オンライン市民の集い『告知』経験談をホンネで語り合おう 第2回は2月8日岡崎市の会場へ。「体験を音にバリアを持つ方の心の声を医療従事者へ繋ぐ 告知』に纏わる体験を伝えたい」。在宅看護研究センターは、『極力自力』の意思を持って共に歩み続ける「ロゴ会員」を募集しております。あなたも「ロゴ会員」に!
在宅看護研究センターLLP の『極力自力』の趣旨(5項目)をご確認の上、氏名、生年月日(年齢)、住所(郵便番号も)、電話番号、メールアドレスを記入し、送信ボタンを押してください。のちほど、ごあいさつ文と振り込み用紙をお届けします。入金確認後、登録番号を記入した申込書コピーと記念品のドリームチャームをお送りします。
お問合せは、yoridokoro@e-nurse.ne.jp 又は zaitakuLLP@e-nurse.ne.jp へ
https://forms.wix.com/f/7199604457380774173
実践部隊:在宅看護研究センター付属訪問看護ステーション・管理者:現在(川口奏子),共同管理者:奥山直美 ☛こちら
(日本在宅看護システム有限会社☛ こちら )
訪問看護がなかったあの頃:旧ホームページが蘇る ☛ こちら
【残しておきたい7人のコラム】➡ こちら
★第40回研鑽セミナー☞ ダウンロード - dai40kai.pdf
★原山建郎の連載コラム「つたえること・つたわるもの」☞170.pdf 171.pdf 172.pdf 173.pdf 174.pdf 175.pdf 176.pdf 177.pdf 178.pdf 179.pdf 180.pdf 181.pdf 182.pdf 183.pdf 184.pdf 185.pdf 186.pdf 187.pdf 188.pdf 189.pdf
★『心と絆といのち』バトン朗読の一覧画面☞ ここに集結
★NHKEテレ「心の時代 最期のときの思いをつなぐ」
★致知出版社「看護の道を歩み続けて見えた世界」☞ こちら
★第43回ナイチンゲール章・受章式 ☞ こちら
★第31回エイボン女性大賞・受賞式 ☞ こちら&受賞に至った経緯
【蘇り】物語・介護保険・第56話 訪問看護ステーション・出生秘話月刊(介護保険情報2009年1月号) (話は、1990年に遡ります。(えにしの会ホームページより)
厚生省老人保健福祉部のスタッフに、ある日、岡光序治部長から「風鈴を探せ」という号令がかかりました。
風鈴とは厚生省独特の用語。国民に負担増を求める、嫌われそうな法案を出すときにつける「国民に喜ばれるような施策」のことです。
詳細は☞ http://www.yuki-enishi.com/kaiho/kaiho-56.html
◆「風鈴を探せ!」◆
◆医師会と看護協会と「・・・」と◆
◆「ステーション2・5人基準」事始め◆
◆思いがこもった「在宅看護研究センター」の名前◆
◆3段重ねの診療報酬発案者は、いま……◆
在宅看護研究センターの概要:在宅看護研究センターはICU(集中治療室)で救命された患者の家族の要請により、1983年2月6日、日本赤十字社医療センター及び日本赤十字中央女子短期大学(現・日本赤十字看護大学)に所属する11名のナースによって課外で始められた訪問看護ボランティアチームがその前身である。その後、1986年3月24日、〝心温かな医療〟を推奨していた作家・遠藤周作氏の後押しを受け、3人の有志により有限会社として日本初の在宅看護会社が発足。「日本社会に密着した専門的な看護を広く提供できるようになるために」という目的で始動。
その後も社会の動きに合わせさまざまな組織形態に変えながら20年の歩みを経て、2017年9月、有限責任事業組合(L.L.P)として、社会に位置付き時代に即した在宅ケアシステムの構築を目指して、さらなる挑戦、共同開発に取り組んでいる。
(1992年に始動した指定(老人)訪問看護ステーションは、一部、当センターがモデルとなった。)
(事業内容)
1.コミュニティを重視した在宅医療並びに在宅死を可能にするための研究開発
2.在宅医療推進のためのイメージ商品の開発・販売
