【原山建郎の連載コラム】「つたえること・つたわるもの」№151 「ようこそ」⇒「めんそーれ」「んみゃーち」「おーりとーり」
12月28日(水)午後にアップされた連載コラム「つたえること・つたわるもの」№151『「ようこそ」⇒「めんそーれ」「んみゃーち」「おーりとーり」』「ようこそ」⇒「めんそーれ」「んみゃーち」「おーりとーり」 | ゴム報知新聞NEXT | ゴム業界の専門紙 (gomuhouchi.com)と、直近の『東方医学』誌に執筆した「巻頭言」「完全治癒/治(なほ)す」と「完全寛解/治(をさ)める」です。
★今回のコラムは、今月11日から家内と二人で参加した二泊三日の「宮古島五島めぐり」ツアーで、地元の女性バスガイド(與那覇)さんが紹介してくれた沖縄語、正確には宮古語での挨拶ことば、「しまくとぅば(しまことば)」が気になって、帰宅後に図書館から借り出した沖縄語(琉球語)の資料を読むと、沖縄県のなかでいくつかの地域で異なる表現・発音があることを知りました。また、観光バスの車内で参加者もいっしょにマスクをしたまま歌った「安里屋ユンタ」(やまとんちゅ:標準語の歌詞)には、八重山で労働歌として歌われていた元歌があることも、図書館の資料で知ることができました。
また、沖縄(琉球)語(方言)は、日琉祖語(上代の日本本土と沖縄諸島の古語は、同じ祖語から分化したことば)という同じ流れのことばです。このことはコラムに書きませんでしたが、日琉祖語から沖縄語への分化のプロセスに影響を与えたのは、南国特有の気候風土、台風・旱魃という宿命を受け止めざるを得なかった沖縄の人(うちなんちゅ)の身体性(からだことば)、南国特有のオノマトペ(擬声語・擬態語)ではなかったかと、私は言語学や民俗学の専門家ではありませんが、自分なりに興味をもって考えています。
☆「巻頭言」では、完全治癒(キュア)と完全寛解(ケア)について私見を記しました。中医学(中国の伝統医学)の古典、『黄帝内経』の一節「聖人不治已病治未病」の日本語訳の中で、「治(チ)」を「治(なほ)す=治癒(キュア)」と訓読すれば、「聖人は己病を治(なほ)さず、未病を治(なほ)す」となりますが、「治(をさ)む=寛解(ケア)」と訓読すれば、「聖人は己病を治(をさ)めず、未病を治(をさ)む」となります。これは古代中国の皇帝(政治家)の重要な仕事とされていた「治水(ちすい)」(政策)が「水(洪水)を治(なほ)す」ではなく、堤防を築く、放水路を作るなどの「水(洪水)を治(をさ)める」であること、また「治世(ちせい)」は「世を治(なほ)す」ではなく、統治者として「世を治(をさ)める」意味であることからも、現代医療における完全治癒(キュア)と完全寛解(ケア)について、東方医学的観点からの吟味(東方医学的なプライマリーケア)が求められていると考え、そのことを書きました。
◆時計の針が12時を回って、大晦日(12月31日)となりました。今年一年、連載コラムにお付き合いいただき、ありがとうございました。来年も連載コラムをお届けいたします。
明日は年が改まって、2023年元旦、卯年。よいお年をお迎えください。
☆原山建郎☆
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