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2020年8月24日 (月)

第24回メッセンジャーナース研鑽セミナーⅠ&Ⅱ、熱く熱く交流、終了しました。セミナーⅡは9月26日、Ⅲは9月27日です。

*リモートは初めてでしたが、良かったです。
初めて参加した彼女は明日仕事で参加できないのですが、ためになる話ばかりでもっと話が聞きたくなったと、メールが来ました。私の考えに影響を受けグリーフケアの資格を取るために京都まで1年間夜行バスで通った彼女です。
スクリーンの代わりにホワイトボードに映して皆で見てましたが、全然問題なかったです。あるもので工夫するとどうにかなるものですね(笑)

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*日本の各地と結べる、繫がる、つむげるって凄いですね。
来月もよろしくお願い致します。(山口・原田)

*お疲れさまでした。東京に行ってやっていた研鑽セミナーとはまた違った感じで、良い余韻が残りました。
発表する人の話し、代表の話など今回のほうが集中してしっかり聞けたような気がします。
大したことしませんでしたがいい感じに疲労感が出てます。今、ホットした時間を過ごしてます(笑)
来月が楽しみです。私には、毎月仕事とは違う緊張感を持つ時間が必要のような気がしてます。(新潟・小田)

*この二日間、ありがとうございました。
鹿児島会場での研修の開催を目指しておりましたので、心から感謝もうしあげます。
鹿児島会場は二人の参加でしたが、志のある仲間を見つけることができそうです。
二人とも、メセンジャーナースになれること、このように看護を語り合えたことに喜びを感じておりました。
会場はソーシャルディスタンスを取りながら、いい環境で対応できました。
ありがとうございました。感謝して!!(鹿児島・田畑)

*勉強になりました。
受講した一井さんも、看護について語り考える時間に感激しておりました。
お礼を申し上げます。(愛媛・渡邉)

*感染対策上の問題で、重要な意思決定に病院の中に外部から入りにくい状況になり、面談場面に立ち会えずもどかしい思いをすることが多くなっていることに葛藤もありつつ、自宅や電話でしっかり意識的に話をするようにしています。 こんな時だからこそ、改めてメッセンジャーナースの心がひろがっていくように、歩みをとめてはいけないのだと、いつもながら村松先生の行動化の早さに敬服しています。(岡山・赤瀬)

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2020年8月 8日 (土)

メッセンジャーナース研鑽セミナーは凝縮改訂・オンラインで再開【メッセンジャーナース通信 2020.08.07 No.150】 支援の一環として、メッセンジャーナース認定協会では、メールマガジン「メッセンジャーナース通信」を発行しています.

メッセンジャーナース認定協会は、「メッセンジャーナース」の称号取得・登録・活動を支援する民間団体です。
メールマガジンのご登録はこちらからどうぞ⇒ http://www.mag2.com/m/0001196132.html
*「まぐまぐ」を利用していますので、「まぐまぐ」側のPRが入ります。ご了承ください。

新型コロナウイルス渦中で、メッセンジャーナースの同志は、それぞれの立場で、その人らしく必死に取組んでおります。多くの行事が次々に中止、セミナーも延期が続いていました。その中でも看護ネット・ラーニングだけは進んできました。
メッセンジャー通信No.150号は、その方法・内容・を変え、各地を繋いで凝縮改訂・オンラインとして再開の第24回メッセンジャーナース研鑽セミナーへのお誘いや、応援団のおひとり、尾﨑雄さんのコラム「第6回「単なる嘱託殺人か「安楽死」なのか」についてのお知らせ。さらには同志の各地での動きの紹介等です。

第9回メッセンジャーナースの会・総会は神奈川県に決定しておりますが、開催方法について検討しているところです。

☆フェイスブックでも情報を発信しています。
https://www.facebook.com/nursejapanNET/?ref=bookmarks
◆ 「メッセンジャーナースたちによる「心と絆といのち」朗読バトンリレー、次々にアップされています。ぜひお聞きください。
https://www.facebook.com/pg/nursejapanNET/videos/
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□ 一般社団法人よりどころ〔メッセンジャーナース認定協会〕
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ホームページ運営・メールマガジン発行:瀬川護(開業ナース応援隊)
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 当協会へのお問い合わせは、messenger.ns@e-nurse.ne.jp までお願いします。

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2020年8月 1日 (土)

