6)原山建郎のコラム

2020年2月12日 (水)

【健康ジャーナリスト・原山建郎のコラム】 中村哲医師、〈いのち〉のことばー100の診療所より1本の用水路。日本のカルカッタがあるはず! マザー・テレサ〈いのち〉のことば 連載「つたえること・つたわるもの」77-③

連載「つたえること・つたわるもの」77-③ 2020.2.12 (ゴム連載 NEXT「つたえること・つたわるもの」80より)

たとえば、国連WFP(食糧計画)は、アフリカの飢餓を救うために航空機による援助物資(食糧)の空中投下を行っている。これには地上でのアクセス(食糧輸送)が困難という理由もある。しかし、これはあくまでもひとつの譬えだが、食糧が投下された所にひとつの村ができ、その食糧を食べつくすころに、次の食糧投下地点に村ごと移動する。そして……という際限のない繰り返しからは、本質的なレベルでの「飢餓からの救済」は見えてこない。アフリカの人びとが自らの手で農地を耕し、家族の〈いのち〉をつなぐ日々の食糧を得るためには、中村さんがアフガニスタンの人びととともに汗を流して井戸を掘り、灌漑用の用水路を建設することを通じて、人々の〈いのち〉を支援する「一隅を照らす」ような支援が求められている。
また、たとえばユニセフ(国連児童基金)のホームページには、「あなたのご支援でできること」として、寄付金の金額別支援内容が示されている。
☆3000円のご支援が重度の栄養不良に陥った子どもを回復させる治療ミルク236杯に変わります。/☆5000円のご支援が、3つの感染症(破傷風、百日咳、ジフテリア)の混合ワクチン448回分に変わります。(中略)/☆50000円のご支援で、予防接種や母乳育児の大切さなど、命の守り方を広める地域保健員50人を養成できます。

もちろん、このようなユニセフの支援活動による、世界の飢餓に苦しむ子どもたちへの寄付は重要な活動である。しかし、2008年の国会(外交防衛委員会)に参考人として招致された中村さん(ペシャワール会現地代表)の発言は、もっと深い〈いのち〉のことば、である。
○参考人(中村哲君) 衣食足って礼節を知るといいますけれども、まずみんなが食えることが大切だということで、私たちはこのことを、水それから食物の自給こそアフガニスタンの生命を握る問題だということで、過去、ペシャワール会は干ばつ対策に全力取り組んできました。私たちは医療団体ではありますけれども、医療をしていてこれは非常にむなしい。水と清潔な飲料水と十分な食べ物さえあれば恐らく八割、九割の人は命を落とさずに済んだという苦い体験から、医療団体でありながら干ばつ対策に取り組んでおります。

