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2017年5月

【システムのスタッフは、今…同志の連携で本来のシステムの看護が再び始まった】急遽の希望に応えて調整、東京から鹿児島へ

道中、息子さん、ご本人と地元の話で盛り上がりました。 

機内では痛みが出てしまいオキノームをのみお休みになられその間に到着できました。鹿児島の病院に着きご本人笑顔で顔色の悪さも改善してました。

機内のプレミアムシートも親切な方が席を交換してくださり隣同志に座れ、ほんと助かりました。 

あと、送り出した病院の相談室では同志の板垣さんと久しぶりに会い、変わらずの仕切りぶりに笑いそうになりました。

彼女らしいとつくづく感じた次第です。(おに)

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コラム「医師として、武士として」 Vol.84 ねこの挨拶     安藤 武士 Andou takeshi

Vol.84 2017.5.5 ねこの挨拶

毎週、日曜日、夕飯を楽しみながらTVの“さざえさん”を見ている。1969年10月5日から続いているとのことで、日本一の長寿番組であろう。

いつ放映されたかわからないが、磯野家の庭に毎日遊びに来る野良ネコが、姿勢正しく両前脚をそろえ、きちっとした佇で、サザエさんに、“にゃーん”と一声なきしどこかに去った。それ以後、野良は姿を見せなくなった。数日後、さざえさんが、“どこにいったのかしら、”お別かれの挨拶“にきたのかしら”というという場面があった。

小生宅のことである。現在の住まいに居を構え四半世紀になる。小生宅前の6m幅の道に、10数匹の野良ネコがうろうろしていた。“野良ネコ通り”とも言われていた。

家人が世話をし始めた。朝夕、餌をやり、野良が餌を食べていう間、40メートルほどの間のトイレの始末、ご近所さんの玄関先を掃除するのが日課になった。数年も続くと、当初、冷やかだったご近所さんの家人に対する視線も変わった。ご近所さんと、挨拶だけでなく立話をするようになった。

野良は大抵、母親とその子と思われる一組で餌を食べに来る。当初は、スーパーで買ったお刺身のトレイなどを利用していたが、風で飛ばされるので瀬戸物になった。許されるかどうかは別にして、家人に手なずいたところで避妊手術を受けさせていた。自治体から補助が出るが、かなりの負担になったらしい。すべての野良に名をつけていた。マメ、クロ、ゾウキン、ゴン、タナ、チビ・・・、などである。ネコ仲間のご近所さんと、「クロが弱ってきた、食事もしないのでもうすぐお迎えが来るのではないか」など立ち話をすることが多くなった。数年前からは、玄関先に“ノラハウス”を置き弱ったノラを住まわせた。

2年前、クロがなくなりチビだけになった。冬になるとホカロンを1、2枚入れ、食事もルームサービスするようになった。エサは缶詰であったり、カリカリ(固形食品)であったり、贅沢させていた。チビは日中は、日向ぼっこ、夕は、エサを食べ終わると“ハウス”にもぐり込んだ。チビは冷たい水はのまず白湯だけを飲んだ。家人は、時間が来ると水差しとお湯の入ったポット、缶詰め、カリカリの食事セットを持って世話をした。

 今年の冬、チビは“ハウス“から出てくる回数も減り、食欲もなくなりそろそろお迎えが来るような状態になった。好天の時は、お向いさんの駐車場で日中を過ごし夕刻になる”ハウス“に戻る生活になった。白湯以外、なにも口にしない状態が3週間ほど続いた。“ハウス”でお漏らしをするようになった。紙おむつを敷き快適な環境にした。

 ある雨の降る早朝、玄関先で通行人の声がした。家人が出てみると、通行人の傘の下に、精一杯の力で姿勢をただし痩せこけた雨に濡れたチビがいた。家人は、すぐに食事セットを取りに行こうとしたら、チビは、“ニャー”と一鳴きし“ハウス”に戻った。通行人に礼を言った。

