初美が元気になっていく
● 須之内 哲也 sunouchi tetsuya
事故に遭わなければ一時代を築いたに違いない元・オートレーサーによるコラム
「須之内 哲也の世界」~もう一度会いたい~
「おれが生きているのは初美のおかげ。ただ、もう一度会いたい」。
その時々の情景を思い浮かべながら、ひたすら心の内を書き綴っていく。
事故に遇わなければ・・船橋で注目され一時代を築くとうたわれた元オートレーサー、
彼の車名は知る人ぞ知る『ホージョウ』。
レースの賞金で自家用車をもらうほどの一流選手で、弟子を十数名も抱え、師匠と呼ばれるほどにのぼりつめていた。
しかし、30歳にならない歳で脊髄を砕く大事故に遭い選手生命を閉ざされた。
車椅子での生活を余儀なくされ、周囲に当り散らしたこともあった。そんな時、妻の初美さんが見せる悲しそうな顔。
「哲っちゃんのニコニコ笑っている顔が一番好き」という初美さんの言葉・・
それからの生活はいつも一緒で何をするにもふたりだった。
しかし、初美さんは9年前、彼の手の中で逝った。「哲っちゃん、愛してる」の言葉を遺して・・。
vol.12. 初美が元気になっていく 2008-5-15
7月5日 今日は心配で朝から病室に行き「昨日は大変だったらしいな、大丈夫か」と聞くと、初美は「タンが絡むと苦しいよ、力が入らないから出ないし」と言った。「鼻から入れていた、管が取れたので、楽になったよ」とも言っていた。
午後になって、初美の寝巻きと、ベッドのシーツが濡れていた。良く見ると、背中に入っている、麻酔の管が、折れていた。報告すると、日曜日だったので、担当の若い方の先生が来て「もう一度入れる事は出来ないから抜いてしまう」と予定よりも早く、七、八本入っていた管が、2本取れてしまって、大丈夫なのかと心配だった。
隣のベッドに居る、Kさんとも、話をするようになっていた。初美が「夜は、ベッドを仕切っているカーテンを、Kさんが、開けておいてくれるので、怖くない」と言っていた。Kさんと、私達は同年代で、偶然にも子供の名前が同じで、Kさんは3人家族で、家は4人家族の違いはあるけど、私達家族のことを心配し励ましてくれていた。とても心強かったか。
朝から洗濯で、着替えを持って、午後からは病院に毎日行っていた。仕事が終って六時頃に来る、次男と交代になって、家に戻り夕食を作っていた。姉と電話で話して居る時は、どうしても涙がでてしまう。
少しずつ初美も回復して、点滴台を引きながら、トイレも、ディルームにも、行けるようになっていた。いつものように、病室に行くと、ベッドに初美がいない、談話室にいるのかと思い、見に行くと談話室にもいなかった。何処に行ったのか、病院中を捜し、外の公園まで捜しに行ってもいない。不安な気持ちで、病院の中も外も、捜し回った。何処にも居ないから、もう一度、病室に戻ると、点滴台につかまりながら、ベッドの脇に初美が立っていた。「何処に居た」と聞くと、「地下の売店で、タバコを買ってきた」と初美は笑った。私は、安心した気持ちと、タバコを吸う事の怒りで、何て言っていいかわからない気持ちだった。初美は「だって、先生がタバコ吸っても、お酒を飲んでもいいと言ったから」と、「タバコは吸いたい気持ちは、わかるけど、まだ点滴台につかまらないと歩けない身体なのに」と言った。でも、今までの、初美に戻ったようで、「まっ、いいよ、でも、皆の前ではダメだぞ」と言い、初美も「分かっているよ」と言ったけど、何処まで分かっているのかと思った。
先生も、後わずかな命、好きなように生きろという事かなと思った。
私が思っていたより回復が早く、初美が元気になって行くのが何よりも嬉しかった。
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