入院を断ったものの・・
● 須之内 哲也 sunouchi tetsuya
事故に遭わなければ一時代を築いたに違いない元・オートレーサーによるコラム
「須之内 哲也の世界」~もう一度会いたい~
「おれが生きているのは初美のおかげ。ただ、もう一度会いたい」。
その時々の情景を思い浮かべながら、ひたすら心の内を書き綴っていく。
事故に遇わなければ・・船橋で注目され一時代を築くとうたわれた元オートレーサー、
彼の車名は知る人ぞ知る『ホージョウ』。
レースの賞金で自家用車をもらうほどの一流選手で、弟子を十数名も抱え、師匠と呼ばれるほどにのぼりつめていた。
しかし、30歳にならない歳で脊髄を砕く大事故に遭い選手生命を閉ざされた。
車椅子での生活を余儀なくされ、周囲に当り散らしたこともあった。そんな時、妻の初美さんが見せる悲しそうな顔。
「哲っちゃんのニコニコ笑っている顔が一番好き」という初美さんの言葉・・
それからの生活はいつも一緒で何をするにもふたりだった。
しかし、初美さんは9年前、彼の手の中で逝った。「哲っちゃん、愛してる」の言葉を遺して・・。
vol.23. 2009-4-19 入院を断ったものの・・
4月14日 診察日で、先生に話すと、お腹のCT検査をして、私だけ別の部屋に呼ばれて先生から「もう、そろそろだから」と「良く頑張った」と言われてしまった。「入院させた方がいい」とも言われたけれど、入院は待ってもらった。何とか入院だけはさせたくなかった。絶対に俺が初美を看る。入院しても抗がん剤の点滴と薬で、初美が苦しむと思っていた。初美も「入院はしたくない、家に居たいよ」と二人で、何度も話あって、決めていたので入院は断った。
今まで私が、初美にしてもらった恩返しをしなければ、と思う気持ちと、初美と離れることが出来ない事で先生の言う事も聞かなかった。訪問看護も先生も決まっていないけれど、俺が初美を看ると決めていた。ただ、痛みの問題が心配だった。もう皆に、迷惑をかけるのはわかっているけれど。
4月17日 何とか、このままでいてほしいと祈る気持ちで、一杯だったが、近くのウナギ屋さんに行くと、初美は、全部食べてもいた。
素人の私が、本当の在宅看護、心のケアを、分かっていなかった。でも、初美の気持ちを思うと、一番大切なのは、心のケアだと、自分なりに思っていた。初美の気持ちが少しでも楽になれば、という気持ちだった。
家族で夕食をして話も終ると、子供達が夕食の後片付けをして、掃除している子供を、初美しばらく見ている、あまりにも、丁寧に時間をかけているので、初美が「もう、そんなにいいよ」と言っている。この時間が、初美にとって大切な時間だし、心が癒されればと私は思っていた。
寝る前は、私の部屋のベッドに横になり、私の下手な話と、手かざしで、眠くなるまでして、この時間も私と初美の大切な時間だった。もう、こうしないと、初美も眠れなかった。初美の心を癒しているかな、と思っていた。
近くの先生はどうしても私が「この先生なら」という気持ちにならなくて、病院にずっと通院していた。
4月21日 先週のお腹のCT検査結果で変わらずと、説明を受けたが入院は勧められる。
4月28日 病院で診察をして終ると、私だけが呼ばれて、先生から「もって五月の連休ぐらいまで」と「入院しないと」と言われた。でも、私は入院を断った。痛み止めのクスリは出ていたので、痛み止めがあれば、という思いだった。
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