コラム「医師として、武士として」 Vol.63宗教と死生観:その9 安藤 武士 Andou takeshi
Vol.63
2015.5.28宗教と「死生観」:その9
「宗教と死生観」のコラムの完成にてこずった。資料を、糊と鋏で纏めてみたが要約すると、
ユダヤ教の「死生観」に、日本人が言う「あの世」はない。現世しかない。ユダヤ教から派生したキリスト教は、「神」のもとに行き、イエス・キリストが復活したとき信者も復活すると考えている。従って、遺体を埋葬し復活の日を待つ。
イスラーム教は、「神」のみもとに行き永遠の生を得、天国に行くと信じている。遺体を埋葬し「神」の元、天国に行く。
神道の世界では、肉体より「霊魂」が「祖先神」の仲間入りをすると考えている。(大乗)仏教では、「霊魂」が十万億土(極楽浄土)に行くが、生前の善行・悪行により行き先が異なるとされている。
日本人の宗教観、死生観である。縄文期には、霊魂の世界、神道のみであったが、6世紀中葉、仏教が朝鮮半島より入ると神道と仏教との軋轢が始まる。10世紀、仏教は日本の神と異なる性質を持つと理解されるに従い、神道の神を迷える衆生の一種と位置付け、神道の神々も人間と同じように苦しみから逃れることを願い仏陀の救済を求め解脱を欲していると認識されるようになった。「神宮寺」が建立されるようになる。この「神仏習合」の考えは、明治時代まで続き、明治維新になり「廃仏毀釈」の風潮が強まり、明確にではないが神道と仏教は分離するようになり今日に至っている。
日本人の「死生観」は複雑であるが、大掴みに言うと「ご先祖様に申し訳ない。」、「成仏できない。」という表現になる。「ご先祖様」は神道の「祖先神」であり、「成仏」は仏教での「仏陀」である(続く)。
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