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2013年6月

常連さんが立ち寄ってくださって、どこに相談したら良いのかイメージできるって言っていました

先ほど、高田馬場にこれまた常連さんが、立ち寄ってくださいました。
場所みて、喜んでもらえたのと同時に、フェイスブックやブログの看護現場の生の関わりの動きの記事みて、とってもイメージできるし、いろんな方法や、どこに相談したら良いのかイメージできるって、知ってる人、施設に預けて罪悪感あったり、家族に対して、いろいろ湧く気持ちに葛藤したりする話きくけど、いろんな力借りて動いたら、大丈夫だよねー、いろんな現実があるんだよねー、となんか熱く語ってくれて、わたしも、熱くなりました。新しい仲間と、展開できてありがたいよね。とも

生で動き続ける現場の流れを感じながら、自分に素直になって、修正する看護をやって行きたい

関わりの中、頭で考えて出す言葉は、どんなに綺麗でも響きません。逆に嘘くさく感じて、抵抗したくなります。

そんな自分は、ほんと天邪鬼で素直じゃないです。常に現場は生で動き続けてるから、その流れ感じながらの修正する看護やって行きたいです。自分に正直に。
看護は、判断することは大事だけど、判断が必要ない部分もたくさんある気がします。とくに感情や心の部分。心ってコロコロかわる自分がいるからだともおもいます。この人はこういう人って決めたら、お互いに新しい発見や関わりはあっても見えない、気付かない気がして勿体無いです。

メッセンジャーナース研鑽セミナーに初めて参加して、このままではいけないと、向き合いました。想いをもって関わってみました。すると・・・

先日の研鑽セミナーが終わってからずっと思い出そうとしても、病院で関わってきた患者さんの「こころの風景」を描けない自分に愕然としました。なぜか、在宅で伺っている方や家族の「こころの風景」はこうかな?と思い浮かべられるのです。昨日に訪問しながら、この方の・・・考えてもです。

あーあーと反省しきり・・・。患者さんの言葉を聞いていなかったわけではないのですが、その時発した、感情のみにとらわれていて、その背景「こころの風景」までは、思いを巡らせていなかったのです。様々な患者さんの特に、壮年期の死に直面している人の想いをわかっていなかった、わかろうとしていなかったことに涙がでました。

他の看護師よりも、その人の思いを汲んで関わっているという自負もありました。また大きな課題がみつかりました。

Aさんは「痛くてしょうがない」と口パクで(下咽頭がんで喉頭摘出、永久気管孔)、訴えました。「痛いのですね、何とか痛みをとれるようにしますね」と話し、担当医に掛け合いました。頸部郭清を行い、副神経切断をしているため絞扼感があります。そのことを担当と話し処方をと相談しましたが、反応はイマイチ。その場に居合わせた病棟在勤の薬剤師さんも含め話し合いをして、処方してもらいました。その薬をAさんに渡し、痛みについてはなんとかする、努力をすることを伝えました。

翌日ラウンドに行くと、ベットに座り起きていました。にっこり笑い「眠れた、よかった」と。すっきり目覚めていたので、ここだ!!と思い関わりました。・・・部屋に伺うと、私の思い・・・とノートに書き始めました。食欲が落ちてきている事、娘に迷惑をかけたくないこと、仲間に会いたいこと、個室を出たいこと、できればここの病院で終わりたいこと。一気に書かれました。思いを伝えてくれたことに感謝しました。その時です。

Aさんが書かれていたスケッチを見せてくれました。生まれた場所、孫の顔、自画像(怒っている顔)、藤沢のスナックの風景、想像で描いたスイスの風景、そして、「死後の風景」と題してあった絵。「死後の風景」と題してあった絵に衝撃を受けました。同時にAさんの想いを知ることができたような気がしました。個室の件は、師長に報告し、検討してもらうよう働きかけました。ここまでが現在の状況です。

