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6)原山建郎のコラム

【原山建郎の連載コラム】「つたえること・つたわるもの」№169 おとなのなかの〈こどもの宇宙〉、 「あいうえお」でつむぐ〈ひらがな〉詩。

9月26日(火)にアップした連載コラム「つたえること・つたわるもの」№169をお届けします。https://gomuhouchi.com/serialization/53519/おとなのなかの〈こどもの宇宙〉、「あいうえお」でつむぐ〈ひらがな〉詩。
今回のコラムは、10月2日(月)に開催される「子育て講座」(下里しおん保育園)のトピック(話題)をとり上げます。対象は保育園児の保護者(≒母親)ですが、その通知文を次のように書きました。
はるか昔、オノマトペ(擬声語・擬態語)から生まれた「日本語」の〈たまご〉は、10世紀(平安時代)に成立し、のちに手習いの手本(いろは順)となった「いろは」歌です。また、「あいうえお」は、15世紀(室町時代後期)の国語辞典(温故知新新書)に載った「五十音」が最初ですが、明治時代の教科書で現在の「五十音(あいうえお順)」がスタンダード(標準)になりました。この講座では、懐かしい「いろは」歌(いろはかるた)や、近現代の詩人、北原白秋、谷川俊太郎、まど・みちお、中川ひろたかの「あいうえお」歌を、保育園児、幼稚園児といっしょに声に出して読む「ひらがな」の詩を楽しんでみましょう。
今回の講座には、①日本語の〈たまご〉としての「あいうえお」を介して、おとなのなかの〈子どもの宇宙〉に出会う/②「あいうえおうた」の音読演習によって〈ヒーリング・リーディング(ライティング)〉をめざす、この二つの目標があります。
また、コラムではふれませんでしたが、年代的には「あいうえお」の先輩である「いろは(いろは歌、いろは歌留多)」についても、資料をもとにお話しする予定です。「いろはうた」といえば、幼少期の私は、その歌の意味も分からず、「いろはにほへと、ちりぬるをわか、よたれそつね、うゐの……」と覚えました。モーツアルトの子守歌も「ねむれよ、いこよ……」、春日八郎の「お富さん」も「粋な黒塀、見越しの松に」を、「いきな、黒兵衛(※やくざの名前?)、神輿(みこし)の松(※これもやくざの名前?)……」などと、歌詞の区切りや意味を間違って読んでいました。
「いろはうた」と「あいうえおうた」は、どちらも日本語(和語=やまとことば)の〈たまご〉です。

詳細は☞ ダウンロード - 169.pdf

 

お時間のあるときに、お読みください。

☆原山建郎☆

 

【原山建郎の連載コラム】「つたえること・つたわるもの」№168 くさびだから一番大事なところへうつ、 くさびだから見えないようにうつ。

9月12日(火)にアップした連載コラム「つたえること・つたわるもの」№168をお届けします。くさびだから一番大事なところへうつ、くさびだから見えないようにうつ。 | ゴム報知新聞NEXT | ゴム業界の専門紙 (gomuhouchi.com)

 今回のコラムでは、はじめに「このところ、新聞やテレビなど大手マスメディアの報道スタンス(報道自粛・忖度)について、さまざまな問題提起がなされている。かつて出版社(主婦の友社)に勤務し、『主婦の友』の編集記者であった一人として、いま改めて出版ジャーナリズムのあり方、エディターシップ(編集者魂)について考えてみたい。」と書きました。
そのあとに記したのは、私を雑誌記者として育ててくれた『主婦の友』という肥沃な土壌、主婦の友社の創業者・石川武美(たけよし。1887~1961年)のエディターシップについてです。1968年入社の私は生前の石川の謦咳に接する機会はありませんでした。しかし、石川の烈々たるエディターシップ(編集者魂)は、関東大震災や敗戦などそのときどきの局面において、決して「空気(時代の同調圧力)」のせいに(責任転嫁)しない〈いさぎよさ〉、正直でまっすぐな〈こころ〉であったことなどを知りました。そして、56歳で主婦の友社を辞してフリーに転じた私が、「生涯一記者(一生さまざまな媒体に書きつづける)」を志したときに、その心の拠り所のひとつにしたのが、コラムでとり上げた石川の『記者の道』でしした。

