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腎臓まで、ガンが回っていたんだね

● 須之内 哲也 sunouchi tetsuya         

事故に遭わなければ一時代を築いたに違いない元・オートレーサーによるコラム

「須之内 哲也の世界」~もう一度会いたい~

「おれが生きているのは初美のおかげ。ただ、もう一度会いたい」。
その時々の情景を思い浮かべながら、ひたすら心の内を書き綴っていく。

事故に遇わなければ・・船橋で注目され一時代を築くとうたわれた元オートレーサー、
彼の車名は知る人ぞ知る『ホージョウ』。
レースの賞金で自家用車をもらうほどの一流選手で、弟子を十数名も抱え、師匠と呼ばれるほどにのぼりつめていた。
しかし、30歳にならない歳で脊髄を砕く大事故に遭い選手生命を閉ざされた。
車椅子での生活を余儀なくされ、周囲に当り散らしたこともあった。そんな時、妻の初美さんが見せる悲しそうな顔。
「哲っちゃんのニコニコ笑っている顔が一番好き」という初美さんの言葉・・
それからの生活はいつも一緒で何をするにもふたりだった。
しかし、初美さんは9年前、彼の手の中で逝った。「哲っちゃん、愛してる」の言葉を遺して・・。

⇒バックナンバー(vol11以降)

⇒バックナンバー(vol10まで)


vol.27. 2009-10-24 腎臓まで、ガンが回っていたんだね


715日 午後、外科外来で、先生から、検査結果の説明を受けた。相談室の二人も同席してくれた。先生の前に初美が座り、私と二人は、横に座って、先生の説明が始った。CTの写真を見ながら、「お腹にガンが広がっている」事を言った。初美は最初「お腹にもガンがあるんですか」と先生に驚いた様に聞いている。そして、「右の腎臓が、つぶれている」との、説明だった。私も、腎臓がつぶれている事は、知らなかったので、ショックだった。初美も、ショックだったのだろう。先生に真剣に質問していた。先生も、分かりやすく、説明してくれた。「足にむくみが出たり、黄疸が出た時は、夜中でもいいから、病院に来るように」と言ってくれた。その時は、入院する事になるけれど、私が、ずっと一緒に、付き添っていられるようにしてくれる、と言ってくれた。私も、どうしても、入院させない、と思っているわけではなかった。


 入院して、治らない抗がん剤を使って、初美が苦しむのは見ていられない、そして、病院では、私が、何もしてあげられない。すべて、病院任せで、ただ、見ているだけ、と思っていた。やっぱり、家だと、初美が寝るまで、看てやれる。自分が、看病できる、心の余裕があった。先生が、何かあったら、すぐ入院できる、態勢を整えてくれた。一応、入院の手続きをして、何かあったら、いつでも、入院も出来る事で、初美も私も安心する事ができた。


私が入院の手続きをしていると、初美は「病院の庭を散歩している」と言い、先に玄関を出ていった。入院の手続きが終って、初美を迎えに行くと、庭の大きなさくらの木の下を、ぼんやりと歩いていた。ショックで何も考えていない様な感じで歩いている。「初美」と声をかけるまで、私に気が付かなかった。「帰ろうよ」と言うと「うん」と言っただけで、淋しそうな顔をしていた。


私が「車を此処に持って来るから、此処で待っていろ」と言うと「車の所まで歩くよ」と初美は言い、二人で黙って車まで歩いていった。


帰り道、「此処に少し、車止めて、休んで行こう」と初美が言う。そこは大きな街路樹が覆い茂った、景色の綺麗な涼しい所だった。車を止めると、初美は「腎臓まで、ガンが回っていたんだね」とショックが大きかった様で、淋しそうに言った。私は慰めの言葉もみつからず「うん、腎臓までつぶれていることは、俺も知らなかった」と話した。「でも、腎臓は2つあるし、24時間以内なら処置できる、と先生も言っていたし、大丈夫だよ」としか、言えなかった。


家に戻っても、初美は元気が無かった。親兄弟から電話があって、皆が心配してくれていた。でも、2、3日すると、初美もショックが柔らいたのか、いつもの様になっていた。


先生から、本当の事を、説明受け、本当に良かった、と思っていた。私も、初美の事は、すべて、知って起きたかった。初美に「もう、無理しないで、自分の体調を、一番に考えろ」と話した。


訪問看護師さんも、訪問日に来た時、「心配だった」と、初美が元気だったので、「安心しました」と言ってくれた。


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