想いをもって関わると、思いがけなく「こころの風景」に触れることができました。今度ご家族が見えます。Aさんの思いを伝え、ご家族の「こころの風景」を思い接してみたいと思っています。

1回/W訪問している方のところでのやり取りです。庭の”もじずり”も可愛いです。 

Aさんはパーキンソと診断されて長い。最近物忘れが見られるようになり、パッチによる治療も始まった。でも自宅でリハビリを頑張っている方でもある。

「できる事は自分で」がモットー!。最近は気候も良くなり、訪問時に庭で歩行練習を始めた。「芝生は歩きにくいわ、」と言いながらも風の気持ち良さに笑顔もみられました。
  今月に入り、芝生のあちらこちらにピンクのもじずりの花が咲くようになり、「もじずりの花は百人一首にも詠まれていますね。」と言うと、直ぐに『みちのくの しのぶもじずり 誰ゆえに 乱れそめにし 我ならなくに』とすらすらとその句を読み上げて下さいました。そして短歌が好きで、今までに沢山作ってきた事やご主人がパソコンで打って下さった自作の短歌集を見せて頂きながら話が弾みました。
  「話しにくいの」という訴えがあり言葉のリハビリを考えていたけれど、短歌を楽しむ事が一番のリハビリと実感した。「短歌が一番、今日からはじめましょう」と話すと、素敵な笑顔が返ってきました。リハビリが楽しみです。

【市民の眼】 Vol.50 報道されない「フクシマ」見聞記

【市民の眼】   尾崎 雄 Ozaki Takeshi (老・病・死を考える会世話人)

1942 生まれ。65年早稲田大学卒業、日本経済新聞社入社。札幌支社報道課、流通経済部、婦人家庭部次長、企画調査部次長、「日経WOMAN」編集長、婦人家庭部編集委員などを経て、日経事業出版社取締役編集統括。高齢社会、地域福祉、終末ケア、NPONGO関連分野を担当。現在、フリージャーナリスト・仙台白百合女子大学総合福祉学科教授・AID(老・病・死を考える会)世話人・東京大学医療政策人材養成講座2期生。著書に「人間らしく死にたい」(日本経済新聞社)、「介護保険に賭ける男たち」(日経事業出版社)ほかがある。市民の眼医療福祉の断面やエピソードなどについて医療職ではなく一市民として気づいたことが書かれています。 >>>バックナンバー (VOL.1-47) 

Vol.50 報道されない「フクシマ」見聞記

<一泊二日で原発被災地を歩いて、感じたこと>2013-6-12

 6月6日から2日間、福島県を訪れ、原発事故被災地を歩いて被災住民の声をお聴きしてきました。わずか2日の見聞で、あれほど巨大かつ複雑で微妙な事件の全貌が分かるはずはない。それを承知の上で、地元NPOに案内を乞い、福島原発周辺の地震・津波被災地を放射線による立ち入り禁止ゲートまで行き、全国紙やTVでは分かりにくい、現状や地元の人々の本音に触れてきました。

1日目は、いわき市からスタート。原発バブルで地価が高騰し、被災民の移住などで人口が増えるなどにより住宅難になった市中心部から仮設住宅街へ。

いわき市のニュータウンにある仮設住宅は、昨年見てきた宮城県の東北最大の仮設団地(石巻市・開成地区)などに比べると環境に恵まれ、住み心地は良さそうだった。

少なくとも建物は石巻市のようなバラックだけでなく普通の住宅に近いもの少なくなかった。津波に襲われた海岸に近い地域に到ると「空気」は一変する。

放射線警戒地域、規制のため原発のトンネルや建屋を遠望するところまでしか行けなかったものの、被災住民からは、地震・津波の体験と原発爆発の音と振動、そして混乱した避難のようすを聴くことができた。当然とはいえ、夜間立ち入り禁止の富岡町での見聞は強烈だった。

