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コラム「医師として、武士として」  Vol.64宗教と死生観:その10  安藤 武士 Andou takeshi

Vol.64 2015.5.30宗教と「死生観」:その10 

  日本人は「宗教」を意識していない。尋ねれば「無宗教」でると考えている人が多い。特定な宗教を信じているという自覚がない。神道、仏教とのかかわりがあるためどちらの宗教を選ぶかが難しく「無宗教」ですと答えるようである。世界を見渡すと、キリスト教が多い欧米では生まれればそのままキリスト教になる。イスラーム教も同様である。

宗教色の薄い日本人では、避けることのできない生物学的な「死」を恐れても、自身のその後を考えている人は少ないのでないかと思っている。むしろ、残される家族、親族、友人を思う人が多いのではないか。 「死生観」はと尋ねられ、すぐに返答できる日本人は多くないと思っている。雑駁に言えば、生まれ住む処で養われる。家庭がその最小単位である。自身の属する民族、宗教、環境、風土、生活習慣が意識しなくとも「死生観」を醸成すると思っている。

小生の事である。生物学的な「死」は必ず訪れることは承知している。しかし、「霊魂」の存在を考えたことはない。良い遺伝子が残ってくれることのみを願っている。

 これでお終いである。お付き合い頂いた皆様に感謝する。種々の参考資料を利用させていただいたが、いずれも無断使用である。コラムの主宰者に免じお許しを頂きたい。(完) 

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