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八十乙女のつぶやき  国分 アイ Kokubun Ai

村松静子が尊敬してやまない恩師・国分アイ先生は、2004414日 昇天されましたが、福島県出身の先生のお心を思い起こし、継続して掲載させていただいております。>>>>>バックナンバー (尚、2012年7月になって国分先生から頂戴していたお葉書の一言を見落としていたことが判明。ここに書き添えます。「頭書のところに 福島県本宮町生まれ 福島県立安積高女卒 と入れて下さるとわが思いがふるさとの方達に届きそうな気がいたします」)

Vol 16 誤解と弁解

人とのかかわりの誤解は、解かないといつまでもしこりを残す。だが、日常には勘違い程度の誤解も多い。古稀を過ぎたこの頃、うっかりした勘違いが多くなり、不安にもなってきた。

昔、パーマネントがはやりだした頃、私はそれを「パーネマント・ウェーブ」と言っていた。もともと英語の敬遠された時代の無知によるものと思うが、ロシア文字に出てくる“○○スキー”のような、長い人名なども苦手だった。このことをある人に話したら、「コッキン・テンクリートよりはいいですよ」と慰められ、上手がいると大笑いした。

これも昔、わが故郷に若かった母が生きていた頃、ラジオに「ウッカリ夫人とチャッカリ夫人」という番組があったらしい。長女の私が東京に出て留守のわが家では、弟妹たちは、母に、「ウカチャカ夫人」の名を奉っていた。ウッカリ忘れても、チャッカリ合理化して流してしまう母、口を尖らせて抗議しても、柳に風。あっけにとられている弟妹の姿が目に浮かぶ。「いいわ、いいわ」は、母の口癖だった。「気にしない、気にしない」、母はこうして5人の子どもたちを育てた。

この母親の流儀は、「一大事にあらざれば、適当にあしらっておく」という形で、私の身にもついたようだ。私にとって一大事は、職業上に責任にかかわることであった。仕事に全力投球すると、余力はなくなり、後はなるようになれだった。それは母親ゆずりの“ウカチャカ”だったのかもしれない。海軍病院で主任だった頃、当時の職員の一部は厳しかった加藤婦長さんを敬遠していたが、よく聞いてみると誤解が多い。だが、婦長さんは絶対弁解されなかった。主任の私は婦長さんに代わって弁解しながら、婦長さんの頑固さであり、自分への厳しさでもあると思ったものである。

人とのかかわりで、思わぬ誤解を受けたことがある。否、今もそれは続き、そのまま私の人生は終わるだろう。弁解という手段があるが、それは反対に他者の人格、人生さえ傷つけることになる。誤解されたままのほうが、一つの社会集団は平穏無事であると悟った。ウッカリ人を信じすぎた報いだった。

国会の政治家の弁明を聴いた。真実が語れない限り、誤解は疑惑となり、国民の心にしこりを残す。政治家は国民に誤解されたとみたら、正すべきであろう。誤解というしこりは、解明されない限り、問題を残すものだと思う。(2002年)

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