また、民主党所属の参議院議員、犬塚直史氏の「アフガニスタンにおけるPRT=地方復興チームの活動」に関する質問に対して、中村医師はこう答えている。
○犬塚直史君 そうした困難な状況の中、二十五年余にわたって、まさに現地化というよりも土着化して、これは中村先生がおっしゃったことですが、土着化して頑張っている活動に心から敬意を表したいと思います。
その上で、私は最近、現地でヨーロッパのPRT(※Provincial Reconstruction Team:地方復興チーム=大規模な戦闘終結後の治安の悪い地域での復興を助けるための国外勢力による組織)と民軍が一緒になっている活動の実態を聞き取り調査をした際に、何が何でも応援はするが、モスクだけは再建することはできないというようなお話があったのが非常に印象に残りました。
そこで、中村医師の報告の中で、「誤解される「マドラサ」」と、マドラサ(イスラム世界の高等教育機関で、モスクと併設されることが多い)というのはイスラム神学校と訳されているわけですけれども、これについての御報告がありました。ちょっと引用させていただきます。マドラサは通常イスラム神学校と訳され、タリバーンの温床として理解されているが、実態は少し違います。マドラサは地域共同体の中心と言えるもので、これなしにイスラム社会は成り立ちません。イスラム僧を育成するだけではなく、図書館や寮を備え、恵まれない孤児や貧困家庭の子供に教育の機会を与えると。そのマドラサを水路と一緒に再建の協力をさせたという、その体験を少しお話しいただけますか。
○参考人(中村哲君) まず、PRTについて言いますと、ほかの地域は知りませんけれども、ジャララバード(アフガニスタン東部ナンガルハル州の州都)を中心に、東部、南部、北部で、北部というか北東部で行われておるPRTの実態というのは、実は軍事活動の一環としてとらえてまず間違いない。
例えば医療関係でいいますと、突然米軍の装甲車がやってきて薬を配らせてくれと言う、診療所で。で、とんでもない、なめちゃいけないよ、我々は医者だぞ、正しい診断なしに兵隊が薬を配れるかと言って私たちは断りましたけれども、ほかのNGOはそうはいかない。反対するとやられるかもしれないという恐れでもってそれを受け入れる。副作用も分からない、何も分からないということで、薬をばらまいて一日で過ぎ去ってしまう。これはごく一例でありますけれども、明らかにこれはPRTの、いいPRTもあるんでしょうけれども、私が目撃したPRTというのは、ほぼ米軍の活動を円滑にするための宣撫活動に本質的に近いものだというふうに考えて間違いないと思います。
だから、私たちがヘリコプター、米軍から襲撃を受けたときも、PRTと密接な関係を持ってというふうに言いましたけれども、PRTと接触すること自体が危険を招くということで、一切ペシャワール会としてはPRTとの接触を断っております。もちろん敵対するつもりはありませんけれども、巻き込まれるつもりもありません。
(参議院会議録情報 第170回国会 外交防衛委員会第4号)

キリスト教(プロテスタント)作家の三浦綾子さんが、『道ありき』(主婦の友社、1989年)に残した、〈いのち〉のことば。

ほんとうに人を愛するということは、
その人が一人でいても、生きていけるようにしてあげることだ。

☆上医は国をいやす
西暦454年から473年にかけて書かれた、中国の陳延之の著書『小品方』に「上医医国、中医医民、下医医病(上医は国をいやし、中医は民をいやし、下医は病をいやす)」と書かれている。
この言葉は、もともと中国春秋時代を扱った歴史書『国語』晋語八の「上医医国、其次医人」に由来するもので、この「上医は国を医す」という言葉は、すぐれた医者は、国の疾病である戦乱や弊風などを救うのが仕事であって、個人の病気を治すのはその次である、というほどの意味らしい。

しかし、中村哲医師が今回、アフガニスタン東部で行った「井戸の掘削、用水路の延伸、取水堰の設置」という〈医療〉行為は、中医(民をいやす)のレベルをはるかに超えて、上医(国をいやす)に価するレベルの〈医療〉ムーブメントであったのではないだろうか。

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2020年2月 6日 (木)

【健康ジャーナリスト・原山建郎のコラム】 中村哲医師、〈いのち〉のことばー100の診療所より1本の用水路。 日本のカルカッタがあるはず! マザー・テレサ〈いのち〉のことば 連載「つたえること・つたわるもの」77-②

連載「つたえること・つたわるもの」77-② 2020.2.6 (ゴム連載 NEXT「つたえること・つたわるもの」80より)

中村さんの訃報が届いた翌12月5日、講談社の漫画配信アプリウェブサービス『コミックDAYS』のサイトで、『アフガニスタンで起こったこと~不屈の医師 中村哲物語~ 前編』(作者は三枝義浩、2003年)が公開されていた。https://comic-days.com/blog/entry/2019/12/05/175700にアクセスすると、誰でも63ページにおよぶ、詳しいストーリーが描かれた「中村哲物語」を無料で閲覧することができる。

