訪問看護が始まった
● 須之内 哲也 sunouchi tetsuya
事故に遭わなければ一時代を築いたに違いない元・オートレーサーによるコラム
「須之内 哲也の世界」~もう一度会いたい~
「おれが生きているのは初美のおかげ。ただ、もう一度会いたい」。
その時々の情景を思い浮かべながら、ひたすら心の内を書き綴っていく。
事故に遇わなければ・・船橋で注目され一時代を築くとうたわれた元オートレーサー、
彼の車名は知る人ぞ知る『ホージョウ』。
レースの賞金で自家用車をもらうほどの一流選手で、弟子を十数名も抱え、師匠と呼ばれるほどにのぼりつめていた。
しかし、30歳にならない歳で脊髄を砕く大事故に遭い選手生命を閉ざされた。
車椅子での生活を余儀なくされ、周囲に当り散らしたこともあった。そんな時、妻の初美さんが見せる悲しそうな顔。
「哲っちゃんのニコニコ笑っている顔が一番好き」という初美さんの言葉・・
それからの生活はいつも一緒で何をするにもふたりだった。
しかし、初美さんは9年前、彼の手の中で逝った。「哲っちゃん、愛してる」の言葉を遺して・・。
vol.26. 2009-9-11 訪問看護が始まった
(6月16日 訪問看護が始まる)
訪問看護師さんが来てくれて、深呼吸の仕方や、首、肩をマッサージしてくれた。こんな事までしてくれるのか、と私は驚くと同時に嬉しく思っていた。看護師さんが帰る時は、初美のいる所では、話せない事もあるかな、と思い、帰る時は、マンションの玄関まで、送りながら、聞く様にしていた。看護師さんは「まだまだ大丈夫だから」と私の事を「大丈夫ですか」と心配してくれていた。その頃は皆、私が倒れるのではないかと、心配してくれていた。でも、俺は絶対に、倒れることは出来ない、俺が看ないで誰が看る、という気持ちで気も張っていた。
初美の痛みは、そんなでも無かったけれど、毎日、背中にシップを張っていたので、シップを張るときは「冷たいからそっと張って」と言うけれど、私が、早く張ると「心臓が止まっちゃうよ」と怒られてしまった。張り終わると、「ごめん、ごめん」と笑いながら誤った。二人で冗談もでて、笑いながらしていた。
初美は、夕方にお風呂に入るのが、楽しみで、温泉の、湯の花を取り寄せて、お風呂に入れていた。毎日、一緒に居られる、この生活が、ずっと、続いてくれ、と思っていた。
7月6日 毎月二人で、寒川神社へも、お参りに行っていた。いつも、初美は神社の森で深呼吸をすると「不思議に、痛いのが取れる」と言っていた。宮司さんと、話を聞きたいと相談すると、応接室に通されて、宮司さんが、一時間以上も、神様の話をしてくれた。私も、心癒される思いで、帰って来た。
7月9日 CT検査をして、結果は、15日に先生から初美に、説明する、という事になった。初美は、お腹にガンが残っている事はしらない。お腹にもガンがある事が、分かれば、ショックは大きいだろう、と思っていた。診察が終って、帰る時、「駐車場まで歩こうよ」と二人で歩きながら、初美は「検査結果を聞くのも心配だね」と言っていた。
家に戻って、報告する所は、報告していた。皆、初美が大丈夫かな、と心配してくれていた。本人にガンの告知をするのは、人それぞれだろうけれど、私は最初から話した。でも、余命だけは知らせたくは無い。けれど、首にガンが残っている事を、初美は知っている。お腹にもあること、直らないこと、本当のことを、先生から説明受けても、初美は、もう大丈夫だと思っていた。信頼している先生から、本当の事を聞くのが、一番いい、とも思っていた。初美は、病気になる前も、なってからも、自分のことよりも、私のことを心配して、毎日を過ごしている。
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