連載コラム「つたえること・つたわるもの」№147は、『からだがゆるされて動いているか! こころの呪縛を解き放つ。』をお届けします。「からだはいちばん身近な自然」(野口三千三語録)ということばがあります。「からだ」という自然は、いつもたのしく(手伸しく)ゆかいに(ゆったりと)生きようとしているのに、いつも見栄を張りたがる「こころ」は、向上心という名の苦役を「からだ」に課して、自分(こころ)の思い通りにさせようとする。「いちばん身近な自然」でありたいと願う「からだ」を、ゆるそうとしない「こころ」が、窮屈で不自然な「からだ」をつくっています。
私は今夏(8月から)、地元の(自転車で通える)体育館で行われている「少人数制 ヨガ&気功」教室に通い始めました。インストラクターは少林寺気功の豆澤慎司さん。前半は気功、後半はヨガのエクササイズを楽しく実習しています。
教室が始まる前の10分間は、かつて稽古に通っていた西野流呼吸法の「華輪(準備体操)」と「天遊(足芯呼吸)」を行っています。これらのエクササイズを通して、「ゆるされて動いているからだ」を足裏から頭のてっぺんまで、ひとつひとつ点検しながら、ゆるめる・ゆする・ゆるす「からだ」を実感しています。
今回のメインテーマ、「からだがゆるされて動いているか」を書き始めてすぐ、21年前に購入した雑誌、『環』(vol.7、藤原書店、2001年)の特集「歴史としての身体」に、「身体感覚をとり戻す」というテーマがあったのを思い出しました。その中から二つ、「ことばを話すことがからだの問題」(演出家・竹内敏晴)と「医療における身体」(小児科医・山田真)にある、「失われている身体感覚」のことをコラムに書きました。
竹内敏晴さんは「この十年のあいだに、背中が丸まっている子どもが急速に増えてきている。対人関係において不断に身構えている姿勢が固定化している(中略)という現象は、子どものからだがかなり追いこまれているということだと思う」と言い、山田真さんは「頭痛を訴える子どもが非常に増えました。頭痛はほとんどが肩凝りからの延長線であるのは知られた事実ですが、(中略)ある種、防衛する身体というか、何かから自分を守っている、いつも身構えている、子どもたちをみていると、リラックスできないからだというのを感じることがあります」と述べています。
連載コラム№147のトピック(話題)は、以下の三つです。
① 「自分のからだが本当にゆるされて動いているか」という問いに対する答えのひとつは、「からだ」をゆるさない「こころ」の呪縛を解きほぐすこと。
② 「からだ」をゆるすとは、「からだ」をゆすって・ゆるゆる・ゆったり・ゆるめることに他ならない。「からだ」が本当にゆるめば、たちまち「こころ」の呪縛はとける・ほどける、「からだ」も「こころ」もほぐれる・やわらぐ……。
③ 「からだ」をゆるめる(ゆるす)には、瞬間脱力という呼吸動作によって、全身の関節をひとつずつ、ていねいにゆるめて(ゆるして)いくこと。
詳細は☞ ダウンロード - 147.pdf
お時間のあるときにお読みください。
☆原山建郎☆
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