3.看護事業の顧客及び看護師の満足と収益性のバランスに関する実証研究
4.看護職同志の共同・連携マーケティング及び開業看護師の集結事業の構築・推進
5.「心」の商品化に関する開発研究
6.専門職のスキル向上のための個尊重型キャリアプログラムの開発
7.生活習慣病対策に関する関連商品の開発・販売
8.前各号の事業に附帯関連する一切の業務
【蘇り】「開業ナース集団の活動があったから」 私が、在宅看護研究センターの活動を知ったのは、「元婦長ら4人でセンター設立」の新聞記事を読み、センターが企画するセミナーに参加したのがきっかけでした。(細井恵子)
詳細は☞ http://www.e-nurse.ne.jp/center/hensen8.html
Ⅰ なぜ、訪問看護をボランティアで・・・
Ⅱ 何もない。自分達で作るしかなかった。~ナース手作りの会社の誕生~
Ⅲ 活動を続けるための苦悩と決断 シルバー産業の嵐の中で・・・
Ⅳ ジャーナリストからいただいた「開業ナース」の命名
Ⅴ 開業ナース 村松静子
Ⅵ 村松静子を支えた3人の男たち
« 『熊本・生と死を考える会30周年記念』 37年前、福岡で開催した「これからの看護を語り合う集い」。「良かったです。・・」声を掛けて下さった熊本医療センター看護部長の宮崎寛子さん、正に恩人。その後も多くのご縁の中で、在宅看護研究センターは続いてきたのです。 | トップページ | 【お知らせ】鹿児島からの嬉しい発信! メッセンジャーナースの「極力自力」の生き方を支える実践報告。これからの時代は『極力自力』サポートなしでは前へ進めません。 »
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« 『熊本・生と死を考える会30周年記念』 37年前、福岡で開催した「これからの看護を語り合う集い」。「良かったです。・・」声を掛けて下さった熊本医療センター看護部長の宮崎寛子さん、正に恩人。その後も多くのご縁の中で、在宅看護研究センターは続いてきたのです。 | トップページ | 【お知らせ】鹿児島からの嬉しい発信! メッセンジャーナースの「極力自力」の生き方を支える実践報告。これからの時代は『極力自力』サポートなしでは前へ進めません。 »
「母からの宿題」
『「こんなに苦し思いをするなら、死んだ方がまし!」って思ったこと何度もあった』
「あんたもそんなことあったかい?」
「でも人はがんばらなくちゃいけないんだよね」「だからがんばるよ!」
10Ⅼの酸素マスクの奥で、そうつぶやく母・・・「苦しいくないのかい?」の問いかけに「苦しくない!」酸素飽和度は82%冷たい手を握り、パンパンに張ったおなかをなでながら「もう、頑張らなくていいんだよ」と声をかけると「そうかい、ここに居ていいのかい?」「寝てもいいのかい?」それが最後の言葉でした。
腰椎のすべり症で痛みに耐え、手術を受け、8年間透析を続けました。その後頸部骨折をして手術、膝の人工関節置換術、両大腿の動脈閉そくで人工血管置換術。昨年10月には下腿動脈の拡張術。
「もう二度とこんな痛い手術はしない」と何度も話していました。それでも足の小指は半分になってしまっていました。
母は何を支えに頑張ってきたんだろ、実家を出たくてお見合いで父と結婚、したこともない農作業、舅、姑との暮らし父の遊び癖、姑に言われて3人目を堕胎、4人目にできた私は必至で守り出産、姑の介護、そして父の介護、疲れている母に対して子供にも思うようにやさしくされず・・・嫁のうつ病、離婚、兄との暮らし・・・母の生き方に反抗的であった娘「お前は冷たい!」その言葉を何度も聞かされました。
「こんなに苦しい思いをするんだったら死んだ方がまし」と何度も思いながら・・・
「人は生きなければならない、何があっても」何のために?母からもらった宿題です。
月曜日に腹痛を訴え夜間診療に連れていき、翌日透析から帰宅して嘔吐何も食べられず、翌日デイサービスをお休みして、自宅で過ごすも夕方嘔吐、仕事から帰宅後すぐに外来受診。イレウスとの診断で入院、その晩大量に嘔吐し誤嚥・・・イレウスチューブ挿入、肺炎併発、金曜日急変その晩の会話が最後となりました。
