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心を癒したい・・二人で歩いた

● 須之内 哲也 sunouchi tetsuya         

事故に遭わなければ一時代を築いたに違いない元・オートレーサーによるコラム

「須之内 哲也の世界」~もう一度会いたい~

「おれが生きているのは初美のおかげ。ただ、もう一度会いたい」。
その時々の情景を思い浮かべながら、ひたすら心の内を書き綴っていく。

事故に遇わなければ・・船橋で注目され一時代を築くとうたわれた元オートレーサー、
彼の車名は知る人ぞ知る『ホージョウ』。
レースの賞金で自家用車をもらうほどの一流選手で、弟子を十数名も抱え、師匠と呼ばれるほどにのぼりつめていた。
しかし、30歳にならない歳で脊髄を砕く大事故に遭い選手生命を閉ざされた。
車椅子での生活を余儀なくされ、周囲に当り散らしたこともあった。そんな時、妻の初美さんが見せる悲しそうな顔。
「哲っちゃんのニコニコ笑っている顔が一番好き」という初美さんの言葉・・
それからの生活はいつも一緒で何をするにもふたりだった。
しかし、初美さんは9年前、彼の手の中で逝った。「哲っちゃん、愛してる」の言葉を遺して・・。

⇒バックナンバー(vol11以降)

⇒バックナンバー(vol10まで)

vol.19. 2008-12-18 心を癒したい・・二人で歩いた


 平成11年の新年も家族そろって迎えられた。

16日の診察では、12月に検査した胸のCT検査結果は「大分良くなっている」との説明があった。二人で喜んで帰ってきた。

初美も元気だったので、父親の病院にも見舞いに行っていた。

その頃、初美は「夜、寝るのが怖い」とか「朝、眼がさめた時、今日も生きていたと思うよ」と言い、元気で居るけれど初美の気持ちを思うと、心癒す事が一番大切なのだなと思っていた。

昨年、退院してから、寝る前には必ず、私のベッドで初美の悪い所を、手かざしをして、心癒そうと思い、昔話、大丈夫だからと安心させるように話して聞かせていた。初美も「うん、うん」「そうだね」と聞きながら、眠くなってから、自分の部屋のふとんに入って寝るようになっていた。

今日は、朝起きると、天気が良く、初美が「湯河原まで行ってみようか」と急に言いだすので「行こう」と顔だけ洗ってすぐ出かけた。

車の中で初美が「高速道路走っているだけでも気持ちいいね」そして「熱海にしょうか」と言い出し「いいよ、近いから」と湯河原を通り過ぎて熱海に着いた。「お昼を食べよう、何処がいいかな。歩いて探そうよ」と言うので海岸の所にある大きな駐車場に車を入れた。二人で熱海の商店街を歩きながら探していると、小さなお店だったが、気に入ったらしく「ここがいい、ちょっと中を見てくるね」と言い、一人で入って行った。「駄目だ、一杯だったよ」とすぐ出て来て「他にしょう」と又、二人で歩いて探した。「ホテルなら大丈夫だよ」と初美が、ホテルに入って行った。そこも「お昼やっていないんだって」と出て来た。「何処でもいいよ」と熱海の街を二人で探し歩いた。そして初美が「海岸を少しドライブしながら探そう」と言い、アカオホテルの所に来ると「昔、子供が小さい時アカオに泊まったね」と思い出していた。公園になっている所に車を止めて、「俺はいいから、お前見てこいよ」と言うと「うん、ちょっと見てくる」と一人で行った。何処でもそうだが、一緒に行けない所もあった。車に帰って来ると、「昔来た時は工事中だったけど、もう綺麗だったよ。海も見えるしね」と嬉しそうに話していた。結局お昼は、箱根に回って、遅くなったけれど、食べて帰った。

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