e)コラム

2018年9月17日 (月)

コラム「医師として、武士として」  Vol.102 「ビールの効用(1)」 Vol.103 「ビールの効用(2)」   安藤 武士 Andou takeshi

1941年、新潟県生まれ。1967年、新潟大学医学部卒業後、医師登録と同時に外科研修を開始。

インターン終了後医師となる。新潟大学付属病院(外科助手医局長)で勤務の後、72年、呼吸器・心臓血管外科を専攻後、80年より、心臓血管外科部長として日本赤十字社医療センターに勤務。その後、山梨医科大学非常勤講師JR東京総合病院(心臓血管外科部長)、明治安田生命(事務センター診療所所長)、JR東厚生部(水戸支社・高崎支社・新潟支社健康管理センター所長)、佐野市民病院(健康管理センター所長)、介護老人保健施設たかつ施設長を歴任。現在は、(社団法人)労働保健協会の診療所所長として活躍中。労働衛生コンサルタント・スポーツドクター(日体協)・健康スポーツドクター(日医)・認定産業医(日医)の資格を持ち、5つの顔を絶妙な味で使いわける医学博士である。身体の大きさと、豪快な笑い・笑顔には、その人柄と存在感をより強くアピールする何ものかが潜んでいる。今なお、'武士'にして"武士"ここにあり。


Vol.102 2018.9.17  ビールの効用(1

今日もスタバで、抹茶フラペチーノグランデを楽しみながらパソコンに向かっている。ほぼ2ヶ月前になろうか。朝、“ひげ”を剃るため鏡をみたら、右の耳の前の頬(ほほ)が異常に腫れている。左は何ともない。医学的には耳下腺のあるところである。前日のTVで耳下腺の悪性腫瘍が増えているとの報道がったため、“ぎょっ”とした。触ると固いだけである。痛みもない。熱感もない。とりあえず出勤した。

翌日、近くの耳鼻咽喉科で診てもらった。その時は、腫れも引いていたので耳鼻科医は何かしらという雰囲気で診察をした。診察を終え、“なんともないですよ”と言われた。恐らく、耳下腺の唾液のでる導管に食物が一時的に詰まったのではないかと説明を受けた。一週間後に瘤があれれば、大病院を紹介するという。一週間後の診察ではなんともなかった。“ホット”した。その時、耳鼻科医(耳鼻咽喉科医)が、今年の正月も頬の腫れた人が来て診察したら、耳下腺の導管から、ポロリと米粒大のものが出てきたと思ったら大量の唾液が出て、あっという間に腫れが引いた患者さんがいた。米粒大のものはシシャモの卵であったことを披露してくれた。

以来、「唾液腺」に興味をもった。唾液腺と一括りに言われているが解剖学的にどうなっているのだろう。唾液の導腺は何本あり、どこに出るのであろうかと、学生時代に勉強したはずであったが、今は全く頭に残っていない。教科書を紐解いたがわからない。結局、ITサイト:ウキィぺデアにたよった。

哺乳類の唾液腺は、「耳下腺」と「顎下腺」、「舌下腺」からなることを確認した。解剖的なことは省略するが、「唾液」が出る導管はどこにあるかが理解できた。「耳下腺」の導管は長さ56cmあり、上顎(うわあご)の第2大臼歯の高さで、(ほほ)の口腔に開口すると記してある。「顎下腺」からも唾液はでる。「舌下腺」は、舌下に数本あり、時として下顎腺と連なることもある。「唾液腺」の病気にはどんなものがあるか知りたくなった。

1. 感染(細菌やウイルス)症: 唾液腺炎(例:急性顎下腺炎、流行性耳下腺炎など)

2. 自己免疫性疾患:シェーグレン症候群IgG関連唾液腺炎

3. 結石が出来る病気:唾石症(例:耳下腺唾石、顎下線唾石、など)

4. 腫瘍:唾液腺腫瘍(例:顎下線・多形腺腫、耳下腺扁平上皮癌、唾液腺・悪性リンパ腫、など)

5. その他:唾液腺閉塞(小生の経験から加えた)。

次第に、「家庭の医学」になってきたので、本編はこれで終わる。(完)

 

Vol.103 2018.9.17  ビールの効用(2)

先日、新聞の健康相談に、「就寝中に目が覚めるほど口が乾くます。他の老人性の病気で受診しているので医師に相談するが、改善しない。どうしたら良いか。」という「ドライマウス」で悩むご老人の相談があった。医師が回答しているので要約して記す。

唾液は一日あたり約1.5リットルも分泌されますが、唾液の主成分は水分なので、脱水症状が口腔内乾燥の原因で、唾液が約半減すると口が「乾く」と、気になり始めます。俗に「ドライマウス」という現象で、前立腺肥大症、高血圧症等、色々な病気の治療に用いている薬の副作用が原因になります。他に、細菌感染、自己免疫疾患であるシェーグレン症候群などでも口喝は起こると言われている。