 日中、“ハウス”を覗くと息をしているチビがうずくまっていた。翌朝、チビは息を引き取った。

 小生も、“ハウス”を覗き死亡を確認した。玄関先の花を摘んでハウスに入れた。地元の保健所に連絡し遺体を引きとってもらった。ご近所さんも、亡骸の入った段ボールに花を入れ冥福を祈ってお別れをした。

 家人は、一日も欠かさず、朝夕、野良の世話を四半世紀続けた。その間、泊りがけ旅行は一度も出来なかった。小生との泊りがけの旅行は、無論、無かった。

家人は、一日、数時間の野良の世話がなくなったので、ホットしている。「でも、寂しいは。」と言っている。玄関先に、チビの写真付きの「訃報」の知らせと、お世話になった礼を記したチラシが掲示されている。享年18歳であった(ヒトでは88歳)。

 間もなく、小生の場合も世話がなくなってホットすることであろう。「でも、寂しいは。」という言葉が出てくるかどうかは、小生は確認できない。(完)

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コラム「医師として、武士として」 Vol.83 “かわいそう”  安藤 武士 Andou takeshi

Vol.83 2017.5.3  “かわいそう”

講演会で、講演者に謝辞を述べる役割が小生に与えられた。慣例にしたがい陳腐な言葉で礼を述べたついでに、「どうしてそんなに“かわいそう”という気持ちがお強いのですか。」と尋ねた。講師は、“かわいそう”という言葉は上から目線でそのような言葉は嫌いです。と、ピシャリと言われたことがある。

確かに、上から目線の言葉のニュアンスがあると思っているが、それに代わる言葉がみつかからない。IT検索をすると、気の毒ふびん哀れ痛痛しい痛ましい、という言葉が同義語として記載されている。すべての文言は、やはり上から目線の感がある。「かわいそう:可哀相」という言葉は、近ごろは年上にも用いるーと、あるから、小生は“かわいそう”という言葉を上から目線でいっているのではないと気にしないで用いている。言葉遊びは終え先に進む。

過年の11月初旬の朝ことである。仕事で日本海側にある交通要所の都市に行った。特急電車から降りると、みぞれ交じりの小雪が舞っており寒さが身に染みる天候であった。

駅前の広場にベンチが置いてあった。寒さの中、そのベンチに靴も履かずぶるぶる震えているそう品も悪くない50歳ぐらいのご婦人が座っていた。スカート、ブラウスは薄汚くパンストもつけていなかった。ベンチに大きなバッグと衣類が詰め込まれたポリのごみ袋があった。一見して「新人ホームレス」であることがわかった。どうして靴を履いていないのだろう、これからどうするんだろう、“かわいそう“にと思った。

彼女とかなりの距離があったが、小生と眼があった。すると彼女は、小生に向かって裸足で走ってきた。小生が立ち止まっていると、彼女は「下着の一枚も買いたいので1000円ほど恵んでください。」とねだった。小生はいいですよ。寒くて大変ですね、と言い財布から1000円の積りで札をだした。女性はお札を手にして、すぐ、こんなにいただいていいんですか、有難うとうございます。有難うございますと何度も言って腰を折り、両手で札をささげあげ礼をした。わたした札がもろに目に入った。彼女が手にしていた札は5000円札であった。

財布からお札を出したときは、遠方をみる眼鏡を使用していたので渡したお札の額を確認せず渡した。彼女が礼を言わなければ、5000円札であったことに気が付かなかった。釣りをくれとも言えず、“おからだに気を付けて”と、紳士然としてそこを離れた。この寒空にどんな事情があってホームレスになったのであろうと思うことがしばらく頭から離れなかった。

帰り電車は、急行になった。一杯やりながら件のご婦人のことを思いながら帰った。数年たった今も、その後どうしているのだろう、“かわいそうに”と昔を思い出している。(完)

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コラム「医師として、武士として」 Vol.82 「メタボ」から「フレイル」へ。(2)      安藤 武士 Andou takeshi

Vol.82 2017.5.1 「メタボ」から「フレイル」へ。(2)