☆真実を書く、☆体験で書く、☆独創で書く、☆わかりよく書く、☆体力で書く、☆情熱で書く、☆聴き方上手に、☆材料豊富で書く、☆読者の立場で書く、☆記者は革新家、☆信頼される記者、☆親切な記者、☆祈りの心で書く
これらは、雑誌記者として「あたりまえのこと」であると同時に、実はいちばん「むずかしい」ことでもあります。先輩記者たちに「雑誌の記者はどこまでも黒子に徹せよ。読者に苦労のあとを見せるな」と諭したという石川武美のエディターシップについて考えていたら、書家で詩人の相田みつをの『見えないところで』に出会いました。

コラムのタイトルは、「くさびだから一番大事なところにうつ、くさびだからみえないところにうつ」としました。意のあるところをお汲み取りいただけますと幸いです。

詳細は☞ ダウンロード - 168.pdf

 

☆原山建郎☆

【原山建郎の連載コラム】「つたえること・つたわるもの」№167 ビッグモーター問題、日大アメフト部事件 ――空気の支配に「水」を差す。

8月22日(火)にアップした連載コラム「つたえること・つたわるもの」№167をお届けします。ビッグモーター問題、日大アメフト部事件――空気の支配に「水」を差す。 | ゴム報知新聞NEXT | ゴム業界の専門紙 (gomuhouchi.com)

先週15日は78回目の「終戦の日」でしたが、自らも比島(フィリピン諸島)での戦闘・敗戦・捕虜収容所・最後の復員船で帰国という辛酸をなめた山本七平さんの高著『空気の研究』を引用しながら、今回のコラムでは、いま世間を騒がしている「ビッグモーターの保険金不正請求問題」と「日大アメフト部の違法薬物事件」を、「絶対的空気の支配(集団への反論を許さぬ同調圧力)」という視点でとらえてみました。
そして、このような集団による「空気の支配」を解くカギは、その場の空気に「水を差す」ひと言にある、あるいは、私たちは今でも「水を差す自由」を確保しておかないと大変なことになると、山本さんは指摘しています。
ビッグモーターの新社長、和泉伸二さんは、1992年入社(23歳)、2006年専務取締役、2023年代表取締役社長就任(54歳)ですが、1976年に同社前身の兼重オートセンターを25歳で創業した前社長の兼重宏行さん、2011~2012年まで日本興和損保に在籍→2012年ビッグモーター入社(24歳)、2015年取締役(27歳)、2012年代表取締役副社長を辞任(35歳)した前副社長の重兼宏一さんら経営トップによる常習的な不正と隠蔽という「空気の支配」の中で、経営陣のひとりであった和泉さんは、その「空気の支配」に一度でも「水を差し」たことはあったのでしょうか? 
また、昨夏、かつて「日大のドン」と呼ばれた田中英壽前理事長に代わって、「母校の改革」を掲げて新理事長に就任した林真理子さんは、元検事で競技スポーツ担当である沢田康広副学長の隠蔽工作ともとれる数々の行いに対して「水を差す」ことはあったのでしょうか? その実態は「お飾りの理事長」でしかなかったのでしょうか?