一方、唾液には抗菌作用のある成分が含まれており、分泌量が減ることは、口臭、虫歯、肺炎のリスクを高めるという。「ドライマウス」の人は国内では数百万人いると言われており、定期的に医師、歯科医師の診察を受けることが勧めらている。

小生は心配ない。いつも「ドライマウス」の予防に注意を払った生活を送っている。月に一度は、近くの歯科医に口腔内清掃をしてもらっている。また、夕食に、たっぷりとビールを飲して水分補給に気御配っている。また、口腔内の消毒も完全である。(完)

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2018年8月16日 (木)

コラム「医師として、武士として」  Vol.101 「男と女」    安藤 武士 Andou takeshi

1941年、新潟県生まれ。1967年、新潟大学医学部卒業後、医師登録と同時に外科研修を開始。

インターン終了後医師となる。新潟大学付属病院(外科助手医局長)で勤務の後、72年、呼吸器・心臓血管外科を専攻後、80年より、心臓血管外科部長として日本赤十字社医療センターに勤務。その後、山梨医科大学非常勤講師JR東京総合病院(心臓血管外科部長)、明治安田生命(事務センター診療所所長)、JR東厚生部(水戸支社・高崎支社・新潟支社健康管理センター所長)、佐野市民病院(健康管理センター所長)、介護老人保健施設たかつ施設長を歴任。現在は、(社団法人)労働保健協会の診療所所長として活躍中。労働衛生コンサルタント・スポーツドクター(日体協)・健康スポーツドクター(日医)・認定産業医(日医)の資格を持ち、5つの顔を絶妙な味で使いわける医学博士である。身体の大きさと、豪快な笑い・笑顔には、その人柄と存在感をより強くアピールする何ものかが潜んでいる。今なお、'武士'にして"武士"ここにあり。

Vol.101 2018.8.16  男と女

いつものスタバで、抹茶フィレペチーノを楽しんでお盆休みを過ごしている。今回は、固い話である。過日、国会議員が某出版社の月刊誌に寄せた一文が物議をかもしている。「子供を作らない、『生産性』が無い『LGBT』に対する支援が過ぎる」との主旨の文章である。「生産性」という言葉にも問題があるが、他の報道を見聞きし、生物である「ヒト」というのを生まれた瞬間から男女と明確に区別していることに疑問を感じないことが一般的であることを改めて知った。議員ともあろう人が、生物としての「ヒト」を知っていればそのようなことを書かないはずである。また、批判する人も「馬鹿な事を」と言って、で終わる事である。

 過日(vol.88:17、10:29)「デジタル」と「アナログ」の表題で拙文を掲載させていただいたが、通常、世間では「ヒト」を「男性」「女性」とアナログ的に明確に分ける。両極の間に、外形、内臓形態・機能、ホルモン、精神:性格・趣向の違いがあることは理解しているが、現実的には「ヒト」を男女とのみに区別することが多い。違いの組み合わせは天文学的数字に上るが、それを男性、女性の枠で括っている訳であるから、種々の問題が起こることは当然のことである。

 

日本は、アナログ的に分けられたグループでも大過かなくすごせるので、生物学的にどちらにも属さない人は、それだけ抑圧されているともいえる。日本に在住している米国人の良く知られている評論家は、自身がLGBTであることを表明しており、「日本社会のLGBTへの態度を、やんわりと遠巻きに見るが、“表だって公認しない”」と言っている。日本の知識人は、LGBTを指弾することはあるまじき行為であることの知識を持ているので、指弾しないと言っているといるのである。

 

 国会議員の発言は、あるまじきことであると非難しているが(大いに非難されるべきであるが)、報道の論調をみる限り議員の発言を単に、所謂、趣向のレベルでの発言ととらえているように思える。生物学的にできないのにそれを指弾することは、当の議員もそうであるが指弾する人のメンタリティーも疑われて当然である。「ヒト」の「性」は2分的にとらえられないという根本的なことを知っていれば、そのような発言は出ないはずである。

現在、WHO(世界保健機関)疾病分類「ICD-10」、アメリカ精神医学会DSM等では、同性愛は「異常」「倒錯」「精神疾患」とはみなされず、治療の対象から外されている。そして同性愛などの性的指向ついては、矯正しようとするのは間違いとの見方が主流となっている。近年の多くの英米の調査では人口の2-13%50人に1人から8人に1人)の割合で同性愛者が存在していると言われている。 第3の性に属するのである。

先に、「性」を男女と2分してきたことを、一般人も、政治家も、行政官も捨てなければならない時代が既に到来しているのである。第3の性と表現されているが、これからはもっと細分化されるかもしれない。

さて、帰って昼食にするか。家人は何を用意してくれているかな。(完)

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2018年5月11日 (金)

