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2023年10月

【原山建郎の連載コラム】「つたえること・つたわるもの」No_171 高齢者の自由と誇りとやすらぎを奪う「身体拘束」をやめる――決意と実践。

10月25日(水)にアップした連載コラム「つたえること・つたわるもの」№171をお届けします。https://gomuhouchi.com/serialization/54154/
高齢者の自由と誇りとやすらぎを奪う「身体拘束」をやめる――決意と実践。


コラムの冒頭でもふれましたが、3カ月前、東京・吉祥寺の絵本と児童書専門店『緑のゆび』の小さな集まりで、『遠藤周作の遺言――「病院はチャペルである」』について話をしたあと、参加者のお一人、吉岡充さん(医師、多摩平の森の病院理事長)から、『こんな介護がしたい――認知症の人との幸せ時間のつくり方』をいただきました。
私は以前から「認知症ケア」に関心を持っていて、かつてコラムを書いていた『トランネット通信』「編集長の目」№133『医学的「認知症」の時代から、考える「認知症ケア」の時代へ』では、アメリカのソーシャルワーカー、ナオミ・フェイルの『バリデーション』(藤澤嘉勝監訳、篠崎人理・高橋誠一訳、筒井書房、2001年)に書かれた「認知症に対するナオミ・フェイルの仮説」――私たち人間が人生の異なった段階を生きていくときに、それぞれの段階で解決しなければならない「人生の課題」があると仮定して、人によってはその問題を解決しないまま人生の最後を迎えることがある。そのような人は人生の最終章に、4つの解決のステージ、つまり①認知の混乱、②日時、季節の混乱、③繰り返し動作、④植物状態、それぞれの解決ステージを迎える――を紹介しました。
同書では、たとえば、感情的な対応になりやすい家族のケアギバー(介護者)には、「認知症の人」が生きる最終ステージを「共に生きる」覚悟が求められる。それと同時に、「認知症の人」が長い間、解決できずに積み残していた「人生の課題」が最後に解かれる瞬間を「共有できる」可能性もゼロではない。しかし、同書の訳者・高橋誠一さんは、認知症の人と「共に生きる」ことはなかなか難しいことであり、その理由は介護者自身の人生の課題でもあるからだと、次のように書いています。
この問題は答えがはっきりしている算数の問題を解くようにはいきません。なぜなら、問題の中に私たち自身が含まれているからです。それを解こうとしている自分を問題から切り離すことができないのです。結局、他人事のような解決は不可能なのです。ケアとはそもそもこのような性質をもったものなのだと思います。ケアをする人とケアを受ける人を分離することはできないのです。それでも無理をして分離しようとすると、ケアではなく仕事や作業として考えるしかありません。認知症の場合、ケアする人だけが主体となり、ケアを受ける人は対象となります。このような関係の中では、主体同士が共に生きるということは生まれないでしょう。
(『バリデーション』「訳者あとがき」315ページ)
前置きが長くなりましたが、本コラムの最後を、「認知症の人」が今まさに取り組もうとしている「人生の課題」をまっすぐ受け止め、そして「身体拘束をやめる」と決意し「新しい認知症ケア」を実践しながら〈心あたたかな〉まなざしで見守る「日本の良医(グッド・ドクター)」のお一人、吉岡充さんへの感謝の言葉で結びました。
いまから37年前(1986年)、吉岡さんの母校(東京大学医学部卒)である東大病院の「入院案内」が、作家・遠藤周作さんのアドバイスによって〈心あたたかな〉「入院のご案内」に改訂された、その同じ年に、吉岡さんが、〈高齢者の自由と誇りとやすらぎを奪う「身体拘束」をやめる〉と決意し、高齢者としての生き方を尊重する、新しい「認知症ケア」をめざした道のりは、さきに鎌田實さんが提示したキーワード、まさに「あたたかで理にかなった」「身体拘束をしない」「新しい認知症ケア」の実践であるとともに、1982年に遠藤さんが提唱した「心あたたかな医療」キャンペーンの一翼を担う、力強い奔流のひとつとなっている。

お時間のあるときに、お読みください。

詳細は☞ ダウンロード - 171.pdf


☆原山建郎☆

【原山建郎の連載コラム】「つたえること・つたわるもの」」№170 〈カタカナ〉の身体感覚。明治~昭和21/昭和22~令和の〈カタカナ〉事情。

10月10日(火)にアップした連載コラム「つたえること・つたわるもの」№170をお届けします。https://gomuhouchi.com/serialization/53844/
〈カタカナ〉の身体感覚。明治~昭和21/昭和22~令和の〈カタカナ〉事情。