新コラム【私のメディア・リテラシー】 第6回 ALS患者嘱託殺人事件と「安楽死」について 尾崎 雄 Ozaki Takeshi(「老・病・死を考える会プラス」世話人 、元日本経済新聞編集委員)

第6回 単なる嘱託殺人か「安楽死」なのか 2020-7-31

 筋委縮性側索硬化症(ALS)の女性患者から依頼を受け、薬剤を投与して殺害した医師2人が7月23日、京都府警に嘱託殺人の容疑で逮捕された。この事件を新聞は競って報道している。特異な事件ではあるが、メディアの報道の仕方や姿勢について考えさせられることが少なくない。

 朝日、読売、毎日、産経、東京、日経の各紙は、①現場が在宅療養の場であること、②SNSを“活用”した計画的な行為であること、③当事者間に金銭授受があったこと、④当事者が「独自の死生観」を持ち、⑤「訴追されないないなら」かまわないという反社会的な意識を持つ医師らによって行われたこと――を大きく報道した。安楽死の「作業はシンプル」だった、被害者に「睡眠薬を胃ろうに投与か」、使用した薬物は「バルビツール酸系睡眠薬と判明」とか各紙は事件の“手口”や経過を競って報じている。

 各紙は、「ALS患者(が)生きやすい社会」を求め、「生きる権利」を主張する当事者や支援団体関係者の声を掲載する一方で、ALS患者らが生きることの苦しみを「早く終わらせたい」という思いや主張も伝えている。ALS患者として初めて国会議員になった舩後靖彦氏の「『死ぬ権利』よりも『生きる権利』を守る社会にしていくことが何よりも大切」という声を掲載した。ところが、被害者の女性がツイッターで「自らの『生』と『死』の在り方を自らで選択する権利」を求めていたとも伝える。新聞は、異なる立場から沸き起こる様々な声や主張を取り上げざるをえないのだが、事件の本質をどのように捉え、読者(市民)に伝えようするのか、わかりにくい。次々と浮上する新しい事実に右往左往しているようだ。一つには、価値観の多様化を反映した複雑な社会現象を評価するための明確な判断基準が見つからないからだろう。今度の事件はインターネットが支配する現代社会で起こるべくして起きたともいえる。

 新聞報道のかたちは二つに分かれた。一つはインターネット世代ならでは新しいタイプの嘱託殺人のディテールを詳細に報道すること。もう一つは、「命とは何か」という重いテーマを社会全体で考えるようと問題提起する流れだ。そうしたなかで、各紙は7月28日、一斉にこの事件に関する社説を朝刊に掲載した。各紙の見出しを列記しよう。
「嘱託殺人 医の倫理に背く行い」(朝日)、「ALS患者の嘱託殺人 医師として許されぬ行為」(毎日)、「ALS嘱託殺人 医療からの逸脱は許されない」(読売)、「医療から外れた嘱託殺人事件」(日経)、「ALS嘱託殺人 生命軽視の明確な犯罪だ」(産経)、「ALS嘱託殺人 安楽死の事件ではない」(東京)である。いずれも見出しで「嘱託殺人」だと断じている。

<朝日の社説と「『ブラック・ジャック』登場人物に憧れ?」>
 ただ、東京新聞だけが見出しに「安楽死」を出した。同紙は事件発生を報じた7月24日付けの紙面で3頁のうち2頁で「安楽死」をトップ見出しに使っていた。しかし、社説では「過去の事件と比べ特異な要素が多く、安楽死議論との直結には無理がある」と述べている。各紙は社説のトーンに苦労したようだ。もっと気になったのは、朝日新聞の紙面だ。社説掲載の前日にあたる27日付け朝日新聞夕刊の社会面トップ記事である。メインタイトルは「医師『安楽死』何度も投稿」。サブタイトルは「『ブラック・ジャック』登場人物に憧れ?」である。今回の嘱託殺人のヒントは、あたかも手塚治虫の有名な漫画から得たと思わせる書き方になっている。容疑者の一人は、患者の「安楽死」を金で請け負う漫画の登場人物「ドクター・キリコ」へのあこがれをツイッターに投稿したという。キリコは「ブラック・ジャック」に登場する医師だ。容疑者は「『日々生きていることすら苦痛だ』という方には、横浜地裁の要件はそれとして、一服盛るなり注射一発してあげて、楽になってもらったらいい」、「違和感のない病死を演出できれば、完全犯罪だ」と書き込んでいた。あまりにも常軌を逸した発言と言葉遣いに唖然とする。