コラム「医師として、武士として」  Vol.96 「赤ひげ」~Vol.100「炊飯器」    安藤 武士 Andou takeshi

Vol.96 2018.3.17  赤ひげ

 この数年間、TV放送はニュース以外余り見ない。興味ある番組は録画しておき観たいときに観る。

 その代わり、DVDは沢山所蔵している。シリーズ物として、アガサクリスーの「探偵ポアロ」(60巻余)、ピーターホーク主演の「刑事コロンボ」(60巻余)、コナンドイルの「シャーロックホームズ」(30巻余)、他に、ヘミングエイの「誰がために鐘はなる」、イングリッド・バーグマン主演の「カサブランカ」、オードリーヘップバーン主演の「ローマの休日」、アランラッド主演の「シエーン」、ショーンコネリー主演の「ジームズボンド」シリーズ等々、切りがない。時間があれば、何度も同じものを見ている。そのたびに新たな発見がある。

1ヶ月前より、黒沢 明監督の映画の「DVD」が発売開始となった。早速、購入手続きをとった。先日、3巻目が届いた。かの有名な三船敏郎主演の「赤ひげ」である。確か昭和40年頃の映画であったと思う。

長崎で修練して江戸の小石川療養所に配属された「近代医学」を学んできた若き医師が、「赤ひげ」流の施療に反抗していたが次第に“医のこころ“を学び、「こころ」の医者になっていくという山本周五郎の名画である。

時代と共に、医師に求められることは異なるが、どんな時代になっても変わらぬは、「赤ひげ」流の「医のこころ」であると思っている。

「赤ひげ」は、現在、地域医療に貢献した医師に日本医師会が授与する「赤ひげ」大賞の名称にもなっている。技術的に発展し続ける医療界で活躍する医師に求められる「医師」にも、「赤ひげ」流“医のこころ”が必要と思っている。

小生は「赤ひげ」は、「良医」ではない、「名医」でもない、「善い医者」のことを指していると思っている。

先日、医師の友人に「赤ひげ」の事を話したら、「もし手術をすることになったら『善いこころ』より『技術が優れている』方が良いね。」と言われた。拡大鏡を用い、髪の毛より細い糸で縫合するには、それなりの技術がいることは承知している。「ロボット」手術の成績が良い疾患もあるので理解はできる。

小生には、現在は逆立ちしても手術をすることが無いので、「赤ひげ」流の“医のこころ“が「善い医師」にとって必要ということを強調しているのかもしれない。

以前、「証拠ある医療(EBM)」に関する「コラム(Vol:16)」を掲載させていただいたが、もう「赤ひげ」は不要と明記した医事評論者がいた。それも理解できるが、なにか釈然としない。

 現在、予防医学に従事しているが、小生の目標は医療機関の“パイ”を小さくすることを目標としている。(続)

Vol.97 「風月堂のゴーフル」     Vol.98 「倫理観:素朴な質問」      Vol.99倫理観:素朴な質問」(その2     Vol.100「炊飯器」

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2018年3月17日 (土)

コラム「医師として、武士として」  Vol.95 「命のトリアージ」    安藤 武士 Andou takeshi

Vol.95 2018.3.3  命のトリアージ

今日も、近くのスタバで、抹茶フラペチーノを楽しみながらコラムを書いている。資料を調べているうちに気が重くなってきた。本日は、“重い重い”話となる。

 

 1月下旬、「新型生前前診断(NIPT) 本格実施」 “対象施設拡大と 指針の見直しへ”、という記事が新聞の一面のトップに掲載されていた。妊婦の血液から胎児の病気の可能性を調べるNIPTを巡り、日本産婦人科学会が、倫理面で臨床研究に限定したのを見直し本格実施に踏み切る方針を固めたという。胎児の中絶に繋がるため「命の選別」との批判も根強いが、高齢者妊娠の増加で高いニーズに応える必要があるとして受診できる施設を大幅に増やすという報道がなされた。日本医学会がNIPT実施できる施設認定を行っている。現在は89施設が認可されているが、認可施設を600施設程度まで拡大する事を検討中という。昨年、日本では9月まで5万人余が検査を受けたという(新聞報道)。 

INPTは、妊婦の血液中の微量な胎児のDNA分析し、染色体数異常の可能性の有無を調べる検査である。確定診断は羊水検査であるが、NIPTは容易にしかも母体に及ぼす危険もないので、NIPTが広がっているという。実施できるのは日本医学会の「認定施設」のみに限定されている。現在、検査を受けることができる妊婦は、35歳以上、過去に染色異常(21、18、13トリソミー)の分娩経験のあるもの、胎児が超音波検査、母体血清マイカー検査で、染色体異常の可能性の上昇を指摘されているもの、両親がロバートソン転座(13、14、15、21、22番の染色体異常)があるものされている。

13トリソミーとは、13番目の染色体が1対(2本)でなくもう一本、余計にあることをいう。胎児は、染色体異常で色々な健康障害を持つ。

現在、指針に定められた年齢に関係なく、また、21トリソミー(ダウン症)、18トリソミー(エドワーズ症候群)、13トリソミ―(パトウ症候群)以外の染色体検査をする施設もあるという。また、無認可施設も登場してきているという。NIPTは、2011年、米国で開発されたが、詳細は他に譲る。英国では2004年以降、は全妊婦が何らかの出生前検査を受けるよう求められているという。

