家族を看取ったその人が今度は一人になって
独居高齢者が仲間たちに囲まれて穏やかな死を迎えられる体制づくりを急がなければ・・25年経ってもまだこんな状態、何と情けないことだろう。「困った時の村松さん、母が何だかおかしいの・・」と、今日も電話が鳴った。私はそんな時、何らかの方法ですぐに対応することを心掛けている。とはいえ、私だって、いつどのようなことに巻き込まれるかわからない。私が25歳年取ったということは、自宅で夫を看取ったその人も25歳年取ったということ。杖をつき、一人で生きるその姿を放っておくわけにはいかない。
| 固定リンク
「みんなの声 私の声」カテゴリの記事
- 11月25日市民講座「私の看取りのシーンを考える」中野サンプラザ、常時、同志の看護師募集」に新しいコメントがつきました。☞母を慣れない場所に連れてきて、92歳で少しずつ衰え、兄のところで上手に生活ができればと、私も安心し、東京に戻りました。(2017.10.22)
- ラーニングナースの1年間が、いつどこへ行っても私の揺るがない基礎に。今までの訪問看護の経験や子育ての経験を生かして、地域のハブになるような場づくりをしたいという思いが一層強くなりました。(2016.11.29)
- 明日発売のユリイカ2016年10月号(青土社)の特集が、あの永六輔さん 麻理さんー「照れる永さん、粋な永さん」を語っているようです。みんな、読みたい・・(2016.09.25)
- 3日間の在宅看護短期集中体験学習では訪問看護ステーションでもお世話になりました。(2015.03.06)
- 最後の1枚、祖母の刺し子がより強く繋いだ「本音で語る広場」・・ あっ、赤い糸の十字じゃない? 私たちがみんなでつくった30年以上前の日赤のICUだったのね。(2014.04.04)
コメント