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6)原山建郎のコラム

【原山建郎の連載コラム】「ゴム報知NEXT」(電子新聞)にアップされた、連載コラム「つたえること・つたわるもの」№145 「心あたたかな医療」を支える女性を支えた、遠藤周作のことば。

(9月29日)は、文教大学オープン・ユニバーシティ(越谷校舎)『遠藤周作の「病い」と「神さま」――その2「心あたたかな医療」を支える女性たち』講座をオンラインで行いました。ちょうどこの日は、遠藤周作さんの26回目のご命日(周作忌)でした。

受講者の皆さんとご一緒に、遠藤さんの「心あたたかな」思いを講座を通して共有することができました。1996年10月2日のご葬儀ミサには、ドイツ・フランクフルトの国際ブックフェアへの出張のために参列がかないませんでしたので、はるかドイツから追悼の祈りを捧げました。


さて、4日前にアップされた連載コラム「つたえること・つたわるもの」№145をお届けします。今回のトピックは、『遠藤周作の「病い」と「神さま」――その2「心あたたかな医療」を支える女性たち』(第1回~3回講座)に登場した(来週登場する第4回講座の奥川幸子さんも含めて)、村松静子さん(メッセンジャーナース)、内藤いづみさん(在宅ホスピス医)、山口トキコさん(大腸肛門科の専門医)、奥川幸子さん(対人援助職トレーナー)に対して、1982年に始まった「心あたたかな医療」運動の大きな流れのなかで、その三人に遠藤さんが贈られた「ひと言」がきっかけとなり、40年前に「心あたたかな医療(病院)がほしい」と強く願った遠藤さんの思いをそれぞれの分野で引き継いでおられることを書きました。
コラムのタイトルは「心あたたかな医療」を支える女性を支えた、遠藤周作のことば。です。「支える女性を→支えた」遠藤さんのことば(ひと言)は、遠藤マジックとも呼ばれています。ヘレンケラーの伝記映画『奇跡の人』(1962年)の原題は〝The Miracle Worker(ミラクル・ワーカー))〟ですが、「心あたたかな医療」を支える女性を→「魂を揺さぶることばで」支えた遠藤さんもまた、〝The Miracle Worker〟その人だと思います。
詳細は☞ ダウンロード - no.145.pdf

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☆原山建郎☆

【原山建郎の連載コラム】「ゴム報知NEXT」(電子新聞)にアップされた、連載コラム「つたえること・つたわるもの」№144 神話や昔話の〈見るなのタブー〉、さまざまな結末。

ようやく、朝晩が涼しく感じられる季節となりました。
アップされた連載コラム「つたえること・つたわるもの」№144をお送りします。

去る9月4日から8日まで、台風11号の九州上陸を心配しながら、霧島・阿蘇・湯布院・高千穂・青島と、九州南東部を家内と一緒に旅行してきました。今回、4日めに「神話のふるさと・宮崎県」の高千穂神社に参拝しましたが、樹齢八百年のご神木にかけられた注連縄が少し気になって、目に見えない神の「おとづれ」、「よりしろ」「むすび」について、松岡正剛さんが書いた『神仏たちの秘密』を再読。また、神話や昔話(民話)によく出てくる〈見るなのタブー〉とそのタブーを破った結末について考えてみました。最後の部分は、かつて武蔵野女子大で担当した「マスコミ就職対策講座」でのエピソードを紹介しました。

詳細は☞ ダウンロード - No.144.pdf

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☆原山建郎☆

 

【原山建郎の連載コラム】「ゴム報知NEXT」(電子新聞)にアップされた、連載コラム「つたえること・つたわるもの」№142「プロアクティブ」を支える、患者・看護師・医師の「互尊」。№143『ジュラシック・ワールド 新たなる支配者』、巨大イナゴ。をお届けします。

