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コラム「医師として、武士として」  Vol.61宗教と死生観:その7  安藤 武士 Andou takeshi

Vol.61 2015.5.16宗教と「死生観」:その7

神道である。一番身近な「神」で信じている・いないという宗教を超え我々の生活・身体に沁みこんでおり、簡潔に記すことが極めて難しい。そのような訳で、手元にある資料の丸写しとなった。神道は、一神教と違い今まで述べてきた「唯一神」、「預言者」、「戒律」などはない。

日本人は縄文時代より、自然現象を敬い、自然に「八百万の神」を見出し暮らしてきた。木の実を採取し、狩猟を行ない、川、海で漁猟をしていたので収穫の良し悪しは全て自然に支配さており、畢竟、縄文人以来、自然を操作するものを「神」とした。つまり、我々の常識的な判断を逸脱する存在するあらゆるものを「神」とみなした。自然を崇拝する「多信教」である。

「自然崇拝」を日本古代の信仰の横軸とすれば、縦軸は「祖先崇拝」である。「祖先崇拝」は「人間信仰」である。人は死ぬと「死霊」になり、さらに時がたつと「祖霊」になる。「神道」では、祖先の魂が現世と他界とを行き来することにより子孫を守るとされている。祖先を「祖先神」とし仰ぐ。一神教のように教祖、創始者はおらず、また、明確な聖典もない。「古事記」や「日本書紀」などを「神典」と称される古典書を規範とする。肉体より、「魂」を重んじる。 

「自然・祖先」と「神」とは一体的に認識され、それを結ぶ具体的作法が「祭紀」である。祭紀を行う場所が「神社」であり聖域とされた。伊勢神宮には、天皇家の祖先神、「天照大神」が祭られている。春日神宮は、中臣(藤原)氏の「祖先神」を祭っている。

「神道」は地縁、血縁などで結ばれた共同体を守ることを目的に信仰されてきた。地域を守り、現世の人間に恩恵を与える「守護神」である一方、病や死を招きよせる「祟る」性格をも待っている。

教義を一口で言えないが、「祭紀」を行い「自然・祖先」を敬えば、部族や村といった共同体を「守護」し、怠れば「祟り」を引き起こすと言われている(続く)。

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