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事故に遭わなければ一時代を築いたに違いない今は亡き、オートレーサー須之内哲也の連載コラム  

vol1 こちら

vol.36. 2011-7-26

95日の夜は、明日は朝から初美の部屋の畳を取りに来るので子供達が二人で割れるものをすべて台所やベランダに出して畳をすぐもっていける準備をして私のベッドで一日過ごすようだから大丈夫か心配だと話して毎日が思い出作りだと感じていた。長男は5年ぐらい前から一人で生活をしていたので料理も出来て毎日のお使いと夕食の仕度は長男がしていた。今まで次男と私と初美の3人で生活していたので、初美も長男が毎日居るので家族4人の生活が嬉しかったらしく毎日毎日の4人で食べる夕食が一番楽しみでもあったようだ。ただ長男は自分で内装業をしているので仕事を断って休んで家の家事と私と一緒に初美の看病をしていたが、次男のことは初美が「仕事に行かないとダメだよ」と行かせていた。初美は自分の為に家族皆を犠牲にしたくない考えで、次男には用事が合った時だけ会社を休んであとは仕事に行ってほしいと言っていたので仕事を続けていた。

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畳屋さんが取りに来るので、今日は早めに洗面と食事を済ませて私のベッドで横になっていると畳屋さんが出来るだけ早く持ってくるからと取りに来てくれた。

午後からは哲ちゃんも疲れちゃうから横になりなよと言うけど初美は一人で居るのが淋しいのか怖いのかだんだん一人で居られなくなってきていた。二人で横になって話すことは私が一人になったらどうすると心配で仕方ないようで「大丈夫だよ一人でやっていけるよと」言うと初美は「哲ちゃんの妹に見てもらえると私も安心なんだけどな」と何回も何回も私が一人になることを心配していた。毎日色んな話をしていたが「今までずっと仕事させて幸せにしてあげられなくてごめんな」と言うと初美は「幸せだったよ」仕事だっていやではなかったし「哲ちゃんの笑顔を見てるだけで幸せだった」もう何も言えなくて「そうか」とだけしか言えなかった。今までずっと俺の面倒を見てくれて自分のことより俺のことを心配でなんでも俺のわがままにさせてくれて俺もそれに甘えてわがままほうだいに生きてきて「ごめんな」と言ったけど「哲ちゃんが幸せなら私だって幸せなんだよ」とも言ってくれて今まで「初美がいてくれたから俺も生きていけたんだよ。お前が居なくなったら生きて行けないよ二人で車に乗って海にでも飛び込んじゃおうか」と話したら初美が「ダメだよそんなこと思っちゃ哲ちゃんは生きていかないと」と言って二人で一日横になって話していた。

もう二人とも初美の死が近いこともわかっていたし、初美も怖くないと言い私ももう怖くなくなっていたし何でも話しておきたかった。黄疸が出てから日一日と初美が悪くなって行くのが早くなってきていたので思い残すことなく話していたかったし、初美も思い出をこれは何処に行った時買った物だとかこれは何処そこに行ったとき買って来た物だとか自分が見える所にある物をすべて私に説明して思い出話をしてくれた。洋服はいくらもないしどれもいい物ではないから喪服は自分の妹に着させてくれとか指輪もないけどどれを誰にあげてくれとかもう死の準備に入っているようで、すべて私に話していた。「お世話になった人には手紙書くのも苦手だから哲ちゃんから皆にお礼を言っておいてね」と話して私は「大丈夫だよ、すべてわかったから後の事は全部お前の言うとおりにするから安心して」と言いながら涙を出したけど初美は泣かなかった。どんな気持ちで自分が死んだあとのことを私に話しているのかと思うとただ私は涙が出るだけだった。

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