 

小生が、医学進学過程を終了し医学部の基礎講義に「衛生学」があった。衛生学の講義は、大変、勉強になった。デトロイトの大気汚染〈エアーポリューション〉、ハンスセリエのストレス学説など今日的問題になっている学問的基礎知識を、聴講できた。

その一つに、優生学的問題に関する講義があった。宗旨として自然妊娠のみ許しているクエーカー教徒の実態調査で、排卵から受精までの期間が長いほど染色体異常の胎児ができることが判明したという。多くは死産であるが、21トリソミー(ダウン症候群)の胎児は出生するという。21トリソミ―の人達は、争う事はなく何時も穏やかで人なつこく、この世の全ての人が彼ら彼女らのようになれば、世界から争いがなくなるというものであったと記憶している。現実には、種々な問題を抱え日々を送らざるを得ない。

 

全世界の妊婦に、何らかの生前検査を受けさせることが当たり前になってきているようであるが、生存可能な染色体異常胎児と判明した場合でも、何らかの処置をとることになることは必死である。日本では、胎児が染色体異常あると判明した場合、97%の妊婦が処置をとっているようである。第2次大戦でドイツが行ったホロコーストと同じことが日常的になりつつある。

 

 小生は、妊婦の生前検査の是非に対し答えを持っていないが、医学が進むほど倫理的な問題が生じてくることを言いたかった。(完)

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2018年2月28日 (水)

コラム「医師として、武士として」  Vol.94 「長時間労働」    安藤 武士 Andou takeshi

Vol.94 2018.2.28 長時間労働

今日も「スタバ」で、開店から抹茶フラペチーノを楽しんで「コラム」を書いている。題は決まっていなかったが、最近、新聞記事の一面に「医師の長時間労働」が話題になっていることもあり、「医師と労働」、「医師と労働時間」について、過去を振り返り、現在の思うところをコラムに寄せた。

1998年、関西の大学病院の研修医が自死するという悲しい事件があった。その前の月の残業が114時間であったことが判明し過労死と判定されたことに触れたコラム(Vol.37:2009年7月31日)を、掲載していただいた事を思いだす。

 医師自身は、長時間勤務は当然のことであり、長時間「労働」をしているとは思っていなかった。自身が携わっている仕事を「労働」と思っていなかったからである。長時間、患者に尽くすことは当たりまえでそれを誇りに思い、それを心の支えにしていた。それが、研修医の不幸な事件を契機に、医師は労働者と明確に定義され、医師の労働時間も労働規準法に従わなければないとされた。それでも医師は、労働問題は社会的問題であり、医師の仕事の実質は、担当の患者さんが快癒するまで、全責任をもって尽くすことが医師の任務であり、「医療」は「労働行為」ではなく、社会的規範から外れて存在するものと思っていた医師は多いはずである。

労働時間を管理するには、労働時間を把握しなければならない。小生が出退勤表に打刻するようになったのは臨床医をやめる数年前であるが、打刻するようになってから明らかに「心」に変化が起きた。当初は、労働者として労働時間を病院が管理するためやもうえないと考え夕刻になると出退勤カードに打刻していたが、日が経つにつれ打刻をした後の患者さんに対する思い、責任が薄れ始めてきた。極端にいえば、後は当直医の責任、病院の医療体制の問題と考えるようになってきたのに気が付いた。

現在も、大学病院でも、病院でも、所謂、長時間労働をしている最中、タイムカードに打刻をし、また医療活動に戻るという事があると聞いている。法的には、打刻をした後の業務は「サービス残業」ということになる。仮に事件性を帯びたことが起こると、「サービス残業」を病院が強いたと報じられる。病院の労務管理体制が問われる。

 医師にとって、自身が労働者としての職務と同じであり、社会的ルールに従はなければならないと思っていない医師は少なからずいると思っている。現況を変えるためには、医師の交代勤務など、本邦の病院の医療体制を抜本的に変えなければならないと思っている。しかし、変えた場合、果たして医師の「心」をどのように担保するかが大きな課題になると思っている。

過年、小生がある教職員組合の会合で労働衛生の講話をする機会があった。講話が終わって、管理者である司会者が会場の教職員に「なにか質問ある先生は?」と言ったら、すぐに、それなりに責任のあると思われる先生が、「過重労働が問題になっているが、職場にタイムカードを導入することについて意見は?。」という発言があった。

小生は、「当然、労務管理には労働時間を把握する一手段として、タイムカード制度は必要と思う。」と回答した。発言者は、司会者に「そらみろ。」という雰囲気で着席した。会場の先生もがやがやし始めた。

