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外苑のイチョウ並木

● 須之内 哲也 sunouchi tetsuya         

事故に遭わなければ一時代を築いたに違いない元・オートレーサーによるコラム

「須之内 哲也の世界」~もう一度会いたい~

「おれが生きているのは初美のおかげ。ただ、もう一度会いたい」。
その時々の情景を思い浮かべながら、ひたすら心の内を書き綴っていく。

事故に遇わなければ・・船橋で注目され一時代を築くとうたわれた元オートレーサー、
彼の車名は知る人ぞ知る『ホージョウ』。
レースの賞金で自家用車をもらうほどの一流選手で、弟子を十数名も抱え、師匠と呼ばれるほどにのぼりつめていた。
しかし、30歳にならない歳で脊髄を砕く大事故に遭い選手生命を閉ざされた。
車椅子での生活を余儀なくされ、周囲に当り散らしたこともあった。そんな時、妻の初美さんが見せる悲しそうな顔。
「哲っちゃんのニコニコ笑っている顔が一番好き」という初美さんの言葉・・
それからの生活はいつも一緒で何をするにもふたりだった。
しかし、初美さんは9年前、彼の手の中で逝った。「哲っちゃん、愛してる」の言葉を遺して・・。

⇒バックナンバー(vol11以降)

⇒バックナンバー(vol10まで)


vol.18. 2008-11-16 外苑のイチョウ並木

11月の診察では腫瘍マーカーも正常値になったと説明された。このままで元気になってほしい奇跡が起きてほしいと思うばかりだった。 

それからは、急に午後からでも「神宮外苑のイチョウを見に行こうか」と言うので行った。外苑のイチョウ並木を歩きながら写真を写していた。

今度は、「湯河原のこごめの湯という所に行こう」と初美が言い出し、行った。海が見える所まで来ると、ドライブインがあったので、入った。中は、海が一面ガラス張りの所から見え、「哲ちゃんこっちに座りなよ」と初美は海を背にした。「お前がこっちに座れよ」と海が見える方に座らせた。何でもそうだったが、初美は自分より私の事を考えていた。

こごめの湯に着くと、温泉に私は入れないので、ロビーで待っていた。帰りは、二人で箱根をドライブして、紅葉を楽しみ、想い出作りのような日を過ごして来た。

そして、又、熱海の梅園にも行った。梅園の上にある美術館に駐車すると私がトイレも入れるし、美術館も見学出来るからと美術館に入った。「せっかく来たのだから、下の梅園まで一緒に行こう」と梅園の坂道を、何回も休みながら、梅園の中まで一緒に行った。そこからは「俺はここで待っているから」と、いつものように、初美を一人で行かせて後ろ姿を見ていると、しっかりした足取りだったけれど、後ろ姿は淋しそうだった。

元気で働いていた時は自分の両親と毎年旅行をしていたが、私とはいつも車で行ける範囲で箱根あたりまでが、いつもの日帰りコースだった。

12月に入って、気持ちも少しは落ち着いていたけど、考えると怖かった。今、元気なのだから、今を、大切に生きて行こうと、こんなに一日一日を大切に生きた事は無かった。

12月の診察日、CT検査をして、毎週通院していたのが、来年から二週間に一回と言われる。そして、「目標が一年になった」と先生から言われた。三ヶ月が一年でも私の気持ちは、少し楽になった。

12月下旬、初美の父親が入院した。父親も胃癌で手術を、五年前にしていたので心配していた。そして、暮のある日、初美の妹に、何回電話してもかからず、きっと何かあったと思った。連絡が取れ、妹の旦那が意識不明で入院していると聞かされ、すぐに私は、次男に初美を頼んで、長男を連れて夜中の12時近くに家を出て義弟の病院に行った。先生から、あと何時間ですと聞かされた。そしてまもなく義弟が亡くなってしまった。義弟は糖尿病で長年人工透析を受けていたので、注意はしていたらしいけれど突然だった。

初美を連れて葬儀に行ったけれど、寒い中、風邪をひかないか、怖かった。


「須之内さんが亡くなる1ヶ月前、息子さんと二人で家を抜け出して行った先が
“いちょう並木”でした。その時の1枚の写真が・・村松に託されたコラムはま
だ続きます」
Option1117


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