福島はやっと桜が開花しました。今日は花曇り、雨が咲いたばかりの桜に露となってついています。
3月18日母は88歳を目前に旅立ちました。千の風になって自由に飛び回りたかった母・・今桜の花を楽しみに空を飛び回っていると思います。
投稿: 保 美菜 | 2017年4月 9日 (日) 09時25分
むっちゃんとは5年来のお付き合いでした。リウマチをメインに糖尿病、甲状腺機能低下症、肝硬変と長年の通院生活。インシュリンの自己注射が困難になり、朝、夕食前の注射で訪問開始になりました。ちょっと厳しい目つきで訪問看護師を出迎えてくれます。お嫁さんがお休みの日は、お嫁さんが注射。お嫁さんと二人三脚で血糖コントロール、しかし次第に血中アンモニアが高値となりADLも低下していきました。診療所にレスパイト入院を利用しながら、在宅療養を続けていました。今年の正月を迎えた頃から意識レベルが低下していき、食事量が減ってきました。そして、その日は目前でした。お義母様を自宅で看取りたいとの思いは一貫していました。
前日、昼過ぎ緊急の電話が入りました。呼吸がおかしいとのこと、不規則で努力呼吸、むつ子さんと声をかけると、一瞬目を開けたような・・・「きっとその時をむつ子さんは自分で決めて、旅立たれると思いますよ、今ががんばり時、旅立ちの準備をしましょう」と声をかけて帰りました。その後お嫁さんは、旅支度を。着物好きだったお義母のために着物を選び、帯を選び、扇子を選びました。一つ一つ思い出をたどりながら選んだそうです。そして、その晩息子さん、春休みで帰宅された大好きなお孫さんと家族4人で一晩ベットサイドで思い出を語り明かしたそうです。翌朝、出勤しようとした息子さんをお嫁さんは留めました。その30分後、むっちゃんは3人に見送られながら旅立ちました。「呼吸が止まったようです。」の涙の電話に訪問しました。
淡いグリーンの春にふさわしいお着物でした。素敵な帯、お茶の師範だったむつ子さん、扇子も素敵!
また今年素晴らしい思い出をいただきました。
だから訪問看護はやめられない!
福島は今桃の花が満開、これから梨の花そして林檎の花が咲きます。むつ子さんもはるか彼方から見ていますよね!
保
投稿: 保 美菜 | 2015年4月19日 (日) 10時23分
25歳、神奈川県在住。男性看護師です。看護助手、心血管領域の一般病棟を経験し、現在はICUで勤務をしています。
村松静子さん監修「めざせ!開業ナース 地域での起業25の実際」を読みまして、とても心穏やかとなり、また、勇気をいただきました。ひとこと感謝を述べたく、当ブログにリンクし感謝の気持ちを書かせていただきます。
ICUで働くにあたり、集中治療領域の看護の表現の難しさを実感したことから始まり、自分の看護や、看護の枠をこえ、今後の自身の人生で軸となるものが何なのか、考える機会がありました。
簡単に、私のその軸となるもの、考えた結果を紹介します。
私は、岩手県三陸地方出身です。震災時は神奈川県にいましたが、とても大きな衝撃、悲しみを味わうとともに、今こうして私が元気に生活していられるのも、応援・支援してくださった皆様のおかげだと思っています。
応援・支援してくださった皆様、本当にありがとうございました。
この感謝の気持ちを表現したい。形にしたい。おそらく、それが今後の私の軸となるのではないか、と考えています。
皆様知っての通り、世界屈指の高齢化、少子化を歩んでいる日本で、その日本の縮図が地方にあると言われています。逆を言えば、絵空ごと、楽観的ととらえられる方もいらっしゃると思いますが、そんな地方がイキイキと、前向きに歩んでいる姿が今後みられれば、それは模範となるべきもの、発信すべきものになるのではないかと考えています。また、その姿を見せることが、皆様の応援・支援への感謝の形であると考えています。
ここで「まちづくり」というテーマが自分のなかにできあがりました。
