初美には「三ヶ月の命だ」とは言えない。
● 須之内 哲也 sunouchi tetsuya
事故に遭わなければ一時代を築いたに違いない元・オートレーサーによるコラム
「須之内 哲也の世界」~もう一度会いたい~
「おれが生きているのは初美のおかげ。ただ、もう一度会いたい」。
その時々の情景を思い浮かべながら、ひたすら心の内を書き綴っていく。
事故に遇わなければ・・船橋で注目され一時代を築くとうたわれた元オートレーサー、
彼の車名は知る人ぞ知る『ホージョウ』。
レースの賞金で自家用車をもらうほどの一流選手で、弟子を十数名も抱え、師匠と呼ばれるほどにのぼりつめていた。
しかし、30歳にならない歳で脊髄を砕く大事故に遭い選手生命を閉ざされた。
車椅子での生活を余儀なくされ、周囲に当り散らしたこともあった。そんな時、妻の初美さんが見せる悲しそうな顔。
「哲っちゃんのニコニコ笑っている顔が一番好き」という初美さんの言葉・・
それからの生活はいつも一緒で何をするにもふたりだった。
しかし、初美さんは9年前、彼の手の中で逝った。「哲っちゃん、愛してる」の言葉を遺して・・。
vol.13. 初美には「三ヶ月の命だ」とは言えない。 2008-6-14
在宅看護で初美を看てやろうと決めていたので、知人が、ある先生を探してくれた。夕方の診察時間内に面会が出来ることになった。
7月の暑い日、私は一人で初美の病室から、大田区の病院まで、不安な気持ちで、車を走らせて面会に行った。今までの経過報告をすると、先生は、「本人に話したほうがいい。最初はショックだろうが、人間は案外強いから、三、四日でショックは取れる」と言っていた。初美には「三ヶ月の命だ」とは言えない。首のガンがまだ残っている、これだけで十分で、これ以上の苦しみ与えたくないと思っていたので、返事はしなかった。でも、すごく良い先生で、相談にはいつでも乗ってくれると言ってくれた。
私が帰る時に、玄関の外まで、看護師さんが送ってくれた。その看護師さんが、涙を流しながら「先生も、奥さんを亡くしたばかりで、気持ちが分かるから」と「がんばって」と励ましてくれた。私も涙が出て「又、来ます、ありがとうございました。」とお礼を言い、そのまま、又、初美の病室に戻った。
初美の体調も良く、元気になって来て、隣のKさん親子と話すようになって、毎日励ましてくれていた。私が、ある日、病気が治る水の話が書いてある、新聞の切り抜きを、初美に見せていると、Kさんは、水で病気が治る話を知っていた。そして、お水を扱っている知人の人を、紹介してくれる事にもなった。退院したら初美に飲ませたい物、食べさせたい物が、たくさんあって、Kさんも探してくれると言ってくれた。それからすぐに、Kさんの退院日が決まり、いつも私達を心配してくれていたから、Kさんに退院されて帰られるのが、すごく淋しい気持ちだった。
Kさんが退院する前日、私が家に帰る時、「明日は午前中に会えないから、色々とお世話になりました」とKさん親子に、挨拶して、握手したら、淋しさで涙があふれてきてしまった。「退院しても病室にも来るし、奥さんが退院したら家の方にも行くから心配しないで元気出して」と励まされた。
それから何日間は、四人部屋が一人になって「夜、一人で寝るのが怖い」と言っていた。
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