№142「プロアクティブ」を支える、患者・看護師・医師の「互尊」

 来年(2023年)は、遠藤さんの「生誕100年(1923年3月27日生まれ)」という節目の年を迎える。かつて健康雑誌で遠藤さんの「からだ番記者」であった私は、そしていま遠藤ボランティアグループの代表をつとめる私は、「心あたたかな医療」キャンペーンを始めた遠藤さんの思いを21世紀の医療現場に語り継ぐ「つとめ」があると考え、今月から『遠藤周作の遺言――心あたたかな病院がほしい――』(仮題)という原稿を書き始めた。これまで本コラムでもとり上げたいくつかのトピック(『患者からのささやかな願い』『日本の「良医」に訴える』ほか)に加えて、生前の遠藤さんと深いつながりのあった、何人かの医療者(医師、看護師、ソーシャルワーカーなど)の活動についてもふれるつもりである。
今回は、1986年秋、その文言が大きく変わった東大病院の『入院案内』に、「患者のプロ」を自認する遠藤周作さんのアドバイスをつなげた小島通代さん(当時は看護部長、のちに東京大学大学院教授)の「心あたたかな医療」への取り組みをとり上げました。小島さんが提唱する「リアクティブ(反射的行動)」ではなく、「プロアクティブ(適切な対応)」の考え方は、村松さんがスタートさせた「メッセンジャーナース」認定制度に昇華されているように思います。
これら『遠藤周作の遺言――心あたたかな病院がほしい――』(仮題)に収載する予定のトピックは、没後26年(来年は没後27年、生誕100年)を迎える遠藤周作さんからいただいた、夏休みの「宿題」だと思っています。
詳細は☞ ダウンロード - 142.pdf

№143『ジュラシック・ワールド 新たなる支配者』、巨大イナゴ

 先週月曜日に近くの映画館で観た「ジュラシック・パーク」シリーズ最新作『ジュラシック・ワールド 新たなる支配者』のなかで、クローン人間(メイジー)と巨大イナゴ(遺伝子組み換え昆虫)をとり上げました。
世界が「地球温暖化問題(CO2削減=カーボン・ニュートラル)」に舵を切ったいま、もうひとつ、遺伝子レベルでの生命操作問題がなおざりにされているのではないかという懸念を抱いていました。
この映画を見たあと、1999年秋に上梓した拙著『からだ革命』のあとがきに、同年の夏に出版された『不自然な収穫』をとり上げた「生命科学産業は地球を救えるか」を書いたことを思い出し、その一部を引用しました。同書の帯には、「遺伝子組み換え食品の真実 腐らないトマト、農薬より強いダイズ、虫を殺すジャガイモ、37倍に成長した魚……」と書かれています。その延長線上に「巨大イナゴ」の問題があります。
さらに、3・11(2011年・東日本大震災&福島第一原発事故)が発生したときの「トランネット通信」連載コラム№142に書いた「プロメテウスの火」の一部も紹介しました。
23年前(1999年)、11年前(2011年)に感じた、これら「重大な懸念」は、いまもなお、さらに深刻な「重大な懸念」であり続けています。

詳細は☞ ダウンロード - 143.pdf

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☆原山建郎☆

【原山建郎の連載コラム】本日「ゴム報知NEXT」(電子新聞)にアップされた、連載コラム「つたえること・つたわるもの」№141『七七・五五・七五・五七調――躍動する「ひらがな」のリズム。』をお届けします。

本日「ゴム報知NEXT」(電子新聞)にアップされた、連載コラム「つたえること・つたわるもの」№140『七七・五五・七五・五七調――躍動する「ひらがな」のリズム。』をお届けします。大学では商学部に籍を置き、もっぱら経済の勉強に明け暮れていた私が76歳になった今、文教大学オープンユニバーシティ、あだち区民大学塾の講座で「ひらがな」の魅力に関する資料を作成しながら、高校時代に好きだった国語(国語は渡辺弘一郎先生、古文は影山美知子先生)の授業を思い出しています。もとより、私は国語学の専門家ではありません。「ことば」が大好きな元雑誌編集者です。受講者の皆さんと「ひらがな」の魅力をとにかく面白がって、楽しんで、声に出してみたい(オンライン講座は可。対面講座は不可なので講師が朗読)という思いで、これらの講座を担当させていただきました。
日本語(やまとことば)は、「七(二+二+二+一、六+一)」と「五(二+二+一、三+二、四+一)」の組み合わせでリズムが構成されている。それが「ひらがな」の魅力だとつくづく思います。

ダウンロード - 141.pdf

【原山建郎の連載コラム「つたえること・つたわるもの」】今回のコラム№140では、講座のメインテーマ『まあるく・やわらかい日本語、「ひらがな」のリズムで息をする。』について考えました。