地方問題や、今後の医療展望を顧みたときに、看護師の自分ができることは、在宅看護なのではないかと考えています。訪問看護ステーションを立ち上げ、目の前の高齢者によりそうこと。加えて、その場を・システムを構築していくことで、高齢者が安心して暮らせ、また、雇用の場を生むことができるのではないか、と考えています。
今私は、とてもワクワクしているのと同時に、何からしたら良いのかわからない、若僧の考えることではないのでは、といった不安感が入り混じった感情でした。
そんな中とった一冊が先ほどの本です。もしかしたら自分にもできるかも、やてみよう‼︎と、意を決することができました。
まだまだ学ぶべきことは多く、到底一人でできることではなく、有志を集め、ネットワークの形成など、課題は山積みですが、松村静子さんが歩んだ道のりは、ある意味ロールモデルとして、とても勇気をもらいました。
重ね重ねですが、私は、皆様の応援・支援。松村静子さんをはじめとして、道を切り開いて下さった方々にとても勇気づけられています。心より感謝申し上げます。
投稿: yamazaki | 2015年2月25日 (水) 15時23分
素敵!ヒロばぁ(*^-^)
7月4日、ヒロさんは96歳の生涯を閉じました。前日にの朝、ジェスチャーで「私は4日に逝くよ」とみんなに伝え。
夕方集まったみんなに「お」「あ」を繰り返し伝えていたとのことです。「お」「終わり」の「お」「あ」は「ありがとう」の「あ」家族の方はみんなそう聞こえていました。
私が出会ったのは昨年の秋、脱水を契機にしだいに弱っていきました。それでも少しずつ食べ、トイレにも歩き毎朝ひ孫を見送り、仏壇の前の自分の場所に座り続けていました。
寒い冬、とうとう左足の小指が壊疽に・・・それでも毎朝同じようにそこに座り、家族を見守っていました。
処置の時は痛いはずが一言も痛いとはおっしゃいませんでした。しだいに食べれなくなり、立てなくなって、家族は戸惑う中、お孫さんが「ヒロばぁはここが一番、この場所にいるのが一番幸せなはず」と家族の迷いを吹き飛ばし在宅での看取りを決めました。夜間せん妄が出現して、家族交代で夜を見守り乗り越えました。
体はまるで即身仏のようにやせ細りました。しかし最後までしっかりと家族を思いみんなに感謝を伝えてその日を迎えました。4時28分お孫さんに手をなでられながら、静かに息を引き取りました。口はしっかりと結ばれその意思の強さを表すかのようでした。家族の皆さんからは嗚咽と共に「ヒロばぁ!ありがとう」の言葉が繰り返されていました。
こんな素敵で感動的な看取りをさせていただけたことに私も感謝の気持ちでいっぱいでした。「ヒロさんありがとう、先立たれた息子さんとあの世で楽しく語らってくださいね」
こんな出会いがこれからもたくさんありますように、あまりに素晴らしかったのでメールしました。
投稿: 保 美菜 | 2014年7月 6日 (日) 19時25分
椎名美智と申します。明日、介護に携わっている方々の会合があると聞きました。私は社会言語学を研究しており、介護に関する言葉のやり取りについて考えてみたいのです。伺ってもよいでしょうか。
ご許可いただければと存じます。
投稿: 椎名美智 | 2014年4月25日 (金) 08時32分
明けましておめでとうございます!
今年は一日年明け早々3時、92歳のしげおおじいさんの看取りから仕事始めでした。
十日前、食事が取れなくなって肺炎も起こして診療所を受診。認知症もひどくなっていましたが、お嫁さんが、父は以前母にその時は家でと話していたので、家で看取ります。…それでも何とか正月を迎えさせたい…
その日から毎日点滴に訪問、次第に呼吸も荒くなり在宅酸素も入れました。もしかしたら年越しは無理かもとご家族には話していました。31日の訪問時、呼吸回数が減ってきたら連絡して頂くように話し帰りました。何とか0時を過ぎ0時30分呼吸回数が50回あって、血圧が測れないと連絡が入りました。側で話しかけながら呼吸回数が減ってきたらまた連絡を下さいと伝え。3時お嫁さんが義母のトイレ介助している間に呼吸が止まっていたとのことでした。
眠る様なお顔でした。お正月を迎えたね!お嫁さんとお父様頑張ったね!