引き続き、過重労働対策として当然であるが、学校の「先生」は「聖職」と言われているように何時も何処にいても、担当の生徒のことを考えておられると思う。タイムカードを導入し労働時間を管理することは労務管理するうえでは当然であるが、導入により聖職者である先生方の「心も時間と共に変わる。」と、医師として経験したことを話したら会場は静まり返った。

このコラムは、医師、教職者の労務管理を抑制するために記したものではないとはご理解いただけると思う。

先日も若き研修医が、自分で命を絶った。医師は技術職に入るが、交代勤務を導入するようになるのではないかと思っている。今後、更に「医療の質」も変わると思う。どのようになるかは分からないが、少なくとも小生が医師になった時の「心」とは違う医師が誕生すると思っている。

人生の終末期に入ると、「くどくど」と自身の経験を述べることは人の習いと聞いている。我慢をして、目を通していただき感謝しております。(完)

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2018年2月 1日 (木)

コラム「医師として、武士として」  Vol.93 「スタパ」    安藤 武士 Andou takeshi

Vol.93 2018.2.1 スタバ         

 休日は、朝から昼まで何時も家から10分ほどのところにある「スタバ」にいる。入店するとまず,定席に荷物を置きカウンターに行く。大抵、第一号客である。

カウンターに行くと「抹茶フラペチーノ グランデ」ですね、と店員はいう。代金を払い席に戻り、パソコンをセット。その後、新聞を読み、何かを始める。今日は、特に処理しなければならない事のないので、何時もお世話になっている「スタバ」を調べることにした。

 「スタバ」はご存知のようにスターバックスの、日本での略語である。スターバックスの発祥の地は、米国、ワシントン州のシアトル市という。1971年のことである。当初は、コヒーの焙煎を生業としていたが、1985年、コヒー店とし飲み物をテイクアウトできるようにしてから、あっという間に世界に広がったとのことである。世界に、900国に約225万店以上あるという。日本では、東銀座に一号店がお披露目された。現在は、店内でインターネットもできるようにしたことも時代にあったようである。どこも盛業である。小生の周囲のお客さんもパソコンで調べ物をしている。大変便利である。スターバックスという名は、メルビル著の「白鯨」に出てくる第一航海士の名前からという。云われは分からない。このコラムをかいている合間に新聞に目を通していると、重い記事が目に入った。

「嫁」もう嫌だ 縁切った 苦しんだ30年「死後離婚」届け 「3世代同居 かえって亀裂」、という表題の記事を読み、理解できることがあったので重い問題であったが、コラムの内容を変えた。

「死後離婚」とう言葉は知らなくはなかったが、記事を読み理解できた。結婚すると女性は苗字を結婚する男性の名にすることが多い。現在、その習慣に疑問を持たない人が多いようである。その逆は、世間からみると不自然に思われる。同居するか否かは別にして、女性が結婚する相手の名になる場合、籍ばかりではなく、全生活が夫の世界に入る。夫の両親、夫、自分、子供が家族の「核」になる。「核」の世界では、夫の両親は舅、姑となる。結婚した女性は誰からも「嫁」と呼ばれるようになり、家族の一員となる。夫を除けば皆よそ者である。3世代家族をつないでいるのは、舅、姑からは「孫」と呼ばれる子供である。

夫が死んだ場合も、いやでも夫の家族の一員として残らざるを得ない場合が多い。自分が死んでも、嫁ぎ先の家の墓に入ることになる。「何々家」の墓と表記された墓に入りたくないと思っているひとは少なくないようである。

愛する夫が亡くなった場合、舅、姑が全てを取り仕切るのが一般的である。「嫁」である以上、世間では当然と思われている。それを避けるため「死後離婚」制度があるという。夫の死後、夫の家族の籍を離れる制度である。これで、亡き夫の家の一員ではなくなる。自由の身になる。

小生の耳にも最近、他人事ではあるが親族、家族、殊に「嫁」とのいがみ合いの話が耳に入る。小生宅は「核家族」である。そのような問題はないが、過年、家人が子供に「私は、散骨にして欲しい」と言ったときは、ドキッとした。

「スタバ」は安らぎを与える場所でもあるが、余計なことまで考えさせる場所でもある。(完)

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2018年1月15日 (月)

コラム「医師として、武士として」  Vol.92 「幼少時教育」    安藤 武士 Andou takeshi

Vol.92 2018.1.15 幼少時教育

小生と音楽? 無縁のことと思っている方が多いと思う。違うのである。終戦直後、両親は進駐軍のご婦人より家でソーシャルダンスを習っていた。まだ、蓄音機の針が「タケ」の時代である。小生は、両親の練習姿を覚えている。常に音楽が周囲に有る環境で育った。

耳に記憶に残っているのは、「マリネラ」というシャンソンである。3,4歳の頃であろう。無論、その時は、題名は分かるはずはない。長じて題名を知った。過年、有名な”銀パリ“で活躍した往年のシャンソン歌手にリクエストしたがそんなシャンソンは知らないという。「コラム」を書くにあったって調べてみた。