これまで、中村さんはアフガニスタンでの用水路建設の合間を縫って、アフガニスタン支援を伝えるため、日本に度々里帰りしている。ことし9月には、沖縄県那覇市にある沖縄キリスト教平和総合研究所の開設10周年記念講演会で「アフガンに命の水を」と題する講演を行い、「薬では渇きや飢えは癒せない。必要なのは清潔な水だ。100の診療所より1本の用水路を!」と訴え、現地の人たちとともに1600本の井戸を掘り、全長約27kmの農業用水路と9ヶ所の取水堰の建設を成し遂げたことを報告している。
中村さんは中学時代に浸礼(バプテスマ)を受けたキリスト教徒(プロテスタント)だが、イスラム教国であるアフガニスタンでは「カカ・ムラド(ナカムラのおじさん)」と親しまれ、尊敬されていた。ご遺体が日本に帰国する日、同国のガニ大統領が先頭に立って、アフガニスタン国旗がかけられた棺を担ぐ姿がテレビで放映された。

中村さんは座右の銘である「照一隅(※一隅を照らす)」を著書にサインする。これは、比叡山を開いた天台宗の伝教大師・最澄が『天台法華三家学生式(てんだいほっけさんげがくしょうしき)』に書いた「国宝とは何物ぞ。宝とは道心(仏道を求める心)なり。道心ある人を名付けて国宝と為す。故に古人言ふ、径寸(金銀財宝)十枚、是れ国宝に非ず。一隅(ほんの片隅)を照らす、此れ則ち国宝なり」にある言葉である。
アフガニスタンという地球の「一隅」で、現地の人びとと手を携えて、1600本の井戸を掘り、全長約27kmの用水路を通し、9本の灌漑用の取水堰を設置し、砂漠化しつつあった1万6500ヘクタールの土地を潤し、その農地を耕して日々の食料を確保することを通じて、人びとの「いのち」を守り・育ててきた中村さんの30数年にわたる地道な活動を思うとき、日本とアフガニスタンの国境という垣根を越え、キリスト教とイスラム教という宗教の違いを超え、日本的仏教の素養も兼ね備えたひとりの日本人を、私たちは誇りに思う。

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2020年2月 2日 (日)

【健康ジャーナリスト・原山建郎のコラム】 中村哲医師、〈いのち〉のことばー100の診療所より1本の用水路。 日本のカルカッタがあるはず! マザー・テレサ〈いのち〉のことば 連載「つたえること・つたわるもの」77-①

連載「つたえること・つたわるもの」77-① 2020.2.1 (ゴム連載 NEXT「つたえること・つたわるもの」80より)

去る12月4日、パキスタン北西部と国境を接するアフガニスタン東部のナンガラハル州を車で移動中、何者かに銃撃されて死亡した日本人医師、ペシャワール会現地代表でPMS(ピース・ジャパン・メディカル・サービス)総院長を務めていた中村哲さん(73歳)のニュースが一斉に報じられた。
1984年、パキスタン北西部のペシャワール・ミッション病院に赴任した中村さんは、自らハンセン病棟の担当を申し出る。州都ペシャワールにはたくさんの内科や外科の医師がいたが、ハンセン病担当医はわずか3名のみ。のちにペシャワール会(中村医師のパキスタンでの医療活動を支援する目的で結成された国際NGO・NPO団体)の「誰も行きたがらない所へ行け。誰もやりたがらないことを為せ」という合言葉(基本方針)となる行動の第一歩だった。当時、パキスタン全土に約2万人のハンセン病患者がいて、16床しかないこの病棟にも2400人の患者が押し寄せた。翌1985年、四畳ほどの手術室を造ったが、停電することが多く、懐中電灯を頼りに診療を行った。医療器具の消毒・洗浄だけでなく、患者の搬送も自分の背中に担いで行った。あまりの激務を見かねて自発的に手伝いを申し出たのは、ハンセン病の患者たちだったという。
1986年からは、医師がいないアフガニスタン東部の山岳地帯で、パキスタンだけでなくアフガニスタンの人たちへの医療支援活動を開始した。ところが、2000年にアフガニスタン全土を襲った大旱魃、2001年に起こったNY同時多発テロに対するアメリカと有志連合が行ったアフガニスタン報復攻撃、それらによって引き起こされた深刻な食糧難と水不足、極度に悪化した衛生状態……。診療所には長蛇の列。診察の順番を待つ間に亡くなる人もいる。そこで、中村さんは白衣を脱ぎ、ツルハシを手にして、ブルドーザーの操縦桿も握る、大地の医者となった。
16年前、『週刊現代』のインタビューに答えて、その後の支援活動を次のように述べている。(※)は筆者注。