今回のコラムを書いた私の思いは、ことし7月に就任した和泉伸二新社長、昨年7月に就任したばかりの林真理子新理事長、お二人を非難することではありません。
どんな集団にもある「空気の支配」、それはたとえば「社風」であったり、「校風」であったりするのですが、功罪両面を併せもつ「社風」や「校風」をどのように考えればよいのでしょうか? 昨日(23日)夏の甲子園・高校野球大会で、107年ぶりに優勝を飾った慶應義塾高校の自由な「校風」が話題となっています。

詳細は☞ ダウンロード - 167.pdf

 

次回のコラムは、『空気の教育』(外山滋比古著、福武書店、1983年→ちくま文庫、2011年)を参考にしながら、「社風」や「校風」について考えてみたいと思います。

お時間のあるときにお読みください。
☆原山建郎☆

【原山建郎の連載コラム】「つたえること・つたわるもの」№166  ロシアのウクライナ侵攻――ハチントンが予言した「文明の衝突」  

8月8日(火)にアップした連載コラム「つたえること・つたわるもの」№166をお届けします。
ロシアのウクライナ侵攻ーーハンチントンが予言した「文明の衝突」 | ゴム報知新聞NEXT | ゴム業界の専門紙 (gomuhouchi.com)

今回のコラムには、二つのトピックスがあります。
ひとつは、今夏78回目となる原爆の日(広島・8月6日、長崎・8月9日)を迎えた現在の世界情勢は、「完全なる核廃絶をめざす」から「核抑止力の保有はやむを得ない」へと舵を切っているかにみえるなか、私の友人で歯科医のSさんから「広島投下の夜の原爆被災者の医療救援に向った」やはり歯科医の父上が二十数年前、歯科医の学会で講演されたスピーチ草稿を見せていただきました。そこには、「海軍の歯科医科士官になって広島の原爆投下の夜、救援活動で広島市内に入り、人類が始めて体験した原子爆弾の惨劇の現場に踏み込む羽目になってしまった」父上の「三日間、広島の市内を医療救援にさまよいました。真っ暗ななかから被爆者の手が伸び出て、腕をつかまれます。かすかな声で「助けてください」とつかんだ、その火傷の皮膚がぬるりと剥げてまとわりつきます。あちらこちらに、地獄の劫火のような火が燃え盛っていました。無数の死体と添い寝もして眠りました。」という苛烈な体験が書かれていました。Sさんのご了解を得てその一部を引用させていただきました。
ロシアのメドベージェフ元大統領は7月30日、「ウクライナの反攻が成功すれば、ロシアは核兵器の使用を余儀なくされる可能性がある」と述べ、戦術核兵器(対象を敵の軍事拠点などに限定する形で、低出力の核攻撃をしかける兵器。広島・長崎に投下された原爆の5~10倍の威力がある)の使用をちらつかせています。

もうひとつは、最近のウクライナ反転攻勢、ロシアの戦術核使用の可能性が気になって、アメリカの政治学者サミュエル・ハンチントンが1996年に著した『文明の衝突(上下巻)』(サミュエル・ハンチントン著、鈴木主税訳、集英社、1998年→集英社文庫、2017年)を読んでいたら、「ウクライナは異なる二つの文化からなる分裂国だ」と書かれていました。ハンチントンは「文明と文明が接する断層線(フォルト・ライン)での紛争が激化しやすい」と主張しており、ウクライナの西部(ポーランド寄りの地域)と東部(ロシア寄りの地域)の文化と文明の歴史的経緯がくわしく書かれていました。いまから27年前の執筆ですが、大変興味深い考察だと思います。

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お時間のあるときにお読みください。
☆原山建郎☆

 

 

 

 