 容疑者がこのような書き込みをしていたことが事実だとしても、影響力のある大新聞がそれを大きく載せるとは如何なものか。「ついに、こんな時代になってしまったのだ」とクールに受け止める読者もいた。が、しかし、事実だからと言って、リビングに置かれる新聞の夕刊の社会面に大きく載せて良い記事なのだろうか。小・中学生や高校生が目にし、読むかもしれない。朝日は社説で医師である容疑者二人の行為を「医の倫理に背く」と指弾しているが、この社会面の記事は社説の主張と矛盾する。施設ホスピスや在宅ホスピスなど緩和ケアの現場で働いてきた山崎章郎医師は「医の倫理に背くどころか、人としての道を外れている」と朝日の社説に違和感を持ったという。

<殺人事件を「安楽死」と同等あるいは類似のことのように>
 「安楽死」の扱い方は難しい。24日の毎日はそれを簡潔に書いていた。安楽死は、薬物などで患者を死なせ、尊厳死は終末期に延命治療をしないこと。我が国では法律による定めはないが、医師が末期がん患者に薬剤を注射して死亡させた東海大事件(1991年)で、横浜地裁は安楽死を認める要件を示した。すなわち、①耐え難い肉体的苦痛がある、②死が避けられず死期が迫っている、③肉体的苦痛を取り除く代替の手段がない、④生命の短縮を承諾する患者の患者の意思表示がある――の4つである。今度の事件の容疑者が書き込んだとされる「横浜地裁の要件はそれとして、一服盛るなり注射一発してあげて、楽になってもらったらいい」の「横浜地裁の要件」は、これである。
今回の事件では、なくなった患者は4つの要件を満たしていたのだろうか?  ①についていえば、耐え難い肉体的苦痛があったというより、むしろ精神的、社会的な苦痛に苛まれていた。②と③は議論の余地があったはずである。ところが、新聞は「安楽死 SNSで思惑一致」(東京)、「安楽死の望み」(朝日)、「医師『安楽死が必要』投稿」(読売)といった具合に、殺人事件を「安楽死」と同等あるいは類似のことのように扱っている。このような報道が広がることを憂慮してか、日本緩和医療学会はいち早く木澤義之理事長名で声明を出した。逮捕された医師2人は同学会の会員ではないと断ったうえで、「いわゆる積極的安楽死や自殺幇助が緩和ケアの一環として行なわれることは決してありません」。「積極的安楽死」とは、患者の命を終わらせる目的で「何かをすること」である。
医療と情報の技術や手段が急速に発達し、生活の隅々まで行き渡ったところに一部の不心得な医師が関わり、起こるべくして事件が起きた。在宅医療の現場や地域での終末期ケアを担ってきたベテラン医師の一人は語る。「毎年、約1万人の医者が誕生する時代だ。変人、奇人もいるだろう」と。しかし、市民の多くは、他の職業ではありうるとしても医師だけは、そうあって欲しくないと望んでいるはずだ。最大の問題は、社会規範が破綻に瀕している現実を、メディアがどのように咀嚼し、一般社会にどのような形で発信すべきか、ということである。

<報道の社会的責任とは何かについて問う>
ALS当事者団体に属する一人はSNSにこう書きこんだ。「SNSのみのやりとりで、初めて会う患者に多額の謝金をもらい(死に至る薬物を)投与したこの事件は、ただの殺人事件」だと。産経が「生命軽視の明確な犯罪だ」と断じた嘱託殺人事件の手口を詳細に報道することは、一部の専門家の参考になろうが、一般市民にとってどんな利益があるのか気になる。報道の社会的責任とは何かについて改めて考えざるを得ない。
世界保健機関(WHO)の自殺対策に関するガイドライン「メディア関係者に向けた自殺対策推進のための手引き」(2017年版)は、「やってはいけないこと」を例示している。たとえば、
・自殺の報道記事を目立つように配置しないこと
・自殺を前向きな問題解決策の一つであるかのように紹介しないこと
・自殺に用いた手段について明確に表現しないこと
・センセーショナルな見出しをつかわないことーーなどだ。
 いうまでもなく、自殺と安楽死を混同すべきではない。とはいえ、今回のALS嘱託殺人事件に関する新聞報道を振り返ると、「やってはいけない」ことが少なからずあったように思えてならないのである。 

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