ソ連軍が撤退した1989年以降、欧米諸国からの支援が爆発的に増え、NGOが大挙してアフガンにやってきました。しかし、その多くが失敗に終わりました。彼らは現地の事情を理解せず、ただカネと食糧をばらまいていくだけ。せっかく集めた寄付も彼らの組織維持(※NGO職員の給与、事務所経費、パブリシティ費用などの必要経費)のために消えていく。そんな光景を数多く見てきました。結果、現地には何も根付かない。偽善以外の何物でもありません。
タリバン政権(※1996年~2001年11月ごろまで、イスラム主義組織のタリバンがアフガニスタン国土の大部分を実効支配していた)が崩壊した直後、200万人いた難民は一時、30万人にまで減りました。ところが今年(※2003年)の2月に発表された数字では、再び180万人にまで増えている。一度パキスタンから帰郷した難民が生活できず、難民キャンプに戻ってきてしまったんです。
故郷に帰っても、畑は干ばつで枯れてしまっている。それどころか、その日の飲み水にも事欠く状態です。仕方なく泥水を飲む。それが原因で病気にかかり、死んでいくのです。難民問題が一向に解決しない現実を前に、私たちは考えました。病気を治すのも大切だが、なによりもまず、水の確保こそが重要だと。医療活動に加えて、利水事業が始まったのです。
井戸を掘り、地下水路を整備する。砂漠化が進んでいた土地が、半年足らずで緑の大地に蘇るのです。故郷を捨てた難民たちが再び帰ってきました。井戸掘りの活動を始めてから3年がたち、完成した井戸は1000ヵ所を越えました。救った集落の数は60を超えています。今は用水路の建設に取り組んでいます。長さ16km、幅5mと大規模なもので、これが完成すれば十数万人が自給自足の生活を送れるだけの耕地が蘇ります。この工事の予算は2億円。現地の人間を使い、土地に伝わる伝統的な工法を行う。日本のODAに比べて10分の1、100分の1の金額でやれるんです。
(『週刊現代』2003年9月6日号)

2001年には、アフガニスタン各地で米軍による大規模な9・11(NY同時多発テロ)報復爆撃が頻繁にあり、用水路建設のために岩盤を工業用ダイナマイトで爆破する音が米軍ヘリへの攻撃とみなされ、上空の戦闘機から機銃掃射を受けたこともあったという。なぜ、そこまでしてパキスタンやアフガニスタンの人たちのために、日本人医師である中村さんが自らの身命を賭して、日々の診療活動の枠内にとどまることなく、用水路建設を手がけることを決意したのか。中村さんの死を報じた新聞記事の中から、いくつか選んだ〈いのち〉のことば、を紹介する。

☆みんなが泣いたり困ったりしているのを見れば、誰だって「どうしたんですか」って言いたくなる。そういう人情に近いもんです。
☆ちょっと悪いことをした人がいても、それを罰しては駄目。それを見逃して、信じる、罰する以外の解決方法があると考え抜いて、諦めないことが大切。決めつけない「素直な心」を持とう。
☆道路も通信網も、学校も女性の権利拡大も、大切な支援でしょう。でもその前に、まずは食うことです。彼らの唯一にして最大の望みは「故郷で家族と毎日、三度のメシを食べる」ことです。(※アフガニスタンでは)国民の8割が農民です。農業が復活すれば外国軍や武装勢力に兵士として雇われる必要もなく、平和が戻る。「衣食足りて礼節を知る」です。
☆自分のしていることは平和運動ではない。農業ができて家族が食べていければ、結果として平和になる……。平和は(※目的ではなく)結果でしかない。

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2020年1月11日 (土)