【原山建郎の連載コラム】「つたえること・つたわるもの」№165 有頂天のしっぺ返し、どんでん返し、禍福はあざなえる縄の如し

(7月25日)アップした連載コラム「つたえること・つたわるもの」№165をお届けします。有頂天のしっぺ返し、どんでん返し、禍福はあざなえる縄の如し | ゴム報知新聞NEXT | ゴム業界の専門紙 (gomuhouchi.com)
今回のコラムは、先週、最終回(第5回目/7月20日)を迎えた文教大学(越谷校舎)のオープン・ユニバーシティ『エピソードで綴る〈自分史〉ハイライト』で、関連資料として配布した(講師である私の運命を変えた)「エピソードで綴る〈自分史〉ハイライト――悔しかったこと/嬉しかったこと」=「原山建郎の運命を変えた〈自分史〉ハイライト」をとり上げました。このトピック(話題)は、かつてトランネット通信(出版翻訳企業のメールマガジン)の連載コラム「編集長の目」№96(2007年)に書いた原稿に加筆・修正をして、再構成したものです。
「有頂天のしっぺ返し、どんでん返し、禍福はあざなえる縄の如し」という本コラムのタイトルのように、これが私の「生涯、一記者」のスタートを切るための、セルモーターであったと思っています。今回のコラムの末尾を、次の一文で結びました。

「禍福はあざなえる縄の如し」という言葉がある。それは私たちの眼に「禍福(災いと幸せ)」と映っているだけで、それはいつか「シンクロニシティ(必然の偶然)」だとわかるときがくる、という意味なのかもしれない。

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☆原山建郎☆

 

【原山建郎の連載コラム】「つたえること・つたわるもの」№164 ナラティブ・セラピー――徳永進さんの「〈自分史〉ハイライト」を読む。

7月11日アップした連載コラム「つたえること・つたわるもの」№164をお届けします。
ナラティブ・セラピー――徳永進さんの「〈自分史〉ハイライト」を読む。 | ゴム報知新聞NEXT | ゴム業界の専門紙 (gomuhouchi.com)

 今回のコラムは、前回、送付状とともに添付した保存資料「徳永進さんの〈自分史〉ハイライト――ラポール/ナラティブ・セラピー」の中から、徳永さんの医療者としての「〈自分史〉ハイライト」を、物語編集力の手法を用いて、◇セパレーション(分離・出立・家出)=きっかけ(導入部)→☆イニシエーション(試練、苦難、戦い)=できごと(おもな話題、展開)→○リターン(帰還)=どうなったか(結末)=再び、次のきっかけ(導入部)へ という、いくつかのエピソードでまとめたものです。
これは、あくまでも原山の感覚(私見)でまとめたものですが、◇幼くて 癩病むいわれ 問いつめて 母を泣かせし 夜の天の川/☆故郷に待つ人は、誰もいないですから。/「九十年の漆黒の闇、深い悲しみの底。」(※原山が2014年に書いたコラム)/☆いい加減な良心は簡単につぶされる。/○⇔◇「ぼくのラポール」(※ここでは○リターンが、次の新たな◇セパレーションにつながるという意味で、ネバーエンディング・ストーリー「はてしない物語」でもある)のように構成しました。
前々回の№164では、徳永さんの●成長するという一文を紹介しましたが、◇セパレーションらい(ハンセン病)で瀬戸内の島に強制隔離され、家族と故郷を失った鳥取のハンセン病者、40人の聞き書き(1982年12月刊『隔離――らいを病んだ故郷の人たち』)⇒ ○⇔◇「ぼくのラポール」(1982年2月刊『死の中の笑み』)という、どちらも、遠藤さんの「心あたたかな医療」キャンペーンが始まった年である1982年に上梓された、まさに初期の著書、2冊の中に書かれたエピソードに、徳永さんの「〈自分史〉ハイライト」の出発点、良医として成長するシーズ(種子)がすでに蒔かれていたことを知り、うれしく、そしてありがたいと思いました。
じつは、昨日、あだち区民大学塾(東京・北千住)第2回講座で、『日本の「良医」に訴える』/『東大病院の「入院案内」が変わった』について2時間スピーチしたのですが、遠藤さんが1982年(41年前)に提唱した「心あたたかな医療」キャンペーンのフェーズ(位相、段階、局面)が変わったと思うようになりました。
それは、たとえば、遠藤さんが『中央公論』で患者として訴えた「医師は診察の折、患者の病気の背景にはその人生を考えてほしい」を別の視点でとらえると、「患者の人生=「〈自分史〉ハイライトがあると同じように、すべての医療者にも「医療者の人生=〈自分史〉ハイライトがある」ことになります。患者の目の前にいる医療者(医師や看護師など)は、もちろん口に出して語られることのない「医療者の人生=〈自分史〉ハイライト」を生きているひとりの人間として、患者の話に耳を傾け、少しても苦しみや不安、孤独感を軽くするための医療を行っている、そう考えることはできないでしょうか?