2015年の日本人の平均寿命は男性が80.75歳、女性は86.99歳と報告されている。1990年は、75.92歳、81.90歳であったので、四半世紀で平均寿命は5歳延びたのである。2016年の75歳以上の後期高齢者は、1、637万人、100歳以上のお年寄りは、65万692人と報告されているが、厚生労働省の試算では、2065年の65歳以上の高齢者は38.4%と達するとされている。近いうちに80歳、90歳台の超高齢者の健康確保・身体機能の向上対策が必須になるのではないか。今日の死亡原因の第2位、4位の動脈硬化性疾患は、生活習慣病対策が徹底されるにつれさらに罹患率が減少、寝たきり高齢者も減り、車椅子のいらない「高齢者」の健康向上対策が必要になる。

人は、おしなべて60歳ごろから程度の差があるものの、猫背、“べた足”歩行、膝も曲がり歩幅も狭くなる。立ち姿、歩く姿も“老人”と呼ばれるようになる。よろけたり、つまずいたり、こけたりすることが多くなる。身体機能の低下は、“お年頃の人”は頷くはずである。

折角、生活習慣病に患わずに済んだものも、人生の終末期に快適な生活が送れない状態になる。身体機能だけでなく認知機能、精神機能、心理的にも“老い“が来る。「年」をとった人を見て、ご自分でも身体機能に”老い“が来るのは当たり前と思っているのが現状である。TVでは、健康寿命を伸ばすため色々な健康食品が宣伝されている。すべて中年以上を対象にしている。

このような状態、高齢化に伴う身体運動・認知・精神・心理的な機能低下を「虚弱:Frailty」ということが、欧米では20年ほど前から提唱されている。本邦では、2014年5月、日本老年医学会は、その病態を「フレイル」と命名しその予防に取り組むことを呼びかけている。フレイルは、筋量低下・筋肉機能に着目した「サルコぺニア」、移動能力の低下に主眼とした「ロコモティブ(運動性)症候群」などを包括した病態を指している。身体運動機能・認知・精神・心理的問題の低下、虚弱:フレイルという。オーラル(口腔)フレイルも提唱されている。

「フレイル」の診断基準は、一般的にFriedの提唱した基準が採用されているが、詳細は略す。筋力低下、体重減少など身体的な側面だけではなく、精神的な活力も基準に入っている。このフレイル状態に対して適切に対処できれば要介護状態を低減できるようになる。詳しく診断基準を解説されているが、その基準を知る必要もない。高齢者、ご本人が「老い」を痛切に感じているとはずである。

小生のことである。中学から中年まで激しい運動をしてたので、強靭な身体機能を誇っていた。しかし、小生にも“老い”は確実に忍び寄ってきた。

50歳の半ば動態視力が低下、心臓外科医として第1線から身を引いた。追いかけるように社会保険庁より年金支給開始のための調査、定年になり病院を退職し、企業の診療所に勤務。歓迎会で「この度、定年で退職され縁あって・・・。」と紹介されたときは、「定年」という言葉にがっくりした。更にご存じの「ねんきん」騒ぎの渦中、「ねんきん特別便」がきた。肉体的にも精神的にも、“老人”にさせられた。

過日、さるパーティーでのスナップ写真をみた。小生らしい老人が写っていた。小生であった。愕然とした。まさに、老人の姿であった。以後、地下鉄の窓に映る姿を見てばかりいるようになった。

意を決して近くのトレーニングジムの門を叩いた。トレナーに、何を目的にしているのか尋ねられた。「立ち姿、歩き姿」を若々しくして欲しい旨伝えた。早速、トレーニングが始まった。週、1回、30分余の運動である。開始してから1年半経つが、確実に身体機能は向上している。1年余を経たころ、体脂肪率、筋組織量率の変化の検査を受けた。体脂肪率は4%減、筋組織量率は0.3%増とのことであった。筋組織量の微増で効果があったと判定された。姿勢、歩き姿も若々しくなり、フレイル状態の進行を食い止めることに成功したと思っている。トレナーに、いつまでやればいのかと愚問をぶつけた。「やめると、もとに戻ります。続けることです。」という返事が返ってきた。現在、ジム通いは、生活の一部になっている。

「ジム」では、小生が最高年齢とのことである、月謝が下がった。「客寄せパンダ」にしたいのではないかと勝手に思っている。(完)

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