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2014年12月

【システムのスタッフは、今】 予定通り、31日午前中、ご家族と看護師2名が付き添い退院。先生の説明とご家族の受け止めとのズレを感じます。

予定通り、退院して来られました。落ち着いていますのでこれから食事になります。11時頃になりますが娘さんと話していただいたほうが良いかと思っていますが、代表のご都合はよろしいでしょうか。

電話ありがとうございました。
 
娘さんが代表と話された後に「ここは家だから、もう病院に帰らなくても良いのよ」とご本人に仰ると涙ぐんでいらっしゃいました。ボータブルトイレでお小水も済ませ、代表が仰ったようにリハパンに替えて頂くこともできました。食事が進まない事が難しいかなと思いますが、いまの所腹痛もありませんのでこんな日が続いてくれる事を祈りたい気持ちです。説明とは異なり、胃癌の肺転移の影が数個あると指示書には書かれていました。

今回のやり取りをしていて、先生の説明とご家族の受け止めとのズレを感じます。家族は大変ですね、本当に。

 穏やかなだけに、明日の24時間は外せそうです。

【システムのスタッフは、今】年末年始の対応に追われながらも、常勤・非常勤が一丸となって支える在宅看護研究センター

31日から1月4日の対応が可能な事をお伝えしました。夕方に先生と会われた結果を電話頂く事になりました。グレースさんにも改めて連絡を入れる旨、電話しています。常勤・非常勤の5人から直ぐ返信があり、本当に皆に感謝です。一人でも多くの方のご希望を叶えられるよう頑張ります。

【システムのスタッフは、今】 『一年の計は元旦にあり』 先日の勉強会で出ていた事、今まで温めていたものを是非形に! 『寄り添う看護』・・・凄く難しいその方の思い、周囲との関係等様々な要素を考えなければ・・・

皆々様

今年も残りわずかです。あっ、という間の一年でした。

先日の勉強会で出ていた事、今まで温めていたものを是非形に表して行きましょう。

『一年の計は元旦にあり』・・・頑張って行きましょう。 スケジュール、各自ご確認の程、宜しくお願い致します。29日は初回訪問になります。状況によっては、年末年始に訪問が入ります。

先日、以前訪問に伺っていた方、電話の向こうで泣きながら堰を切ったように話し始められました。

「自分は母の介護ができる期間だけの命を助けてもらい為に手術をする事に決めた。その間の母をどの様にすれば良いのか?色々考え最善と思われる事を考え、この施設ならと思い母を預けた。にもかかわらず、家にいた時には無かったじょく創からの高熱にうなされ、まともに会話もできない日もあった。施設側からは何の状況報告も無く、ある日突然亡くなった。

亡くなる前日、珍しくまともに会話ができ、私自身???少し違和感を感じた。帰り際、母が『今度生まれて来る時には○○ちゃんの子供になりたい。』と言った。そのままその日の晩に亡くなった。夫が亡くなった時にも『後は自分の幸せを考えてね』と言われたが、大切な人・この人の為に何ができるのだろうか・・と考え介護してきたのに、どうして?・・・私が何をしたというのか?全く分からなくなった。

ずーっと寄り添ってきた家族だからこそ、辛い思いをさせたくなかったのに・・・・。

最後は高熱にうなされ、苦しかったのだと思うと傍にいてあげられなかった事が悔しい。でもだからと言って、人を怨む事はしません。それは父・母が一番嫌っていたから。この思いを乗り越えるまでには大変だと思います。でも自分は乗り越えようと思います。」と。

「時々ベランダに洗濯物が干して有ると、あっ元気でいるんだな。」と思うのですよ。

と伝えると、「そうやって見守ってくれる人がいるんだ。とわかっただけでも凄く嬉しい。何しろ一人ぼっちだから・・・。」

最後には『大変な仕事だけれども頑張って』と声をかけて頂きました。

 