今年の仕事始めは在宅での看取りでした。
さあ!今年も沢山の方と出会い、沢山の思い出のプレゼントをいただきます。
投稿: 保美菜 | 2013年1月 2日 (水) 16時55分
東京都在住の看護師です
福島市で富山型デイサービス(共生ケア)を起業するため準備中です
発起人は私一人のため、合同会社で設立します
物件は福島市内です
一緒に働いていただける仲間を探しています
有償ボランティアでも、アルバイトでも構いません
出資も必要ありません
開業までの準備は全て私が行います
仲間を集めるためのアドバイスでも構いません
助言や意見お願いします
投稿: 田中こずえ | 2012年9月30日 (日) 16時12分
一週間前に植えた枝豆の苗、今日見に行ったら倍に伸びてました。ニワトリさんに食べられないよう、ネットを被せてもらってました。順調に育てば、福島で皆さんのお口に入るかも…?
体力の落ちたかたには、枝豆の冷製スープに。
ボランティアのナースには、ずんだ餅に。 宿泊するナースには、塩茹でに。農業初体験の私の野望を知ってか知らずか、畑の苗は風にやさしく揺れてました。
投稿: 根本美貴 | 2011年5月20日 (金) 17時55分
福島市は一か月遅れで田植えが始まっています。乾いていた田んぼに水が入ったとたんにカエルが大合唱を始めました。このカエルたちはどこで田んぼに水が入るのを待っていたのでしょうか?しかし、今年は水田にならない田んぼがあります。避難区域になっているカエル達はどこでじっと田んぼに水が入るのを待っているのでしょうか?きっとあきらめて川辺に移って行ったと思います。しかしそこが避難区域だとはもちろん知っている訳はありませんよね!スリーマイル島の原発事故、それ以前だったか、核実験の場となった島でウミガメの赤ちゃんが本当は生まれ持った本能で、孵化してすぐに穴から出て海に向かって歩くのが、逆に陸へ陸へと向かって歩く映像をTVで涙ながらに見た記憶があります。人は情報を理解して対応することができます。しかし、他の自然はそこに放射能がある事も子孫にどんな影響が及ぶのも知らずにそこに生き続けます。
3.11の大震災、福島原発事故は何を私達に伝えようとしているのでしょうか。生きるということ、自然の中で自然の一部として共存するとは何なのか?それを学び直せと言われているような気がします。
原子力発電という文明の力をかりて、生活を豊かにさらに豊かにと人類は突き進んできました。原子力の本当の怖さを私達は理解していたのでしょうか。知らされたり、知ろうと努力していたでしょうか?原発推進に何か漠然とした疑問を持ちながら何一つ行動してこなかった私の責任はないのでしょうか?
福島に住み続けること、今福島で起きていることを見つめ続けることの意味は・・・・
原発周辺でもカエルは泣き続け、つばめは巣を作り、新緑は萌え季節は変化しています。
大いなる自然、宇宙、原子もその存在の一部なはず。私達はこの地球と宇宙から何を学ばなければならないのでしょうか?何億年もの命のつながりから何を学び続けなければならないのでしょうか?
カエルの合唱から聞こえた問いかけでした。
投稿: 保 美菜 | 2011年5月15日 (日) 13時14分
6月の開所が待ち遠しいですね。もしかしたら、実った物をセカンドハウスの利用者さんたちに喜んでいただけるかなあ…と、昨日、ALSの患者さんの畑の一部をお借りして、枝豆を植えました(農業初体験!)。
セカンドハウス「よりどころ」第一号“ここさこらんしょ”何時も直ぐに飛んでは行けませんが、行ける時には、いらしてくださるかたやボランティアのナースのかたに、栄養いっぱいカロリー高めのお料理やお菓子を作って振る舞いたい、と今からワクワクしてしまいます。私も微力ながら、協力出来たら、の思いが高まってきています。
投稿: 根本美貴 | 2011年5月14日 (土) 09時58分