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2025年7月

【健康ジャーナリスト 原山建郎の連載コラム】№195『「ゆるさない」自分の心を「ゆるす」/立つことだけが「奇跡」ではない。』 

今回のコラム№195は、前回のコラム『「〈ゆるし〉のちから」―三浦綾子/「誰にも人生の踏絵がある」―遠藤周作』――〈西欧から伝えられ、日本の宗教風土で発芽した「ひと粒の麦」――キリスト教の「実生化」〉を受けて、「ほんとうのゆるし」と「ほんとうの奇跡」について、いま私たちにとって重要な三つのテーマを立ててみました。
☆相手を「ゆるす」のではない。相手を「ゆるさない」自分を「ゆるす」。
△あの人を絶対許さないという自分、そろそろ許そうと心にささやく自分を許さない。つまり許さない本当の相手は、あの人ではなく、あの人を許さない自分自身なのです
△憎い人など/誰もいない/ただ憎いと/思う私が/いるだけ/である
☆エリザベス・キューブラー・ロス、「許しのレッスン」、「幸福のレッスン」を読む。
△許しは自分を傷つけた相手の問題ではない。相手のことは心配しなくていい。相手が何をしようと、傷ついたのは自分である。それは相手の問題ではなく自分の問題なのだ。だから、相手への否定的なおもいを手放すことのなかに自由がある。(「許しのレッスン」)
△自分を幸福にするために必要なものはすべてあたえられている。わたしたちはただ、自分にあたえられているものの使いかたを知らないだけなのだ。(幸福のレッスン」)
☆ 立つことだけが「奇跡」ではない。「花びら」は散る、「花」は散らない。
△ぼくは、世の中にありうべからざること、理論的に説明のつかないことが起こったってかまわないけど、それも奇跡だと思うけど、それだけが奇跡じゃなくて、どんな状態でも、考えもつかないような結果を生むこと、それが奇跡だと思う。(三浦朱門)

なお、今回のコラムには、以前のコラムに書いたトピックも含まれますが、「ほんとうのゆるし」と「ほんとうの奇跡」を考える手がかりとして再録しました。

本文は☞ 195.pdf

お時間のあるときにお読みください。


☆原山建郎☆
出版ジャーナリスト、健康ジャーナリスト、日本東方医学会学術委員、日本文藝家協会会員、武蔵野大学仏教文化研究所客員研究員、文教大学オープン・ユニバーシティ講師、元武蔵野大学・玉川大学・龍谷大学・文教大学非常勤講師

フォーカスセミナー「極力自力」の秘訣体験、次回は7月25日です。

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【健康ジャーナリスト 原山建郎の連載コラム】しばらくお休みしていた連載コラム「つたえること・つたわるもの」を、5カ月ぶりに再開します。 「つたえること・つたわるもの」№194 「〈ゆるし〉のちから」―三浦綾子/「誰にも人生の踏絵がある」―遠藤周作

今回のコラム№194は、昨年までの数年間、やはり文教大学オープン・ユニバーシティで講じた『遠藤周作子の「病い」と「神さま」』講座と、今回の『三浦綾子の「病い」と「神さま」』講座(今月末に最終回となる)に共通する重要なテーマ、〈西欧から伝えられ、日本の宗教風土で発芽した「ひと粒の麦」――キリスト教の「実生化」〉について考えてみました。「実生化」というキーワードは、桜美林大学准教授、長谷川(間瀬)恵美さんの研究論文「遠藤周作とキリスト教の実生化」からヒントを得ました。

三浦綾子さんが『氷点』『続氷点』で、主人公である陽子に〈今、「ゆるし」がほしのです。私の血の中を流れる罪を、ハッキリと「ゆるす」と言ってくれる権威あるものがほしい。〉と言わせた魂の叫びも、そして、遠藤さんが〈ダブダブの洋服(西洋から伝えられたキリスト教)を日本人の身丈に合った和服(日本人が共感を持って受け入れるキリスト教)に仕立て直す〉という思いで書いた小説である『沈黙』も、ともに日本における「キリスト教の実生化」であると思います。そして、日本を代表するキリスト教作家、三浦さん、遠藤さんが蒔いた「一粒の麦」は、その作品を読む私たちの歴史的身体(からだとこころを形づくる精神の土壌)にポトリと落ちて芽を吹き、やがて小さな実を結ぶのだと思います。
★一度は死を選んだ陽子に訪れる――たましいの再生と「ゆるし」――「慰め」のものがたり。
★「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。」――「沈黙の声」

「つたえること・つたわるもの」№194の詳細は☞  ダウンロード - 194.pdf

お時間のあるときにお読みください。


☆原山建郎☆
出版ジャーナリスト、健康ジャーナリスト、日本東方医学会学術委員、日本文藝家協会会員、武蔵野大学仏教文化研究所客員研究員、文教大学オープン・ユニバーシティ講師、元武蔵野大学・玉川大学・龍谷大学・文教大学非常勤講師

 

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