【健康ジャーナリスト・原山建郎のコラム】 天と地のエネルギーを巡らせて、再び大地に還す、足芯呼吸法 連載「つたえること・つたわるもの」67-④

連載「つたえること・つたわるもの」67-④ 2020.1.11 大きな樹木が根から水分を吸い上げるイメージで行う「天遊(足芯呼吸)」は、足芯(そくしん=足の裏全体)から鼻で細く長く息を吸い上げ、からだ全体に行き渡らせたあと、最後は再び足芯に吐き下ろす呼吸法である。足の裏(足芯)から吸い上げた息を、両脚の内側を通して丹田まで吸い上げる。次に肛門に軽く意識をおいたまま、今度は背骨の中を通して百会(ひゃくえ=頭頂)まで息を吸い上げる。百会で軽く息を止め、吸い上げた息は止めたまま、身体の前面を下ろしていき、その息を丹田に収める。そこから足の裏(足芯)に向かって息を吐き下ろす。「天遊」の演習では、両肩と両膝をゆるめ、手の甲が床につくまで状態を倒す。両手を足の裏から息を吸い上げながら上体を起こし、両手を徐々に百会(頭頂)まで上げていき、吸い上げた息を身体の前面を通して下ろすときに両腕を真横に開く。丹田に収めた息を足芯に向かって吐きながら、両手も下ろして、最初の姿勢に戻る。天と地のエネルギーを循環させる呼吸法である。

 

「釈迦力(しゃかりき)」という言葉がある。「無我夢中でやると、思わぬ力が出てくる」というほどの意味である。これを「自力・他力」の観点でとらえると、自分の力だけで精いっぱい頑張る(自力)のではなく、無我夢中(われを忘れる)となった、自分の〈からだ〉と〈こころ〉を経由して、お釈迦さまの力(絶対他力)がはたらく、と考えることができるのではないだろうか。

 

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2020年1月 8日 (水)

【健康ジャーナリスト・原山建郎のコラム】 天と地のエネルギーを巡らせて、再び大地に還す、足芯呼吸法 連載「つたえること・つたわるもの」67-③

連載「つたえること・つたわるもの」67-③ 2020.1.8

終末期の患者をすべて「まるごと」傾聴する臨床宗教師は、そのケアを自力(自分の努力)のみで行っている間は、やがてそのエネルギーは不安定になり、枯渇することもある。
しかし、自分が天(宇宙、神仏)から受けたエネルギーをそのまま相手に伝え、そして、相手から還ってくるエネルギー(ときに負のエネルギーもある)は自分のからだを通して大地に戻していく。その大きなエネルギー循環の中に、私(臨床宗教師)も相手(終末期の患者)も収め摂られている、というイメージがほしい。
そこで、2限の授業『天と地のエネルギーを巡らせる「足芯呼吸法」』では、ドネーション(自分から相手への寄付行為)のケアではなく、ギフト(天から授かった贈り物)としてのケアを行う方法として、かつて西野流呼吸法(創始者は西野皓三さん)の稽古で私が学んだエクササイズ、「エネルギーの浸透(現代版・軟蘇の法)」と「天遊(足芯呼吸)」のミニ演習を行った。

頭上のバターが溶けていくイメージで行う「エネルギーの浸透」は、臨済宗中興の祖・白隠禅師の「軟蘇(なんそ)の法」をヒントに、合気道、中国拳法の達人でもある西野さんが考案した呼吸法である。
頭の上に乗せたバター(※軟蘇=ウシやヒツジの乳を煮詰めたもの)が、体温で軟らかく溶け出して、まず頭部全体をひたし、次に首、両肩から両腕、胸、腹部の内臓器官へと、全身に浸透していき、さらに腰、両脚を下って、足の裏まで流れていく様子を、瞑目したまま、ゆったりしたイメージを思い浮かべる呼吸法で、天から受けたエネルギーが全身に浸透し、最後は足の裏(足芯)に向かって流れていく。
西野流呼吸法では正座で行うが、今回はイスに浅く腰かけたまま、丹田(下腹部)の前に両手をかざし、風船をふくらますイメージでエネルギーを広げ、圧縮する呼吸を何回か繰り返した。からだが温かくなった、両手のひらが少しビリビリする感覚があった、と述べた院生も何人かいた。