『寄り添う看護』・・・凄く難しいその方の思い、周囲との関係等様々な要素を考えなければなりません。看護師は柔軟に考え、自分を無にして考えて行かなければならないのでは、と再度考えさせられました。(O)

【システムのスタッフは、今】 今週末は勉強会&忘年会。若さが炸裂か、それとも??? 賑やかでしょうね。

皆様
連絡が遅くなり、大変申し訳ありません。今週末の勉強会&忘年会についての連絡です。
勉強会
テーマ 「主体的医療の実現のために果たすべき看護の役割を考える~在宅看護研究センターの歴史     を踏まえ原点に立ち返り、療養者・家族に寄り添う看護の提供を目指す~」 
 今年度目標の振り返りをしながら今後の方向性と看護を語ろう
場所  百人町ステーション
時間  14:00~17:00
忘年会
場所 交渉中(お楽しみに♡)
時間 17:30~19:30
今回は、忘年会もあるため勉強会開催時間を午後といたしました。変更があるため、皆様注意してご参加ください。語る内容については、皆さんそれぞれ考えてご参加くださいね。
何か質問等ある方は川口までご連絡ください。
それでは宜しくお願い致します。

コラム「医師として、武士として」  Vol.53看とり士:その4  安藤 武士 Andou takeshi

Vol.53 2014.12.14 看取り士:その4

話がそれた。本題に戻る。「看取り士」の全国大会に参加した事である。医師の基調講演があって、5人のパネリストが意見の交換を行った。印象に残ったことは、在宅医療でご活躍中と紹介された医師の基調講演である。以下の講演内容は正確さには欠けるが、講師が言わんとすることに間違いないと思う。

講師は、過年、台湾の医療現状を見に行かれたとき、或る医育機関で「死」から教育する現場を見る機会があったという。まず、棺桶に入ることから始まる。講師の医師は、帰国してから自分自身で棺桶に入り、蓋を釘で打たれるという経験を披露した。「死の恐怖」を味わったという。医育者教育を「死」から始めると、おそらく「医師」の質も変わるであろう。シンポジウムのディスカッションの内容はあまり記憶にない。

「看取り学講座:初級」は、昼を挟んで4時間余であった。参加者は30~40人ほど、保健師、看護師、介護士、主婦に交じって男性は2人。一人は葬儀社社員。もう一人は、小生(医師)であった。講義内容は「看取り」業務のマニュアルではなく、崇高な内容のものであった。若干、宗教の世界に入ったような気がしたのは小生だけではないと思う。最後に参加者が、こもごも発言させられた。小生には「死生観を述べよ」というものであった。「のたれ死にする」ことになっているのでと、多くを語らなかった。

真夏の2日間、涼しいビルのなかで貴重な勉強をした。(完)。

Vol.50 2014.12.2看取り士:その1 ⇒ こちら

コラム「医師として、武士として」  Vol.52看とり士:その3  安藤 武士 Andou takeshi

Vol.52 2014.12.10看取り士:その3           

日本では、「病院死」は現在、約80%を超え、「在宅死」は10~15%と言われている。「在宅死」は世界的にみると、スウェーデン51%、オランダ31%、フランス24.2%となっている。国は「在宅」で「お迎え」を待つ施策をすすめているが、公的負担を減らすためである。

生まれてから亡くなるまでの健康を「健康ワールド」というと、現在、「健康ワールド」に費やされる費用は年、約44兆円(医療費・介護費)と言われている。毎年、1兆円づつ増えている。「健康ワールド」に限定すれば喜ばしいことであるが、日本には、他の世界(ワールド)もあるので、破たんしている財政を何とかしなくてはならないという理由で、国は「終末」を「在宅」で迎える施策を推進している。

2025年には約47万人の方の死に場がないと言われており、必然的に「終末期」を「在宅」で迎える人が増える。現在までは、日本の「健康ワールド」は医療機関:病院を中心に回っていたが、健康管理施設、在宅医療、在宅看護、在宅介護、介護施設、医療機関と役割分担は複雑であるが明確になる。全ての機関が期待道通りに機能すれば、「健康ワールド」は破綻しないと思われる。是非は別にし、相対的に医療機関:病院の役割は低下することになる(次号に続く)。