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☆原山建郎☆

【原山建郎の連載コラム】「つたえること・つたわるもの」№163〈自分史〉ハイライト――医療者の感動 ――ナラティブ・アプローチ

(6月28日)アップした連載コラム「つたえること・つたわるもの」№163をお届けします。


〈自分史〉ハイライト-医療者の感動-ナラティブ・アプローチ | ゴム報知新聞NEXT | ゴム業界の専門紙 (gomuhouchi.com)
じつは、先週から始まった文教大学オープン・ユニバーシティ(社会人向け教養講座)「エピソードで綴る〈自分史〉ハイライト」講座(全5回)で、自分の行動や考え方を変えるきっかけ(転換点)となったエピソード(実話)を、受講者が1分間スピーチで発表した内容をもとに、200~300字の原稿にまとめる演習を行っているのだが、今回のコラム№163では、遠藤周作さんが1982年に提唱した「心あたたかな病院(医療)」キャンペーンを、41年後のいまも医療の現場で支えている3人の医療者(村松静子看護師/内藤いづみ医師/山口トキコ医師)と、吃音のハンデを抱えながら(いや吃音があるからこそ)「心あたたかな医療」を実践しておられた神山五郎医師(残念ながら2017年に亡くなられた)の「医療者としての人生を変えた〈自分史〉ハイライト」をとり上げました。キーワードは「〈自分史〉ハイライト」「医療者の感動」「ナラティブ・アプローチ」「です。
詳細は☞ ダウンロード - 163.pdf

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☆原山建郎☆

【原山建郎の連載コラム】「つたえること・つたわるもの」№162 ラポールをもてる人、自然体の良医、 徳永進さんのホスピスケア。

6月14日、アップした連載コラム「つたえること・つたわるもの」№162をお届けします。


ラポールをもてる人、自然体の良医、徳永進さんのホスピスケア。 | ゴム報知新聞NEXT | ゴム業界の専門紙 (gomuhouchi.com)
かつて「全快(完治)」こそが医学の「勝利」であり、患者の「死」は医学の「敗北」である、と考えられていた時代がありました。しかし、いま、「治らないかもしれない(がんや難病)」患者のターミナル・キュア&ケアを「よろこんで」引き受けてくれるホスピスケアが求められる時代になりました。
前回のコラム№161では、「キュア・ケアする側(医師、看護師など医療者)」から「キュア・ケアされる側(患者とその家族)」に向って、ほとんど一方通行のように施されてきたターミナル(終末期)の臨床を、じつは「キュア・ケアする側・される側」という二元論で考えるのではなく、いわば「形のない家族」 における「ターミナル・ヒーリング(終末期患者を中心に、それをとりまく/家族/医師/看護師をも含めた、全員の人生まるごとの癒し)」ととらえられないだろうか、について書きました。
今回のコラムは、野の花診療所院長・徳永医師の著書(23冊)を読みながら、徳永進医師が実践する「ホスピスケア」の根底にあるものを、さぐってみました。

キーワードは「ラポール」「自然体」「ホスピスケア」「シーツの道(診療所のラウンジで挙げた結婚式)」です。

詳細は☞ ダウンロード - 162.pdf

お時間のあるときに、お読みください。
☆原山建郎☆

 