マリネラは、「1936年のPierre Caronが制作し、ティノ・ロッシが主演した映画『マリネラ』の主題歌。」と解説してある。1936年では小生は生まれていない。しかし、確かにあったのである。“調べ”は、体に染みこんでいる。

その頃、父親が月一度、家でレコードコンサートを催していた。近所のクラシック愛好家が集まって「通人」の解説を拝聴した後、コンサートが始まるのである。小生は、部屋の端で両膝を抱え聴いていた。バッハ、ブラームス、べート―ベン、モーツアルト、シューベルト,ショパン、良さもわからず聞いていた。しかし、シューベルトの歌曲「魔王」だけは恐怖に慄いて聞いた。これも、後で曲名を知った。このような生活が数年続いた。

 

幼稚園に通っていたころの話である。中心街に楽器専門店があった。シーウインドウに可愛いバイオリンが飾ってあった。それが欲しくてたまらなかった。誕生日に好きなものをあげると言われたので、そのバイオリンをねだった。小生はおもちゃの積りでいたが、両親は早速バイオリン教室を見つけ通わせた。冬、自分で引くバイオリンの“ギーギー音”で寒くなり炬燵で引いていた。10歳で親の仕事の都合で上京したが、それをきっかけにバイオリンはやめた。

 上京してからは、家が繁華街にも近かったため「流行歌」が常にあった。何時も、「何か」の音につつまれていた。

中学から大学を卒業するまでは、運動漬けで当時の音楽は知らない。医師になってからも病院と密着して生活をしていたので世間知らずであったが、会費要員として「カラオケ」に頻回に連れていかれ、それなりの歌手と流行歌を知る機会はあった。

1980年、米国胸部外科学会に参加するためアメリカに行ったが、ボストンで若き日の小沢征爾氏のドヴォルザークの「新世界」を聴く機会があった。現在、老成した征爾氏の指揮から生まれる音楽は別人が指揮を執っているようである。柔らかい。

そんな環境の中、ある音楽大学の教師と知り合い、以後、月に一度、クラシック音楽の切符を頂くようになった。ストビンスキーのような現代音楽は落ち着かなく聞いていたが、クラシック音楽になると心穏やかにひと時を過ごせた。何年続いただろうか。

勤務先の研究室にもラジカセを置き、何時もクラシック音楽を流していた。小生が好きなのはピアノ協奏曲である。ラフマニノフ、グリーク、ショパン、ベートーベン、サンサーンス、シューマン等々、何時も流していた。心が安らぐ。これは、幼少時の影響と思った。その後、音楽を聴く環境もなくなったので音楽とは疎遠になった。

 

幼少時の体験は体が覚えているので、幼児教育は将来を決めると言われいる。

 今、小生が口ずさむのは「美空ひばり」の歌でばかりである。(完) 

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2018年1月 1日 (月)

コラム「医師として、武士として」  Vol.91 「“呑んべい”の言い訳」(完)    安藤 武士 Andou takeshi

1941年、新潟県生まれ。1967年、新潟大学医学部卒業後、医師登録と同時に外科研修を開始。

インターン終了後医師となる。新潟大学付属病院(外科助手医局長)で勤務の後、72年、呼吸器・心臓血管外科を専攻後、80年より、心臓血管外科部長として日本赤十字社医療センターに勤務。その後、山梨医科大学非常勤講師JR東京総合病院(心臓血管外科部長)、明治安田生命(事務センター診療所所長)、JR東厚生部(水戸支社・高崎支社・新潟支社健康管理センター所長)、佐野市民病院(健康管理センター所長)、介護老人保健施設たかつ施設長を歴任。現在は、(社団法人)労働保健協会の診療所所長として活躍中。労働衛生コンサルタント・スポーツドクター(日体協)・健康スポーツドクター(日医)・認定産業医(日医)の資格を持ち、5つの顔を絶妙な味で使いわける医学博士である。身体の大きさと、豪快な笑い・笑顔には、その人柄と存在感をより強くアピールする何ものかが潜んでいる。今なお、'武士'にして"武士"ここにあり。

Vol.91 2018.1.1 「呑んべい」の言い訳(完)

「呑んべい」は何やかんやと言い訳をしながら呑む。「乾杯」の音頭をとってくれと言われてね。チョットの積りが、皆が挨拶に来て注ぐので断る訳にもいかず飲んじゃって。ウーロン茶をウイスキーの水割りと言って飲んでいたら、バレテネ。と、言った具合に呑み続けるのである。

小生は、大酒家ではないが気持ちは理解できる。相手の気持ちを損ねないようにいつも心がけているのである。「呑んべい」は優しい気持ちの持ち主なのである。

 

 先日、50人程の宴会が終わり会場より地下鉄で帰ろうとしたが、地下鉄の入り口までかなりの距離があったので通りかかったタクシーに乗った。

 運転手に、「靖国通り」でも「新宿通り」でもいいよ。「靖国通り」なら、曙橋駅の先に側道があるから、その道を登ってくれれば後は家まで案内するよ。「新宿通り」なら、と説明した。