Vol.50 2014.12.2看取り士:その1 ⇒ こちら

コラム「医師として、武士として」  Vol.51看とり士:その2  安藤 武士 Andou takeshi

Vol.51 2014.12.6看取り士:その2

前号コラムで「看取り」という言葉・行為が公的になり経済性を持つ業務になってきた事を記した。

今年の8月、小生宅近くの区民ホールで「第一回 日本の看取りを考える全国大会 =自宅幸せ死を目指して=」が開催された。主催は「全国大会」の実行委員会、共催は「一般社団法人日本看取り士会」、協賛は各種団体、後援は東京都、新宿区、日本医師会、日本介護支援協会、日本尊厳死協会、毎日新聞となっている。応援団はにぎやかである。

このコラムを見ている方にも大会に参加していた方がおられたかも知れないが、初物好きの小生も、約3時間の大会に参加したばかりか、授業料を支払い「看取り学講座」にも参加した。

後援の新聞社の記事を借りると、「看取り士」は、余命告知を受けた人が、自宅で家族や親族に見守られながら尊厳ある最期を迎えられるよう、本人、家族、医師らと相談して24時間態勢で寄り添うプログラムを編成し「看取り」を行うことを生業とする人と説明さている。公的資格ではない。医師の死亡宣告で業務終了となる。宣告された後は「送り人」が引き継ぐ(次号に続く)。

Vol.50 2014.12.2看取り士:その1 ⇒ こちら

コラム「医師として、武士として」  Vol.50看とり士:その1  安藤 武士 Andou takeshi

1941年、新潟県生まれ。1967年、新潟大学医学部卒業後、医師登録と同時に外科研修を開始。72年、呼吸器・心臓血管外科を専攻後、80年より、心臓血管外科部長として日本赤十字社医療センターに勤務。2001年より職域診療所所長、2010年より佐野市民病院健康管理センター所長として活躍。労働衛生コンサルタント・スポーツドクター(日体協)・健康スポーツドクター(日医)・認定産業医(日医)の資格を持ち、これらの5つの顔を絶妙な味で使いわける医学博士である。身体の大きさと、豪快な笑い・笑顔には、その人柄と存在感をより強くアピールする何ものかが潜んでいる。やはり'武士'にして"武士"ここにあり。

>>>>バックナンバー(Vol32以降) 

>>>>バックナンバー(Vol31まで) 

 

Vol.50 2014.12.2看取り士:その1

「看取り」の意味が変遷している。大辞林(199年版)によれば、「病んでいる人を観ること、看護。」、広辞苑(1995年版)では、「看病」と定義している。

しかし、現在は「看取り」と言えば、小生はうまく表現できないが、コラムをご覧になっている方が思う「看取り」と同じと思い話を進める。「看取り」という言葉は極めて特別な響きをもっている。いつからかはわからないが、限定的に「死に至る人を見守る」という意味で用いられるようになってきた。「最期を看病する」という表現が、「看取る」となったとの説もあるが、50年前からその意味を持っている言葉であると言う人もいる。

報道によれば、「介護報酬改定に向けて厚生労働省は、在宅介護サービスの具体的な見直し案を公表したとの報道がなされたが、居宅介護報酬に『みとり介護加算』を新設される」ようである。「看取り」という言葉が既に公的にも用いられているとは思わなかった。看取り介護加算、看取りマニュアル、看取り同意書、看取り計画書、看取り介護指針と、公的な言葉の定義、規則、経済が絡むと本来の「看取り」の意味する精神性が薄くなってくる。在宅医療・看護には必修の要件となっている行為のはずであるが、「看取り」は看護・介護業務の一部となってくるのではないかと心配している。すでに“業務”となっているようであるが(次号に続く)。

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