vol.20. 2009-1-18 初美がいなくなった
● 須之内 哲也 sunouchi tetsuya
事故に遭わなければ一時代を築いたに違いない元・オートレーサーによるコラム
「須之内 哲也の世界」~もう一度会いたい~
「おれが生きているのは初美のおかげ。ただ、もう一度会いたい」。
その時々の情景を思い浮かべながら、ひたすら心の内を書き綴っていく。
事故に遇わなければ・・船橋で注目され一時代を築くとうたわれた元オートレーサー、
彼の車名は知る人ぞ知る『ホージョウ』。
レースの賞金で自家用車をもらうほどの一流選手で、弟子を十数名も抱え、師匠と呼ばれるほどにのぼりつめていた。
しかし、30歳にならない歳で脊髄を砕く大事故に遭い選手生命を閉ざされた。
車椅子での生活を余儀なくされ、周囲に当り散らしたこともあった。そんな時、妻の初美さんが見せる悲しそうな顔。
「哲っちゃんのニコニコ笑っている顔が一番好き」という初美さんの言葉・・
それからの生活はいつも一緒で何をするにもふたりだった。
しかし、初美さんは9年前、彼の手の中で逝った。「哲っちゃん、愛してる」の言葉を遺して・・。
vol.20. 2009-1-18 初美がいなくなった
私の親友に、私達が元気で湯河原、熱海と行った事を話すと、親友が「鎌倉に行こうか」と誘ってくれた。初美も喜んで「行きたいね」と言うので、親友夫婦と四人で行った。鶴岡八幡宮の中で「あたしが押すよ」と車椅子を押してくれ見て回っていた。何回か二人で行った事のあるお寺に「何処のお寺がいいからよって行こうか」と言うので、私は初美が疲れないかと心配だったが、嬉しそうな笑顔で言っているので、「もういいよ、帰ろう」とは言えず行って、帰りはもう夜になっていた。
湯河原の日帰り温泉に、食事をする所を探そうと話していると、初美が「富士屋ホテル行ってみたい」と言い、富士屋ホテルで食事する事になった。
古いホテルだから、車椅子で入れるか心配だったけど、ホテルの人に私だけ案内され、遠回りだったけれど、レストランまで入れた。食事が終ると、ホテルの中を散歩して、初美が「外で写真取ろうよ」と言う。外は、寒かった。
毎週のように、鎌倉、小田原、湯河原、箱根と一緒に行って、「楽しかった」と家に帰って来ると、初美が笑顔で話していた。
ある日、初美が昼寝をしていたので私も自分の部屋で寝てしまい、眼がさめたら、初美が居なかった。心配になり、いつもの散歩コースに行って見ても居ない。買い物かなとスーパーまで行っても居ない。何処に行ったのだろうと思っていると雨が少し降り出してきたので、初美は傘も持たずに出たのだろうと思い家に戻り、初美の傘をひざの上に置きながら、又、スーパーに行って中まで捜し歩いたが何処にも居ない。雨が降ってきたのに何処に行ったのかと思いながら家に戻っていると、初美が帰ってきて「散歩に行ったけど一人だったので遠くまで行って来ちゃった」と笑いながら言うので、怒るに怒れなくなって「ダメだよ俺に黙って行っちゃ、心配したよ」と言っただけだったが本当に心配で私にとったらもう「事件」だった。
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