 運転手と世間話をしながら、気分よく乗っていた。目的に近づいてきたので100mほど先に側道があるから、その側道の坂道に沿って行ってくれと説明をした。運転士は側道を通りこした。「ここでいいよ」と言って降り、逆戻りし坂道の側道を歩いた。坂道の途中で何かに足をとられ転んだ。意識はしっかりしていた積りであったが、起き上がれないのである。数分、そのような状態が続いたので、しばらく休めば良いも醒め立てるだろうと思い、悪あがきをせず

おとなしく横になっていることにした。車が来ると危いので体を回転させながら道端までごろごろ転んでいき危険を防いだ。鞄を枕に一寝すれば起き上がれると判断した。極めて、適切な判断と思った。

 どのくらい経ったかわからないが、周囲の騒がしさに目をさました。10人ほどの通行人が小生の廻りにいた。車のライトが小生を照らし周囲の人が観察していた。救急車を呼ばなければ、という声が聞こえたので、大丈夫です、起き上がれれば家がすぐそこですのであるいて帰れます。起き上がるのを手伝ってくださいと言ったと記憶している。小生のご近所さんが数人おられ、小生を家まで支え送ってくれた。

 なに食わぬ顔で帰宅すればと思っていたが思わぬ事態になった。家に帰ってからが大変であった。あとは、想像におまかせする。

 乾杯の一杯が。あの運転士め。これは「呑んべい」の言い訳ではない。(完) 

「呑んべい」の言い訳(1)⇒ こちら

「呑んべい」の言い訳(2)⇒ こちら

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2017年11月12日 (日)

連載コラム「医師として、武士として」  Vol.90 「デジタル」と「アナログ」(その3)     安藤 武士 Andou takeshi

Vol.90 2017.11.6 「デジタル」と「アナログ」(その3)

 「ヒト」は 「アナログ:連続的」で生きている。わかりやすく言えば、生きている限り「生物」としての連続性がある。しかし、実生活ではなんらかの「括り」で生活を送っている。最も身近なことで分かり易いのは「男女」の「括り」である。「ヒト」は、「デジタル:離散的」で実生活を送っている。

四半世紀ほど前のことである。ある土曜日の午後、久しぶりに明るいうちに帰宅した。小生宅の玄関先が、野良ネコのエサの食い散らかしで汚れていた。帰るなり、居間にいた家人にその旨を告げた。そこにいた娘が、「気が付いたなら自分で掃除すれば!」と冷たく言った。家人は、目をつぶりだんまりしていた。何か異様な雰囲気であったので、玄関先を掃除し、小生は自室に引き込んだ。

それまで、何十年とあらゆることを家人が行っていた。脱いだ洋服、下着のかたづけ、郵送、銀行の支払い、種々の手続き、掃除、ゴミ捨てなどなど、小生ができることも家人が行っていた。それまでは、何の疑問を持たずにいた。「亭主関白」の生活を送っていた訳である。あなた「作る人」、わたし「食べる人」である。

真剣に考えた。まず、家人は専業主婦である。家庭という小さな社会でも、「役割り分担」がある。小生の仕事上、そうした生活しかない。決して「亭主関白」ではない。男女には、役割があるはずである。小生は「食べる人」なのであると。

畏まって言えば、「ジエンダー論」になる。実生活では、「生物学的に男女にふさわしいと思われる思考・行動・表象の違いからくる役割がある」という考えである。男性にとっては「男らしさ」であり、女性にとっては「女らしさ」である。現在の「性」は、社会的、文化的に作られた「性」であり、生物本来の「性」ではないと言われているが、いつかは小生の言い分が通る「理論」を見つけようと、日々、思いを巡らしていた。

先に述べた2004年開催の第一回ジェンダー法学会会場には、法曹界で活躍していると思われる黒いスーツ姿の30代の女性が席を占めていた。男性は、小生を含め5,6人であった。

設立主旨が披露された。詳細は忘れたが、「法律」は男性が作り、「法曹」に携わるための教育も男性が行っている。「憲法」では男女平等となっているが、法曹界では男性が支配している。これを糺そう言う学会であった。社会的に最も「男女平等」はずの法曹界での実情を知りどこの世界も同じようことがあるのであることを知った。

性差医療・医学研究会 第一回学術総会(現在は学会)での小生にとって驚きの講演、貴邑富久子博士の『脳の性、セックスとジェンダー』によると、体系はデジタル的に「男性」「女性」に括られるが、体内機能の「性」は「男性」から「女性」まで連続的に変化するという。従って、生物学的には明解に「男女」とは括れない。しかし、社会では「ヒト」をまず体型で「男女」と括る。従って、社会的男女は、作られた「性」ということが明確に理解できた。

