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コラム「医師として、武士として」  Vol.55宗教と死生観:その1  安藤 武士 Andou takeshi

1941年、新潟県生まれ。1967年、新潟大学医学部卒業後、医師登録と同時に外科研修を開始。72年、呼吸器・心臓血管外科を専攻後、80年より、心臓血管外科部長として日本赤十字社医療センターに勤務。87年より職域病院部長、2001年より職域診療所所長、2010年より佐野市民病院健康管理センター所長、そして現在は、医療法人社団東華会・介護老人保健施設たかつ施設長として活躍。労働衛生コンサルタント・スポーツドクター(日体協)・健康スポーツドクター(日医)・認定産業医(日医)の資格を持ち、これらの5つの顔を絶妙な味で使いわける医学博士である。身体の大きさと、豪快な笑い・笑顔には、その人柄と存在感をより強くアピールする何ものかが潜んでいる。やはり'武士'にして"武士"ここにあり。

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Vol.55 2015.4.3宗教と死生観:その1

「死生観」について何時かは触れてみようと思っていた。過日、「看取り士」の勉強会に参加し、講師に「死生観は?」と尋ねられて以来、“もやもや”したものが心に住み着いていた。  

 

「死生観」は人それぞれと思うが、雑駁に言えば、人を宗教、民族、風土、家族で「括る」と、「死生観」もそれらで「括られる」ことは皆様もご理解していただけると思う。

 

まず、「死生観」とはどのように定義されているのか調べた。小生は、生物学的に「生きている人」が、生物学的に「死後」の世界をどのように観ているかを「死生観」と考えていた。死んだら何処へいくの?どうなるの?ということだけと思っていた。

 

しかし、「生きている世界」から「死後の世界」を観るというだけではなく、「生る」とは、「死ぬ」とはどういう事なのかを思索し、また、それに基づき、自身の「生き方」を考えるという意味をも含んでいることが分かった。まず小生自身が勉強した主な宗教の歴史・宗旨を記すこととする(続く)。

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