コラム「医師として、武士として」 Vol.69しらうお:その3 安藤 武士 Andou takeshi
Vol.69 2015.6.18しらうお:その3
敬愛していた故・司馬遼太郎氏の書「心に素朴を」というエッセイがある1)。一部を、拝借する。
たいていの人は、他人の常ならぬ ― たとえば人が道に行き倒れになっているような ― 不幸を見たとき、「可哀そうじゃないか」という思いが自然におこり、抱きついて生きからせたいというような衝動 ― 「惻隠の情」 ― をもつ。「惻隠の情」は、孟子の性善説の教えである。
複雑な機能社会を送っているうちに、仕方がない、それでは生きていけない。社会通念に従って生きていけば平穏に暮らせることが身に付く。誰しもがもっている「素朴な心」が薄くなる。大人になるのである。
潜在的に持っている機能を越えた「素朴な心」を、つねに用意していなければ薄いガラス製のようなこの文明はまずいことになるのではないかという。人の難事をみれば、前後の見さかいなしにとびこむ、そうゆう「惻隠の情」を専門的に機能化された職業が、警察官、消防官、医師、自衛官であると言っていいと司馬氏はいう。看護師、介護士も同様である。
先日、どこかの小学校教師が邪魔だからといって、学童の目の前で子猫5匹を生き埋めにしたというニュースを耳にした。涙がながれる思いである。邪魔になれば、命を奪ってもよいということを学童に教えた。我々、大人は「可哀じゃないか」という「素朴な心」を常に持っていなければならない。教師こそ常に「素朴な心」を持っていなければならないはずである。
夕食の知らせが入った。「酒肴はなにかな?」と思いつつ食卓についた。小生は、孟子にはなれない。(完)
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