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2020年1月 5日 (日)

【健康ジャーナリスト・原山建郎のコラム】 天と地のエネルギーを巡らせて、再び大地に還す、足芯呼吸法 連載「つたえること・つたわるもの」67-②

連載「つたえること・つたわるもの」67-② 2020.1.5

 

「人生の最終章を、病院で終えるのでなく、わが家で過ごしたい!」 
終末期がん患者とその家族の切なる願いに、まっすぐ向き合い、しっかり支えながら、安らかな死を看取る、在宅ホスピス医のミッションは、24時間、365日待ったなし。がん患者とその家族が抱える人生の痛みは、否応もなく訪問医療チームひとり一人の〈からだ〉と〈こころ〉にのしかかる。ときには、その重圧から、バーンアウト(燃え尽き症候群)する医師、看護師、介護ヘルパーも少なくないという。
同じように、終末期患者のベッドサイドで、「こころ・きづな・たましい・まるごと」の痛みや哀しみ、ときには憎しみや恨みに向き合い、それらすべてを「まるごと」傾聴する臨床宗教師もまた、日ごろから自らの〈からだ〉と〈こころ〉をセルフケアしていないと、バーンアウトしてしまう恐れがある。そこで、臨床宗教師をこころざす僧侶たちにとっても、「ケアする人をケアする」、つまり臨床宗教師(ケアする人)自身をケアする(セルフケア)」方法が必要になってくる。
高齢者や認知症の人を世話する家族を、英語で「ケア・ギバー(care giver)」、それを業(有資格者)として行う人(介護福祉士など)を「ケア・ワーカー(care worker)」という。
ケアは「世話する(人)」だが、ギバーの動詞形のギブは単なる「与える」ではない。
ギブ(give)の語源には、①ラテン語donare=to give(与える)、②ゲルマン語gift=to be given(与えられる)の2種類があって、①はドネーション(donation)、=無償の寄付(私が与える)、②はギフト(gift from heaven)=贈り物(天から授かった資質、才能)の意味合いがある。
同じケアであっても、無償の寄付である「私が与えるケア」は、自力(自分の意志)で行うケアだから、自分の体力、財力が尽きれば「私が与えるケア」はできなくなる。
それに対して、他力(天から授かった、与えられた)の贈り物を、自分の〈からだ〉と〈こころ〉を経由して相手に渡す(パスする)ケアであれば、その源泉は天と地(宇宙、大地、神仏)にあるから、汲めども尽きぬ井戸水のような、無限・交流・循環のケアとなる。

 

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2020年1月 2日 (木)

【健康ジャーナリスト・原山建郎のコラム】 天と地のエネルギーを巡らせて、再び大地に還す、足芯呼吸法 連載「つたえること・つたわるもの」67-①

連載「つたえること・つたわるもの」67-① 2020.1.2

先週6月4日、東京・巣鴨の大正大学大学院の授業にゲストスピーカーとして招かれ、甲府市を拠点に活動する在宅ホスピス医・内藤いづみさんが担当する通年講義「人間学特論」の中で、内藤さんからいただいたテーマ「ケアする人をケアする」の基調スピーチ(講義)と呼吸法指導(ミニ演習)を行った。
受講生(大学院生)は、真言宗智山派、天台宗、浄土宗の青年僧侶、仏教を学ぶ一般人だが、とくに臨床宗教師(僧)を志す院生は、その活動の手がかりを求めて「人間学特論A(春学期)・B(秋学期)」を受けている。

