絶望とショック・・初美の命は、あと3カ月
● 須之内 哲也 sunouchi tetsuya
事故に遭わなければ一時代を築いたに違いない元・オートレーサーによるコラム
「須之内 哲也の世界」~もう一度会いたい~
「おれが生きているのは初美のおかげ。ただ、もう一度会いたい」。
その時々の情景を思い浮かべながら、ひたすら心の内を書き綴っていく。
事故に遇わなければ・・船橋で注目され一時代を築くとうたわれた元オートレーサー、
彼の車名は知る人ぞ知る『ホージョウ』。
レースの賞金で自家用車をもらうほどの一流選手で、弟子を十数名も抱え、師匠と呼ばれるほどにのぼりつめていた。
しかし、30歳にならない歳で脊髄を砕く大事故に遭い選手生命を閉ざされた。
車椅子での生活を余儀なくされ、周囲に当り散らしたこともあった。そんな時、妻の初美さんが見せる悲しそうな顔。
「哲っちゃんのニコニコ笑っている顔が一番好き」という初美さんの言葉・・
それからの生活はいつも一緒で何をするにもふたりだった。
しかし、初美さんは9年前、彼の手の中で逝った。「哲っちゃん、愛してる」の言葉を遺して・・。
vol.11.絶望とショック・・初美の命は、あと3カ月 2008-4-13
私と次男はすぐに家に帰り、神様に手を合わせ、初美が無事にすむことを祈って、病院に戻ると、皆が談話室で待っていた。ここで待って居てくれと言われたらしいが、私はじっとしていられず、手術室の前で待っていた。やっと終って、先生から手術室に呼ばれた。
私と次男と姉と妹と4人で、先生が、切り取ったガンを見ながら、説明してくれた。結果は「胃を3分の2取って、周りのリンパ線も取ったが、大動脈のところにガンが見つかったけれど、それは取りきれないので残っている」そして「目標は1年だったけど、3カ月になった」と先生の説明を受けた。
「3カ月」と聞いて「初美の命があと3カ月しかないのか」と私は絶望とショックで言葉が出なかった。姉が先生に色々と聞いていたが、私には、まったく分からなくなっていた。
初美の病室に戻って見ると、ベッドが無く、そこだけ空間になっていた。すごく嫌な思いだった。初美は手術後、ナースステーション脇の病室に入って居たけれど、中に入っていいものか迷っていた。隣のベッドにいる金子さんに聞いた。「大丈夫よ入っても」と言ってくれたので、看護師さんに聞いて中に入った。初美の顔を見ると、鼻からクダが入り、点滴をして、痛いのか唸っていた。看護師さんに聞くと、「心配しないで大丈夫だから」と言ってくれたけど心配だった。少しだけ初美の側にいたが、「今日はこのぐらいで、明日病室で会えるから」と看護師さんに言われたので、皆で家に帰った。
家に戻ってから、私は車椅子なので、初美の顔まで手が届かないので、手術後一週間だけ、私の姉と、妹と、初美の妹三人に交代で看病を頼んだ。
7月3日、病院に行くと初美は病室に戻っていた。初美は入院前まで、タバコを吸っていたので、痰が絡んで苦しそうに体を動かしながら「お腹に力が入らないよ」と言っていた。私が初美の背中をさすってやりたいけど、モニターがベッドの脇にあって、私はベッドの足元に居るしかなかった。どうしても誰かに頼まなければならない、自分で背中もさすってやれない、心配だけしか出来ないで見守るだけの自分が情けなかった。
7月4日 (土曜日)病室に行っていると、看護師さんが来て、「起きようか」と抱きかかえベッドの脇に、少しだけ立ち上がったが、初美はすぐ「駄目、立って居られない」とベッドに座ってしまった。傷口が裂けないかと心配で、看護師さんに聞いたら、「腸が癒着しないように」立つのだと言っていた。
痰が出無いので、初美が身体を動かし苦しそうだったが、夕食の仕度があるので、初美を、次男と妹に任せて、私は家に戻った。いつも、八時の面会時間までいて、八時半には家に帰って来ていたのに、二人供、九時を過ぎても、帰って来なかった。何か合ったのかと心配していると、妹から電話があり「心配していたでしょ。初美さんが、痰が出なくて、身体を動かすから、鼻から胃に入っているチューブが抜けてしまい大変だった。夜勤の先生が来て、クダを入れ直すことは出来ないので、抜いた」と言い、「これから帰るので心配しないで」と病院から電話してきた。戻って来て、食事をしながら、私が帰った後、大変だったことを話してくれた。
夜中になり、姉に電話して、初美が亡くなってしまうかもしれない怖さで、受話器を持つ手と、身体が震え、涙をこぼしながら、姉に電話していた。毎日、毎晩、夜中の電話で、姉に「悪いね」と謝ると、姉は「いいよ、それより、毎晩寝ていないで、身体大丈夫か」と、私が「初美は誰にも負けない、最高の妻だよ」といつも言っていたので、「最高の妻を看てやるんだから、自分の身体も大事にしないと」と心配してくれていた。「俺は絶対大丈夫だよ」初美はどんなことがあっても、「俺が看病して守るから」と毎晩、夜中二時近くまで話して、励まされていた。姉との電話だけが、私の、怖かった心を癒されていた。
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