今回のコラム№140では、文教大学のオンライン講座(第3回「オノマトペ、(擬音語・擬態語)を、正しく使い分ける」)&第4回「ことば遊び、回文(逆さことば)、だじゃれを楽しむ」)の配布資料の一部を紹介しながら、講座のメインテーマ『まあるく・やわらかい日本語、「ひらがな」のリズムで息をする。』について考えました。
わたしの好きなフレーズのひとつに【からだはいちばん身近な自然】があります。「自然」には、「しぜん=nature」と「じねん=あるがまま」、二つの用い方があります。前者は文字通り「大自然」のことですが、人間は「自然を大切にする(あるいは破壊する)」存在として、自然の外に置かれています。後者は仏教用語(明治になる前までは、この意味で使われていました)で、人間も含めたあらゆる存在は「あるがまま」であってよいということばでした。
もうひとつ、【「ことば」と「こころ」は「からだ」を根に、養分を吸いあげた葉や花だとたとえられる。】も、お気に入りのフレーズです。「葉」は「こと(言・事)の は(葉・端・刃)」がルーツのことばです。
今回のコラムを、次の言葉で結びました。
オノマトペ(擬音語・擬態語=身体語)から生まれた「からだことば」を起源にもつ〈やまとことば〉は、四角く・かたい漢字のイメージで「呼吸」するのではなく、まあるく・やわらかい日本語、「ひらがな」のリズムで息(いき)をする。

お時間のあるときにお読みください。詳細は☞ ダウンロード - 140.pdf

☆原山建郎☆

【原山達郎の連載コラム】「つたえること・つたわるもの」 №139 また、明日も一緒にご飯食べようね。ね、あおちゃん。

今回のコラム№139でとり上げた、かつての教え子のエッセイ――六歳になる知的障害を持つ自閉症の息子(あおちゃん)とのコミュニケーションを描いた――「おいしいね」を読んで、feeding(食べ物を与える、授乳する、養う)という英語の意味とその由来を思い浮かべました。
Web上の『語源英和辞典』には、「feed 意味と語源」が、以下のように解説されています。
「食べ物を与える(fodijana)」がこの単語のコアの意味。中期英語 feede(食べ物を与える)⇒ 古期英語 fedan(食べ物を与える)⇒ ㋘ fodijana(食べ物を与える)⇒ ㋑ peh-(養う)が語源。英語food(食べ物)と同じ語源をもつ。
私は、コラム№139の中で、武蔵野大学の図書館司書授業資料に書いた【母親がわが子のためにつくる「昼食弁当」が入った「(ご飯とおかずの入った)弁当箱」が、メディア(中間に位置する情報の媒体)であり、「おいしく食べてほしい」と願う母親のメッセージ(語りかける思い)であると書きました。つまり、エッセイ「おいしいね」では、母親とその子どもは日々の“昼食弁当”を介して、「召し上がれ」と「いただきます」というメッセージを共有し、親子ならではの濃密なコミュニケーションを図ることができる。】の部分を引用して、このコラムを【〈今日は肉じゃがだよ〉(めしあがれ)と〈両手を合わせていただきますの合図〉(いただきます)。〈また、明日も一緒にご飯食べようね〉とわが子に声をかける、母の〈おいしいね〉というメッセージ。あおちゃん、きょうもげんきに、おかあさんがつくったごはんをたべようね!】で締めくくりました。

遠藤周作さんは「(愛に満ち溢れた)ことばは、患者にとって(たましいの)薬だ」と言われましたが、「おいしいね」における〈夕食のご飯〉もまた、単なる食べ物(food)ではありません。母からあおちゃんへのメッセージ(愛に満ち溢れたことばのfeeding)であるとともに、母の「いただきます」の声に両手を合わせていただきますの合図もまた、あおちゃんから母へのプレゼント(たましいを養うfeedingの薬)だと思ったことでした。こうして、教え子からのプレゼントを連載コラムというメディアを通して、皆さんにお届けできる幸せを感じています。

☆原山建郎☆


詳細は☞ ダウンロード - 139.pdf

【原山達郎の連載コラム】「つたえること・つたわるもの」№138(2022/06/14)声に出して伝える〈やまとことば〉、「ひらがな」のリズムが面白い

6月30日から始まる文教大学のオンライン講座『〈やまとことば〉のオノマトペ、「からだことば」を楽しむ』のレジュメ資料を作りながら、六
世紀ごろ中国や朝鮮半島を経由して漢字が伝来するまで、もっぱら話しことばのコミュニケーションだった日本語、上古代の日本語〈やまとこ
とば〉について、いまもなお、なぜ私がこだわりつづけるのか……。それは高校時代、国語の授業での「ひらがな」テストまでさかのぼる。

