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コラム「医師として、武士として」  Vol.60宗教と死生観:その6  安藤 武士 Andou takeshi    

Vol.60 2015.5.9宗教と死生観:その6

 ゴータマ・シッダール(釈迦牟尼)が「正しい悟り」を会得し、インド宗教の「仏陀」の頂点にたった。そのため、「仏陀」と云えば「釈迦牟尼尊」を指すようになり、「仏陀の教え」を「仏教」と称するようになった。

「仏教」の教えの中核は「悟り」である。「悟り」とはなんであろうか。種々の資料を要約すると、「物事に対する執着を捨て、慈悲を与え苦しみから解脱する。」ことと理解してよい。

生あるものは全て滅し、事象は流転する。生老病死の苦は一回限りのものではなく、そこから「脱しない」限り永遠に繰り変される(輪廻転生)。価値観は相対的に移り変わる。煩悩を捨てることはできない。ひとつの教えに固執するがゆえに他者との間に対立や争いが生ずる。ひとつの教えに固執してはいけない。ある人にとって役立つ教えは、ある人にとっては役立たない。教えは多様である。「執着」しないがゆえに一切のとらわれから離れ、心の安寧が得られる。簡明に言えば、死後、どうなるであろうと考えに執着しないことが「解脱」「涅槃」とされている。「自覚宗教」である。(初期)仏教は、大掴みであるが「解脱」という言葉にその教えは集約される。

仏陀が入滅して約500年を経た紀元前後の仏教界では、自分の解脱より他者の救済を優先するという「他利行」の教えが広まる。出家者でない俗世の凡夫でもこの「他利行」を続けていけば、誰でも未来の世において「仏陀」になれるという考えが浸透してきた。「成仏」すると表現されている。日本では、「慈悲」と「悟り」が今日まで続く大乗仏教の教えである(続く)。

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