近代ホスピス(英国のセント・クリストファー・ホスピス)の創始者、シシリー・ソンダース博士は、終末期を迎えたがん患者の痛みには、①フィジカル(身体的)ペイン、②メンタル(心理的)ペイン、③ソーシャル(社会的)ペイン、④スピリチュアル(霊的)ペイン、この4つの要素がかかわる多面的・複合的な痛みをトータルペイン(全人的苦痛)ととらえた。しかし、私たち(日本語話者)には、カタカナ(英語)表記のペイン(苦痛)ではなく、たとえば、①「からだ」(肉体が感じる)のいたみ、②「こころ」(頭脳で感じる)のいたみ、③「きづな」(人間関係のバックグラウンド)のいたみ、④「たましい」(ハートで感じる)のいたみ、また「(人生)まるごと」(これまでの・いま・これからの)のいたみ、のように、ひらがな(やまとことば)を用いて表現したほうが、もっと理解しやすくなるのではないだろうか。
ちなみに、仏教でとらえる「苦」とは、単なる「苦痛(ペイン)」ではなく、私たちの人生には〈生まれ・老いて・病んで・死ぬ〉のように、「自分の思いどおりにならない痛み」をさす。したがって、緩和ケア病棟や在宅医療の現場では、モルヒネなど鎮痛薬の投与によって、①「からだ」の痛み(疼痛)はかなりコントロールできても、「こころ・きづな・たましい・まるごと」の痛みは、コントロールがむずかしい。

 

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2019年6月 5日 (水)

【健康ジャーナリスト・原山建郎のコラム】ブックセラピーno.72 プロアクティブ、主体性から 「菫尊」へ。 遠藤ボランティアの顧問として、未だ、熱いメッセージを送り続けている原山建郎さんのご許可を頂き、原山建郎のコラム欄を設けております。

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2016年12月19日 (月)

この18日、NHKラジオ第二放送「宗教の時間」で、遠藤周作さんの遠藤ボランティアグループ代表の原山建郎(はらやま・たつろう)の語りが流れました。12月25日(日)夜6:30~7:00再放送 来年は、遠藤ボランティアグループ、結成35周年の年です。  

この18日、NHKラジオ第二放送「宗教の時間」で、遠藤周作さんの遠藤ボランティアグループ代表の原山建郎(はらやま・たつろう)の語りが流れました。1225日(日)夜630700再放送があります。 「宗教の時間」「神は愛の行為しかなさらない――遠藤周作の信仰と心あたたかな医療」に

来年は、遠藤ボランティアグループ、結成35周年の年です。  

 

放送の内容は、『これから救われるのではなく、「すでに救われている自分」であることに気づくこと、それが全ての宗教の目標だと思います』という文脈の中で、遠藤さんの『神は愛の行為しかなさらない』を語りたいと思ったから構成されていたのです。


原山さんは、現在、武蔵野大学仏教文化研究所の研究員として、「終活」ではなく、「仏活」にいそしんでおり、遠藤さんが書きたかった『私のヨブ記』、死では終わらない「奇跡の物語」を、私なりにキリスト教と仏教、二つの視点から探究してみたいと考えてお出でです。

遠藤周作さんが長編エッセイとして書きたいと思っていたのですが、存命中にはその願いを果たせなかった『私のヨブ記』のことをお話しになられ、その内容にディレクターが注目したことから、「奇跡の物語」としての『私のヨブ記』は、いまも「心あたたかな医療」運動の実践という「奇跡」として書かれているというパラグラフを、最後の部分話されておりました。

来年は、遠藤ボランティアグループ
(病院ボランティア)、結成35周年の年です。

 

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2016年12月10日 (土)

遠藤ボランティアグループ代表・原山建郎さん、NHKラジオ第二放送(AM)「宗教の時間」出演のご案内:12月18日(日)朝8:30~9:00放送、12月25日(日)夜6:30~7:00再放送予定のNHKラジオ第二放送の番組、「宗教の時間」「神は愛の行為しかなさらない――遠藤周作の信仰と心あたたかな医療」に

 

遠藤ボランティアグループ代表・原山建郎が出演し、34年前に遠藤周作さんが提唱して始まった「心あたたかな医療」が、2016年のいま、日本の病院は患者にどのような医療を提供しているか、日本に「良医」は増えているかなどの検証レポート、また、遠藤さんが書きたかった『私のヨブ記』についても私見を述べられます。

 

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