居住禁止区域に走っているのは、巡回警備のパトカーや東電の原発事故関係車両のみ。開いている店舗は作業員相手の弁当や食事を売る店だけだとか。

原発から遠い小名浜周辺までは、津波によって壊滅した市街地は瓦礫は片づけられつつあったが、事故原発に近い地域の市街地は、破壊された住居や商店などの無残な姿が当時のままの姿を到るところに曝していた。津波で流された自動車が室内に突っ込んだままの廃屋も。線量が高いため、解体も瓦礫処理もできず、201131447分のまま時間がストップしているのだ。

白い防護服を着て雑草除去をしていた作業員が携帯する線量計の表示は0.38~0.43μシーベルト。カメラを向けると「会社名がわかるから」と拒否された。旧財閥系企業だった。同行した朝日新聞OBは「ひとも住んでいない廃墟の草刈りとは」と疑問を漏らす。

その夜、現地案内をお願いしたNPOの幹部と懇談したとき、「除染は無意味では?

単なる公共事業(予算消化の意)」と質問すると、それを否定せず「除染ではなくて、『移染』です」と本音を漏らした。翌朝の福島民友の読者投稿欄に、ほぼ同じ意見(61歳・無職)が掲載されていた。こうした見方は現地では常識になっているのだろう。

――原発事故二年余も経過しての除染など、もはや除染ではない。この間飛散した汚染物質もあろうし、あるいは深く沈潜しての除染では、どうにもならないものもある。

(除染の実態は)放射性物質の撹拌と散乱、すなわち「移染」にほかならない。あるところを洗浄しても汚染は近隣に永遠に移動し続けるだけなのだ……「除染」は税金による公共事業として実施されいるはずだが、効果はあるのか?

行政は「対策を実施した」というアリバイ作りに行っているのではないのだろうか。そんなことを連れと囁き合いながら、次の現場にむかった。

「フクシマ」訪問のきっかけは、ある勉強会で現地NPOによる「風化するフクシマ」報告を聴いたこと。「風化」の様子を自分自身の目と耳と肌で知りたくなり、朝日新聞の政治部と整理部のOBを誘って現地を訪問したのである。行ってみると、風化というより、むしろ事態は悪化ないし、複雑化し、問題の本質が露わに見えてきたと言ってよさそうである。

ひと言で表現すればニッポン全体の縮図が「フクシマ」の形を借りて露呈しつつある。その過酷な現実は、放射線によって故郷を追われ、「ディアスポラ」(放浪の民)になって復興に取り組む方々の話を現地で直接に聴かねば分からない。

親戚も親しい友人も福島県に持たない私にとって「フクシマ」はやはり風化していた。それを指摘する報道はあまりなかったようだ。あるいは、見ても見えなかったのかもしれない。

「フクシマ」から帰った翌日の11日付け読売新聞の現地レポート(福元理央記者)を載せていたが、それは私が見て聴いて来た「フクシマ」の実感を代弁する。

<希望、失望 二つの心模様 除染作業に汗 高線量で帰還諦め>

記事の結語は大熊町の町長談話である。「町に戻れる環境を全力で取り戻すことが、町の使命だ。だが、町民のニーズは多様化している。町に戻る人、戻らない人、どちらの選択も尊重して希望に応えられるようにしたい」

だが、希望派と失望派に分断された町民全員が納得できる復興計画をほんとうに作れるのか? それは、国と県と自治体における政治の問題であり、煎じ詰めれば、国民と現地住民をひっくるめて democratic innovation が問われているということなのである。

宿泊研修後の2週間 学び多き日々です 恐れずに突き進みます。

自分の無力さ  人とお別れする寂しさ  先が見えないことの恐怖  マイナスの感情が自分を包みました。
情けないのですが朝の出勤時には悲しくて穴がポッカリと空いてしまった自分がいました。  身内以外の人とのお別れがこんなに悲しいなんてと思います。  今日  訪問の合間に本人様とお別れする機会をいただき  娘さんと思い出話をしながら  お別れしてきました。
悲しい顔をしていたのか  訪問先のお兄さんが 失敗を恐れるな  失敗なくして成功なし と 喝を入れてくれました。
そんな1日を過ごし  帰宅の電車の中で  不思議なパワーに包まれ  ポッカリ空いた穴が少しつづ閉じていくのを感じています。ケアする人がケアされていました。課題も沢山いただきました。

