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コラム「医師として、武士として」  Vol.62宗教と死生観:その8  安藤 武士 Andou takeshi

Vol.62 2015.5.23宗教と「死生観」:その8 

「死生観」である。ユダヤ教は「契約」の宗教である。「契約」を順守し絶対服従していれば、神が「豊かな地を授けその民族に繁栄をもたらす」という教えでユヤダ人に「約束の地、パレスチナ地方」を与えた。その「死生観」は「死後の世界」はなく、亡くなったあと新たな生活が始まるという考えはない。ユダヤ教では「人」は神により土の“ちり”から作られたのもとされており、亡くなるということは人が本来の姿である“ちり”にもどるとされている。死は永遠の眠りのためのものとなっている。従って、神、ヤハエイとの契約(教え)に従って、現世を如何に過ごすかが最も大切であると考えている。ヤハウエが復活すれば、自身も蘇るとされており、ユダヤ教のエレサレム神殿の近くに葬られることを望むという。

キリスト教の教えは、「神の愛」を信じるだけで「罪と悪から救う」と言われている。「戒律」もなく「対価も求めず」、ただ「神」を信じるだけで「罪」から救われる「愛」の宗教とされている。

その「死生観」は、人の死は墓場のなかで永久的に過ごすのでなく、神の子である「イエス・キリストの復活」とき、神を信ずるものは死んだときの人格で再びこの世に戻ってくることになる。故に死者を土葬し約束の日まで保存しておかれる。神を信じたものは審判を受け、天国に迎えられ永遠の命を持つものと、地獄に行くものに分かれる。

イスラーム教は、死後にアッラーの元に行き「唯一神:アッラー」の裁きを受け、教えを貫いたものだけが永遠の生を得、天国に行ける。

日本の仏教では、「霊魂」は十万億土(極楽浄土)に行くとされているが、生前、善い行いをしたものは死後、極楽の世界(天国)、悪い行いをしたものは地獄に落ちる。死後の世界に執着しないのが大乗仏教の教えであるが、日本に渡来してから、お釈迦様(仏陀)の教えは変容している。

神道は、「自然・祖先」を崇拝すれば、共同体を守り、怠れば「祟り」をもたらすと言われている。氏族の始祖を氏神とし崇敬し、祖先を自分たちの「守り神」とするので、自身も死後は家族や親族を見守る霊となって祖先神の仲間入りをすることを願っている。「魂」は、祖先から自分へ、自分から子孫へと永遠につながることを念じている。仏教のように「十万億土」に行くのではなく、わが家、わが郷土に留まって、「祖神」とともに子孫の繁栄を見守り、子孫から祭りを受けることを期待している(続く)。

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