前回は、子育て講座での「あいうえお うた」(ひらがな詩)でしたが、今回は〈カタカナ〉の身体感覚について、谷川俊太郎の「ミライノコドモ」、まど・みちおの「フユノヨル」と「ちらちら ゆき」、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」をとりあげながら、作品の〈カタカナ〉詩とそれを〈ひらがな〉詩に置き替えて(※その逆パターンもあります)、〈カタカナ〉詩と〈ひらがな〉詩の身体感覚の違いを味わってみました。
今回のタイトルを、明治~昭和21/昭和22~令和の〈カタカナ〉事情としたのは、明治からさきの敗戦まで、小学一年生の国語教科書の1ページ目が「サイタ サイタ/サクラ ガ サイタ」(谷川)、「ハタ、タコ、コマ」(まど)、「ハ。ハナ。フナ。ハリ。」(宮澤)であったように、すべて〈カタカナ〉だったことに注目したからです。
また、谷川は愛知県立大学の宮崎教授との対話(公開対談)で、「(谷川さんに)カタカナ詩はそんなに多くないですよね?」「カタカナとひらがなの違いって、創作されるときに何かあるんですか」と問われ、「ひらがなというのは、なんか日本語の昔のものを伝えていて身についてる感じがするんで、詩もできればひらがな的なもので書きたいというのがずっと底にあるんですよ」と答えたあと、さらに「サイタ サイタ サクラ ガ サイタ」みたいな感じは残っていらっしゃるんですかね?」と問われて、「意識はしていないけど、体に(※身体感覚として)残っているんじゃないですかね。」と述べています。
一方、戦後の国語教科書(小学一年生)は、たとえば「はい せんせい せんせい」「あさ あさ あかるい あさ」「きこえる きこえる なみのおと」(いずれも光村図書出版)のように、それまで(戦前)の〈カタカナ〉コトバではなく、まあるい〈ひらがな〉ことばで書かれています。それが明治~昭和21/昭和22~令和と区切った理由の一つです。コラムの最後を、次の「言葉・コトバ・ことば」で締めくくりました。

四角い漢語は象形(かたち)で〈意味〉をあらわし、とんがったカタカナ語は抽象的な〈イメージ〉をつたえる、まあるい和語(やまとことば)はこころの〈思い〉をとどけてくれる。

詳細は☞ ダウンロード - e28496170.pdf

お時間のあるときに、お読みください。

 

☆原山建郎☆

 

メッセンジャーナースの紹介動画を公開されました。

「なぜメッセンジャーナースが必要なのか」
6名のメッセンジャーナース・同志が、それぞれの立場で、真正面から語っています。

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URLは、 https://youtu.be/ILUPWX5N-go です。

 

看護ネット・ラーニング講座 こころガーデニング「信頼を育てる コミュニケーション&カウンセリングマインド」11月開講。受講受付は10月10日からです。


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お問合せ・受講申込は、seminar1@e-nursene.jp へ

【原山建郎の連載コラム】「つたえること・つたわるもの」№169 おとなのなかの〈こどもの宇宙〉、 「あいうえお」でつむぐ〈ひらがな〉詩。

9月26日(火)にアップした連載コラム「つたえること・つたわるもの」№169をお届けします。https://gomuhouchi.com/serialization/53519/おとなのなかの〈こどもの宇宙〉、「あいうえお」でつむぐ〈ひらがな〉詩。
今回のコラムは、10月2日(月)に開催される「子育て講座」(下里しおん保育園)のトピック(話題)をとり上げます。対象は保育園児の保護者(≒母親)ですが、その通知文を次のように書きました。
はるか昔、オノマトペ(擬声語・擬態語)から生まれた「日本語」の〈たまご〉は、10世紀(平安時代)に成立し、のちに手習いの手本(いろは順)となった「いろは」歌です。また、「あいうえお」は、15世紀(室町時代後期)の国語辞典(温故知新新書)に載った「五十音」が最初ですが、明治時代の教科書で現在の「五十音(あいうえお順)」がスタンダード(標準)になりました。この講座では、懐かしい「いろは」歌(いろはかるた)や、近現代の詩人、北原白秋、谷川俊太郎、まど・みちお、中川ひろたかの「あいうえお」歌を、保育園児、幼稚園児といっしょに声に出して読む「ひらがな」の詩を楽しんでみましょう。
今回の講座には、①日本語の〈たまご〉としての「あいうえお」を介して、おとなのなかの〈子どもの宇宙〉に出会う/②「あいうえおうた」の音読演習によって〈ヒーリング・リーディング(ライティング)〉をめざす、この二つの目標があります。
また、コラムではふれませんでしたが、年代的には「あいうえお」の先輩である「いろは(いろは歌、いろは歌留多)」についても、資料をもとにお話しする予定です。「いろはうた」といえば、幼少期の私は、その歌の意味も分からず、「いろはにほへと、ちりぬるをわか、よたれそつね、うゐの……」と覚えました。モーツアルトの子守歌も「ねむれよ、いこよ……」、春日八郎の「お富さん」も「粋な黒塀、見越しの松に」を、「いきな、黒兵衛(※やくざの名前?)、神輿(みこし)の松(※これもやくざの名前?)……」などと、歌詞の区切りや意味を間違って読んでいました。
「いろはうた」と「あいうえおうた」は、どちらも日本語(和語=やまとことば)の〈たまご〉です。

詳細は☞ ダウンロード - 169.pdf

 

お時間のあるときに、お読みください。

☆原山建郎☆

 

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