恐れずに突き進みます(Sei2)

10年来訪問をしている先生とお呼びしている一人ぐらしの女性が本日米寿を迎えられました。

10年前病気から喉に穴をあけ器材をつける治療を受け本来の自分の声は失いましたが、お話し好きでいつも前向きに一日一日に感謝しながら私に様々事を教えて下さいます。大きな花束よりもこの一輪のバラの思いやりが何より嬉しいとおっしゃいます。

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年を重ねる毎にダンボールの片付けや花の手入れも大変になるものと。私からは代表の「自分の家で死にたい』をプレゼント致しました。素敵な年の重ね方に尊敬と乾杯

久しぶりの訪問はやっぱりおもしろい。力まないで行きま~す。

久しぶりの訪問、おもしろいです。
現実って、はかりしれない面白さがあります!今日の同行訪問、刺激的でした。明日の同行訪問も楽しみ。力まないで行ってきます!

天狗になっていた私……恥ずかしさのあまり涙してしまった。

研修会で行ったロールプレイングと似た場面を実際に今体験しています。ロールプレイング後は感じた事を大切にしつつも、本番は大丈夫なんて天狗になっていた私…… 前日にいい看護したなぁ~なんて自画自賛していた自分が赤面。恥ずかしさのあまり涙してしまうほど、先の見通しが立てられない自分でした。何が足りなかったのかプロセスを振り返り、スタッフ皆で頑張りたいと思う自分です。もっともっと飛躍します。 (バージョンアップを狙うsei2)

新たなカテゴリー誕生! 活動報告(システムのスタッフは、今)

私たち日本在宅看護システム職員一同は、2日間の宿泊研鑽交流会を機に、自分たちの活動を皆さんに発信することで、その様子をお伝えし、評価・激励を頂こうということになりました。

さらなる一歩が踏み出せるのではないかと考えたのです。

代表:村松静子の口癖“言うは易く行うは難し”・・言うことは言うけど行動しない。何年続いているのかしら? 今度は本当に動くの? 変化って何? 変化を興せば? 〔計画は立てなのですが、出来ませんでした。今度はこうしようと思います〕。何度も、何年も、同じ言葉を繰り返し聞いたけど、私は高齢者の域に入っちゃった!」

今日から、私たちの本当の挑戦が始まりました。村松がずっと言っていた「常勤・非常勤、関係ないでしょ?力を合わせればいろいろできるはずでしょ?」 そうなんです。みんな一つになって、それぞれの良さを引き出し合えば、当社の今は100人力、今年こそ、変わります。私たちは一人一人が変わって、変化を興します。 

カテゴリー:活動報告(システムのスタッフは、今)  是非、ご愛読を!

このような話ができるステ-ションって凄く素敵。「○◎賞」、非常勤の私が・・・???

週末の宿泊研鑽会、大変お疲れさまでした。そして、有り難うございました。

皆で私達の目指すべき看護の神髄を話し合えた研鑽会だったと思います。

「研鑽会」と言ってしまうとすごくかしこまり、小難しく感じてしまいますが、どこまでその人に寄り添う事ができ、自分がお手伝いできるのか・・・。

言葉で言ってしまうと簡単なようですが、いざ実行となると技術的な事はもちろん言葉の掛け方、その方に対する表情・仕草等、まだまだ勉強不足な事が良く分かりました。

この二日間は大変有意義であり、かつ緩んだ気持ちに喝の入った二日間でした。

このような話ができるステ-ションって凄く素敵だなと思いました。

「○◎賞」有難うございました。正直、私が・・・???なんで?  という想いです。

何時も見守って頂き、有り難うございます。まだまだ頑張ります。

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