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事故に遭わなければ一時代を築いたに違いない今は亡き、オートレーサー須之内哲也の連載コラム

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vol.38. 2012-3-1

知人にもベッドを入れたほうが楽だからと言われてベッドを借りて入れることになったけど、私にはこだわりがあった。死ぬ時は二人で、ふとんの上で看取ってあげたいと思っていたのでベッドは出来るだけ部屋に入れたくなかった。でも、初美が起きる時も自動で楽だからとベッドを入れることになった。トイレも訪問看護ステーションから借りて部屋においていたけど、トイレは家のトイレに行きたいと、初美は両手を子供に支えられながらやっと歩いて行っていた。今までふとんだったから、夜中に手を伸ばして私の身体を叩いて起こしていた。ベッドを入れて横に私のふとんを敷いて寝てみたけれど、初美が私を起こせなくて・・・夜中の3時頃まではかならず起きて見ているのだけど、朝方は私も眠ってしまい初美は声を出せなくて手が届かなかったと言う。 私が怪我をして入院している時は今とは逆で初美が私の看病をしてくれた。お互いの手首に紐を縛って寝たのを思い出し次の日からは、お互いの手首を縛って寝ようとそうしたのだけれど、今の初美に紐を引っ張る力がなかったらしく、「今夜も起こそうと思ったけど紐を引く力がなかったから我慢していた」という。色々考えて、次男がベッドに鈴をつけてそれなら手をぶつけるだけでいいからと持って来てくれた。ためしたら鈴が鳴ったので良かった。「じゃこれにしょう」と早速鈴をベッドにつけて、「用事がある時はいつでも鳴らすんだよ」と笑いながら取り付けたりしていたのに、私が台所で片付をしたりしていても「哲ちゃん早くこっちに来てなよ」と、私の姿が見えるところにいても呼ぶ。そばにいてほしいのだろう。顔が見えないとすぐ呼んでいた。

毎日横になっている時間が長くなったから、背中が痛いと横向きにさせたり背枕をあてがったり身体をさすって向きを変えたりする。やっぱりベッドのほうが楽で、食事も洗面もベッドの上でするようになって、トイレに行く時は台所の椅子に一回座って休んでからトイレに行くようにもなってきた。私が車椅子なのでどうしても初美を支えてトイレに連れて行くことは出来なかった。長男が仕事が終わると夜中に仮眠をしに帰り家族で役割分担を決めていたので、長男ももうほとんど家にいてくれるようになった。こんなに家族がまとまったのは始めてかもしれない。これで初美がこのままいつまでもこうしていてくれたらと思うばかりだった。

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