今は亡き、レーサー須之内哲也のコラム
事故に遭わなければ一時代を築いたに違いない元・オートレーサーによるコラム
vol.31. 2010-11-12 もう怖くなんかない
家に帰る車の中で、初美が「少し車止めて」と、前に止めた時と同じ場所だった。初美は、何も言わなかったけれど、淋しそうな顔をしていた。子供達も黙っていたけれど、全て分かっている。私は、出来るだけ冷静になって、家族を引っ張っていかなければ、と考えていた。
家に戻り、次男には、「今までどおり仕事に行って、いつでも休みを取れるように」と話し、長男は、もう仕事を止めていたので、「家に居てくれ」と話した。初美は、元々、何事にもくよくよしない性格なので、疲れているようだったが落ち着いていた。子供達も気を利かしたのか、私達二人にしてくれた。
もう毎日の様に二人でこんな日が来る事を話あっていたので、私は、もう怖くは無くなっていた。夕食も長男が作った食事で、4人でテーブルに座って食事は出来たが、それぞれが食欲は無かった。寝る前に、毎晩している、手かざしをしていると、初美が「子供達ともっと話したかったけど、今夜は苦しくて話が出来なかった」と私に言っていた。「無理しなくていいよ、苦しい時は苦しいと言っていいよ」と私も言った。でも、寝る前は私と、話も出来たし、大分落ち着いていた。
初美は、話をしながら眠ってしまい、自分の部屋まで歩けるか心配だったが「初美、終ったよ」と言うと、「うん」と言いながら、私の首に腕を回して、私が初美を抱きかかえる様に起こすと、「大丈夫だよ、一人で行けるよ」と自分の部屋まで歩いて行けた。初美が寝た後も私は、必ず、初美の顔を見に何回も部屋に入っていた。ぐっすり眠っている初美の顔を見て、安心するのと、心配と淋しさで何とも言えない気持ちでいた。
8月25日は訪問看護師さんが、朝から来て、「昨日先生と話しあって、突発的な事があったら入院するけれど、往診してくれる先生を頼んだ」と言ってくれた。27日に家に来てくれる事になって、往診してくれる先生を探してくれてきてくれる事になってほっとした気持ちだった。帰る時、何時もの様に玄関まで送って行くと「一週間単位で考えましょう」と看護師さんが言っていた。「はい」と答えたけれど、私も落ち着いて要られた。
午後になって、初美の部屋で足を揉んでいると、「足がむくんでいるよね。看護師さんに来てもらいたい。」と初美が言うので、電話で報告して又、来てもらった。看護師さんが見ても「足のむくみは大丈夫だから」と言った。初美が気になっているので少しでも変わったら心配な気持ちだと分かっていた。看護師さんも私も、初美の気が済む様にと思っていた。
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