コラム「医師として、武士として」 安藤 武士 Andou takeshi
1941年、新潟県生まれ。1967年、新潟大学医学部卒業後、医師登録と同時に外科研修を開始。72年、呼吸器・心臓血管外科を専攻後、80年より、心臓血管外科部長として日本赤十字社医療センターに勤務。2001年より職域診療所所長、2010年より佐野市民病院健康管理センター所長として活躍中。労働衛生コンサルタント・スポーツドクター(日体協)・健康スポーツドクター(日医)・認定産業医(日医)の資格を持ち、これらの5つの顔を絶妙な味で使いわける医学博士である。身体の大きさと、豪快な笑い・笑顔には、その人柄と存在感をより強くアピールする何ものかが潜んでいる。やはり'武士'にして"武士"ここにあり。
Vol.41 2011. 9. 5 祝 辞
e-nurse networkeを主宰されている在宅看護研究所センターの村松静子代表が、赤十字国際委員会から「第43回フローレンス・イチンゲール記章」を受与された。関係者は無論のこと、本コラムに拙文を寄せている一人とて誇りに思っている。
本邦の歴代のナイチンゲール記章受賞者は、医療機関(病院)の世界で長年にわたり看護の分野で活躍された功績で受賞されておられることは、改めて申し上げる必要もない。
村松代表は、看護婦(師)として臨床の場で日々活躍していたが、病める人が医療機関を離れてからも看護が必要性のことを痛感し、ボランティアで退院した人の家庭で看護を行ったことが原点となり、1986年、30歳台で医療施設(病院)より離れ、看護のプロ集団による「在宅看護研究センター」を設立し「在宅看護」を始めた。そればかりか、国に「在宅看護」の必要性を説き、それが契機となり今日の「公的在宅看護制度」が導入されたのである。活動の拠点が医療機関(病院)でないことは特筆されてよいと思っている。
フローレンス・ナイチンゲールはクリミヤ戦争(1953ー1956年)に、34歳で英国陸軍病院の看護団を率いてクリミヤのスクタリ野戦病院で傷病兵の看護にあたった。ナイチンゲールは、良家の子女の奉仕による看護を排し、看護教育を受けたプロの看護婦(師)による看護を行うことを推し進めた。また統計を駆使し(後に英国統計学会員となる。)、野戦病院の衛生状態に問題があることを指摘、それを改善することで死亡率を著しく低下させた。看護の力を英国陸軍に認めさせたのである。このことが、それまでの医師のみによる医療にプロによる看護も医療にとって必須要件であることが認知され、以後の医療に看護が組み入れられ近代医療が創設されたのである。
村松代表は、19世紀にフローレンス・ナイチンゲールが近代医療を創設したと同様、医療の一翼をになっている看護を医療施設(病院)の場だけではなく、病める人が日々生活を送る家庭でプロによる看護を受けることが出来る「在宅看護」を組み入れた新しい医療制度、進化した医療制度の創設に寄与したことが評価されたのである。代表のナイチンゲール記章受賞は特別な意味を持っているものと思っている。まことに慶賀である。
Vol.4vol.12 に、「赤十字とナイチンゲール」もある。 ⇒こちら
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