【原山建郎の連載コラム】「つたえること・つたわるもの」」№170 〈カタカナ〉の身体感覚。明治~昭和21/昭和22~令和の〈カタカナ〉事情。
10月10日(火)にアップした連載コラム「つたえること・つたわるもの」№170をお届けします。https://gomuhouchi.com/serialization/53844/
〈カタカナ〉の身体感覚。明治~昭和21/昭和22~令和の〈カタカナ〉事情。
前回は、子育て講座での「あいうえお うた」(ひらがな詩)でしたが、今回は〈カタカナ〉の身体感覚について、谷川俊太郎の「ミライノコドモ」、まど・みちおの「フユノヨル」と「ちらちら ゆき」、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」をとりあげながら、作品の〈カタカナ〉詩とそれを〈ひらがな〉詩に置き替えて(※その逆パターンもあります)、〈カタカナ〉詩と〈ひらがな〉詩の身体感覚の違いを味わってみました。
今回のタイトルを、明治~昭和21/昭和22~令和の〈カタカナ〉事情としたのは、明治からさきの敗戦まで、小学一年生の国語教科書の1ページ目が「サイタ サイタ/サクラ ガ サイタ」(谷川)、「ハタ、タコ、コマ」(まど)、「ハ。ハナ。フナ。ハリ。」(宮澤)であったように、すべて〈カタカナ〉だったことに注目したからです。
また、谷川は愛知県立大学の宮崎教授との対話(公開対談)で、「(谷川さんに)カタカナ詩はそんなに多くないですよね?」「カタカナとひらがなの違いって、創作されるときに何かあるんですか」と問われ、「ひらがなというのは、なんか日本語の昔のものを伝えていて身についてる感じがするんで、詩もできればひらがな的なもので書きたいというのがずっと底にあるんですよ」と答えたあと、さらに「サイタ サイタ サクラ ガ サイタ」みたいな感じは残っていらっしゃるんですかね?」と問われて、「意識はしていないけど、体に(※身体感覚として)残っているんじゃないですかね。」と述べています。
一方、戦後の国語教科書(小学一年生)は、たとえば「はい せんせい せんせい」「あさ あさ あかるい あさ」「きこえる きこえる なみのおと」(いずれも光村図書出版)のように、それまで(戦前)の〈カタカナ〉コトバではなく、まあるい〈ひらがな〉ことばで書かれています。それが明治~昭和21/昭和22~令和と区切った理由の一つです。コラムの最後を、次の「言葉・コトバ・ことば」で締めくくりました。
四角い漢語は象形(かたち)で〈意味〉をあらわし、とんがったカタカナ語は抽象的な〈イメージ〉をつたえる、まあるい和語(やまとことば)はこころの〈思い〉をとどけてくれる。
お時間のあるときに、お読みください。
☆原山建郎☆
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