。その後、自宅から離れた片田舎に「クリニック」を開いた。彼は、「クリニック」に寝泊まりし週に1度、帰宅するというという家庭から離れた生活を続けた。 

その特異の性格と医療に対する熱心さが地域住民から受け入れられ「赤ひげ先生」になった。彼が望んでいた自分の生活を取り戻したのである。彼の心の束縛から解放されたのである。しかし、自由になった交換に一人で生活する孤独な生活を送ることになった。30余年後、離婚したと風の便りで知った。

 

前置きが長くなった。彼の望んでいた「自由」を取り戻した人生を、若干、ためらいつつ人生の終末期に入った小生の感想を記す。「自由と孤独」、「幸福と束縛」。人生を両極端の言葉で括ると、人生は正に「ギャンブル」である。そうならない為には、「適当な自由」、「適当な幸福」を望むことが必要と思われる。それも、また難しい。 

 そとは暑い。夕食は「冷やしそうめん」でもと思っていたが、「カレーライス」であった。“美味しかったよ。ご馳走さま”と言ってお風呂に入り床についた。あと何年、続くのかな。(完)

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