「ひらがなで、五十音図を書け」
一年生の国語、渡辺弘一郎先生、最初の授業。あの鋭い眼でぎょろりと睨み、小テストを命じた。
〈えーっ、ワ行が書けない! ヤ行も書けない!〉
私はもちろん、大半の生徒がお手上げ。その顛末を、後年、武蔵野大学で講じた授業資料に書いた。
詳細は☞ ダウンロード  pdf

原山建郎のコラム:連載「つたえること・つたわるもの」№137 呼吸するミトコンドリア、光合成する葉緑体、母なる大地の贈り物。

 2019年9月21日に発生した山梨キャンプ場女児失踪事件から2年半、キャンプ場から約600メートル離れた涸れ沢で、4月23日、頭蓋骨の一部と見られる骨の一部が見つかり、行方不明になっている女児の骨ではないかと、山梨県警が再捜査を始めた。讀賣新聞の記事(一部抜粋)から、その経過を追ってみる。

詳細は☞ https://gomuhouchi.com/serialization/43211/

     ダウンロード - no137.pdf

 

 

 

遠藤周作ボランティア顧問・原山達郎の連載コラム「つたえること・つたわるもの」(ゴム報知 NEXT)

№134 「キエフ」から「キーウ」へ、ウクライナ大地へのリスペクト

ダウンロード - 135.pdf

№135 アイヌ語、沖縄語、やまとことば。「地名」に込めた大地の「祈り」

 

№136 優しさに支えられた「強さ」、 相手を包み込み・生かす「勁さ」

ダウンロード - 136.pdf

 

作家・遠藤周作氏と伴に出会った遠藤ボランティアの顧問・原山建郎のオンラインスピーチを掲載:『第19回 寺子屋シャーラ静岡 オンラインスピーチ  クオリティ・オブ・デス(Quality Of Death)――〈泣いて〉生まれて〈笑って〉死ぬ――』

1.クオリティ・オブ・デス、〈いのち〉を生きる〈死に方〉
日ごろよく耳にする「クオリティ・オブ・ライフ(QOL)」ということばがあります。日本語では「生活の質」と訳されますが、「人生の生き甲斐・暮らしの満足度」の意味で使われています。とくに医療や介護の分野では、患者(または利用者)とその家族が「かくありたい」と望んでいる生き方(ウエイ・オブ・ライフ)の満足度を的確にとらえ、その生き方をしっかり支えるケアを行う上で、とても重要な考え方のひとつです。

本日のテーマ、「クオリティ・オブ・デス(QOD)」は、ある個人の一時点での「死(肉体の細胞死、心停止、呼吸停止)」を意味する医学的な「デス(Death)」だけでなく、ある個人が死にゆく過程、「ダイイング・プロセス(Dying Process)や遺族に対する精神的なケア、「グリーフ・ケア(Grief Care)を含む概念としての「ダイイング(Dying)」をより重視した「ナチュラル・ダイイング・プロセス(Natural Dying Process)という言葉であらわされるようになりました。
近年、いま生きている時間(ライフ・タイム)の「クオリティ・オブ・ライフ」と、いつか迎える終末期(ターミナル・ステージ)の「クオリティ・オブ・デス」との間に、生(ライフ)と死(デス)を区分けする一本の太い線を引く、つまり、「人間、死んだら、一巻の終わり」的な死生観ではなく、仏教の死生観をあらわす「生死一如(しょうじいちにょ)」のように、「生きているということは、いつか死ぬ。死ぬということも、死ぬまでは生きている。生と死とは切り離すことができない、ひとつのものである」という考え方が注目されるようになりました。私はそれをさら進めて、「生」と「死」をひとつに貫いて生きる「命(いのち)」の視点をもちたいと思っています。

2.「泣きながら」生まれてきて、「笑いながら」死んでゆく

3.〈からだ〉をきたえる健康法から〈いのち〉をやしなう養生法へ

4.見栄を張る〈こころ〉、嘘がつけない〈からだ〉

5.〈からだ〉も〈こころ〉も、その理想形は「空っぽ」

6.緒形拳のことば。「病(やま)いる」――病いを生きる、老いを生きる。

7.「生・老・病・死」を、古代漢字と和語の成立ちで調べてみる

8.産まれることと、死ぬこと。「いのちの臨界点」ということば。

詳細は☞ ダウンロード - harayama20211013.pdf

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