【原山建郎の連載コラム】「つたえること・つたわるもの」№161 ターミナル・ヒーリング――患者とその家族から「つたわるもの」

先週アップした連載コラム「つたえること・つたわるもの」№161をお届けします。
ターミナル・ヒーリング――患者とその家族から「つたわるもの」。 | ゴム報知新聞NEXT | ゴム業界の専門紙 (gomuhouchi.com)
その内容は、現在、文教大学(越谷・湘南・東京あだちキャンパス)オープン・ユニバーシティで講じている
『遠藤周作の遺言――「心あたたかな病院がほしい」その1』との関連トピックです。
ターミナル・キュア/ターミナル・ケアは、ふつう、終末期の患者を医療者が「どう治療するか/どう看護(介助)するか」ですが、
鳥取市にある野の花診療所(二階に19床のホスピスベッド、一階は一般内科外来)の徳永進医師が書いた著書を読み返していたら、
終末期患者とその家族の人生だけでなく、ケア(キュア)にあたる医療者(医師、看護師)自身の人生も含めた「ターミナル・ヒーリング(終末期の人生まるごとの癒し)」の世界があることに気づかされました。

5月25日の文教大学(越谷校舎)オープン・ユニバーシティ(社会人向け教養講座)『遠藤周作の遺言――「心あたたかな病院」がほしい その1』第3回講座では、肺結核や腎臓病などで長く苦しい闘病生活を経験した遠藤さんの切実な思い「患者をこれ以上苦しめないでください」をとりあげる。
遠藤さんはまた、1982年4月、読売新聞夕刊の連載エッセイ『患者からのささやかな願い』の①(第1回)に、『病気の「治療」だけでなく、患者に「心のなぐさめ」も』と題する一文を寄稿している。

№161 ターミナル・ヒーリング――患者とその家族から「つたわるもの」
 最近、御存知のように日本にも随分立派な病院がたちました。巨大な建物や完備した医療設備。それを見学したことも何度かありますが、私は、そのたびごとに感心しながらも「何かが欠けている」――そんな気がいつもするのでした。何が欠けているのだろう。こんな立派な病院に来て、なぜ、何かが足りないと思うのだろう。すぐに思いあたりました。
 それはここでは病気を治そうと試みているが、病気にかかった人の孤独感や苦しみを慰める点ではほとんど神経を使っていない。つまり医者や看護婦さんの努力や善意にかかわらず、日本の病院そのものは重症患者の孤独感や絶望感にはあまり心をくだいていない気がするのです。
(『患者からのささやかな願い』①、讀賣新聞1982年4月1日夕刊)

続きは☞ ダウンロード - 161.pdf

次回の連載コラム№162では、「看護師の目をもつ病院・在宅ホスピス医、そして日本の「良医」のおひとりである徳永さんのことを書くつもりです。


お時間のあるときに、お読みください。
☆原山建郎☆

【原山建郎の連載コラム】「つたえること・つたわるもの」№160 3月の風と4月の雨が5月の花(メイフラワー)を咲かせる。

(5月9日)アップされた連載コラム№160をお届けします。
3月の風と4月の雨が5月の花(メイフラワー)を咲かせる。 | ゴム報知新聞NEXT | ゴム業界の専門紙 (gomuhouchi.com)
今回のコラムは、最新ニュース「チャールズ三世の戴冠式(英国国教会の首長)」から思いっきりスピンオフして、三つのトピックについて考えました、
①ジェームズ一世(エリザベス一世の後継国王)による清教徒(ピューリタン)への宗教的迫害→メイフラワー号で北米大陸をめざす。
②ローマ・カトリック教会によるプロテスタント派(アーミッシュ)への宗教的迫害→北米大陸への移住→ペンシルバニア・ダッチ・カントリーへの入植。
③「母の日」の制定と「お母さんに捧げる愛情ケーキ」レシピ→「父の日」と雑誌の記事(父親像)。
そして、この三つのトピックをつなぐキーワードとして、イギリスのマザーグース(わらべうた)「三月の風と四月の雨が五月の花を咲かせる(March winds and April showers bring forth May flowers.)」を紹介しました。

詳細は☞ ダウンロード - 160.pdf

お時間のあるときにお読みください。
 ☆原山建郎☆

 

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