 約25年前の出来事以来色々なことを学んだ。生物学的に「性」は明確に2分できない。実生活の男女の役割は社会の約束ごとである。他の生物でも同様かもしれないが、「ヒト」は「男女」という言葉で一括りできない「生き物」であることを理解した。「ヒト」は、「ヒト」の括りで良い、男女の固定した役割はないと思うようになった。

 小生の完敗である。しかし、現在、玄関の掃除は免除されている。(完)

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2017年11月 5日 (日)

コラム「医師として、武士として」  Vol.89 「デジタル」と「アナログ」(その2)     安藤 武士 Andou takeshi

Vol.89 2017.11.5 「デジタル」と「アナログ」(その2)

「ヒト」の生態は、アナログ(連続的)で動いていると前号で記した。しかし、社会生活では 「ヒト」は何かで括られている。肌の色、生まれた国、人種、年令、男性、女性が古来からの括りである。その様に考えると、「ヒト」は「デジタル:離散的」に処理されている「もの」と言える。近代化すればするほど、社会的には「離散的」になる。「括り」が多種多様になってきている。自分では、心身ともに良いことも悪いことも、過去から現在まで連続性のある「生き物」と思っても、現実は、最も「括り」のある「生き物」であると思っている。

現存する「ヒト」はホモ・サピエンスという「ヒト属」に属し、約700万年前、霊長類から分かれた「生き物」で変化しながらも連続している生き物であるが、社会が複雑になればなるほど「括り」も多様になってきている。太古では、せいぜい「種」と「性」が「括り」であったろう。

 話をもとに戻す。「健康診断」では診察がある。医師は、診察時に「健康診断票」を見て名前を確認する。年令・性別欄に目をやる。それから、受診者に現在の健康状態を訪ねる。所謂、問診である。次いで診察に移る。診察時には心音・呼吸音を聴く。聴診である。アレ!、男性と健診票に書いてあるのに乳房がある。女性と記されているのに乳房がない。

小生は、十数年前、初めて「性同一障害」と言われている人を診察した。始めはどのように接したら良いか戸惑ったが、診察をし終えてから「健診票」に「男性」とあるのは間違いですねと、「性別」記載の違いを詫びる。受診者は、「いいえ、まだ戸籍を変えていないんです。」と恥ずかしそうに言う。数年間、毎年、数人の「性同一障害」のある人、現在では「障害」という言葉を避け「LGBT」と表現される若者の「健康診断」を行った。徐々に立ち入ったことにも応えてくれた。小生にとって「ヒト」は「男女」という文字では括れない連続性のある「生き物」であることを肌で知った。

 「LGBT」は、LesbianGayBisexualTransgenderの頭文字をとった略語であることはご存知と思われる。「体の性」と「心の性」が一致しないで外科的転換を望む「ヒト」を指す。両方の性的特徴と器管のある人をインターセックス、Queerともいう。総じて、「性的マイノリティー」と言う。

「ヒト」は、社会的に男性、女性と2分されていても生物としては、解剖学的にも生理学的にも連続性がある事を実体験し驚愕したのである。

 2004年、性差医療・医学研究会 第一回学術総会(現在は、日本性差医学・医療学会)が東京で開催され、小生も聴講した。聴講した理由は後に記す。

招待講演は、アメリカのコロンビア大学の 世界で初めて「性差医療」の確立を提唱したDr. Marianne J Lgatoで、「性差医療の実際」に関する演題であったと思う。

横浜市立大学大学院医学研所貴邑富久子博士の講演は『脳の性、セックスとジェンダー』であった。Dr.Lgatoは、生物学的に「男女」があるにも関わらず、現実は医療が「男性」に偏ったモデルで行われているので、それを是正しようと立ち上がった医学者である。感銘を受けた講演であったが、これは本題と離れたことなのでこれ以上立ち入らない。

 もう一人の招請講演者である貴邑富久子博士の『脳の性、セックスとジェンダー』は、体型は男性でも生物としての(脳)機能は女性である生物(ヒト)が存在するという講演であった。無論、その逆の話もある。小生にとっては驚きの講演であった。講演の記憶をたどると、受精すればすぐ男女の体型は決まるが、脳の機能は母体内(子宮)環境が影響するとのことである。

2004年に得た学術的な知識を、数年後「健康診断」で驚愕の体験をした訳である。小生は、以来、「ヒト」と接触する場合、男性、女性という「性別」の括りに係らず、俯瞰的に接触するようになったと思っている。気取らず言えば、生物学的にも社会的にも外見ではわからない色々な「ヒト」がいる、存在するという事である。

家人と時に議論をする。過年、小生が、「そのように伝えておいて」というと、家人は「やだは、自分で言えば」と断る。先日、家人が「主人(小生の事)がいないので返事ができません。後でお電話します」という電話の会話を耳にした。家庭という小さな社会でも夫婦、男女、子供で役割分担があると思っていた小生は、“ニヤリ”とした。当時、「ヒト」は、男女の人権は同じでも、生きていくには役割分担が「ある・ない」という家族のバトルがあり、小生の言い分を証明しようとしていたが、・・・。(続)

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