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2018年2月

コラム「医師として、武士として」  Vol.94 「長時間労働」    安藤 武士 Andou takeshi

Vol.94 2018.2.17 長時間労働

今日も「スタバ」で、開店から抹茶フラペチーノを楽しんで「コラム」を書いている。題は決まっていなかったが、最近、新聞記事の一面に「医師の長時間労働」が話題になっていることもあり、「医師と労働」、「医師と労働時間」について、過去を振り返り、現在の思うところをコラムに寄せた。

1998年、関西の大学病院の研修医が自死するという悲しい事件があった。その前の月の残業が114時間であったことが判明し過労死と判定されたことに触れたコラム(Vol.37:2009年7月31日)を、掲載していただいた事を思いだす。

 医師自身は、長時間勤務は当然のことであり、長時間「労働」をしているとは思っていなかった。自身が携わっている仕事を「労働」と思っていなかったからである。長時間、患者に尽くすことは当たりまえでそれを誇りに思い、それを心の支えにしていた。それが、研修医の不幸な事件を契機に、医師は労働者と明確に定義され、医師の労働時間も労働規準法に従わなければないとされた。それでも医師は、労働問題は社会的問題であり、医師の仕事の実質は、担当の患者さんが快癒するまで、全責任をもって尽くすことが医師の任務であり、「医療」は「労働行為」ではなく、社会的規範から外れて存在するものと思っていた医師は多いはずである。

労働時間を管理するには、労働時間を把握しなければならない。小生が出退勤表に打刻するようになったのは臨床医をやめる数年前であるが、打刻するようになってから明らかに「心」に変化が起きた。当初は、労働者として労働時間を病院が管理するためやもうえないと考え夕刻になると出退勤カードに打刻していたが、日が経つにつれ打刻をした後の患者さんに対する思い、責任が薄れ始めてきた。極端にいえば、後は当直医の責任、病院の医療体制の問題と考えるようになってきたのに気が付いた。

現在も、大学病院でも、病院でも、所謂、長時間労働をしている最中、タイムカードに打刻をし、また医療活動に戻るという事があると聞いている。法的には、打刻をした後の業務は「サービス残業」ということになる。仮に事件性を帯びたことが起こると、「サービス残業」を病院が強いたと報じられる。病院の労務管理体制が問われる。

 医師にとって、自身が労働者としての職務と同じであり、社会的ルールに従はなければならないと思っていない医師は少なからずいると思っている。現況を変えるためには、医師の交代勤務など、本邦の病院の医療体制を抜本的に変えなければならないと思っている。しかし、変えた場合、果たして医師の「心」をどのように担保するかが大きな課題になると思っている。

過年、小生がある教職員組合の会合で労働衛生の講話をする機会があった。講話が終わって、管理者である司会者が会場の教職員に「なにか質問ある先生は?」と言ったら、すぐに、それなりに責任のあると思われる先生が、「過重労働が問題になっているが、職場にタイムカードを導入することについて意見は?。」という発言があった。

小生は、「当然、労務管理には労働時間を把握する一手段として、タイムカード制度は必要と思う。」と回答した。発言者は、司会者に「そらみろ。」という雰囲気で着席した。会場の先生もがやがやし始めた。

引き続き、過重労働対策として当然であるが、学校の「先生」は「聖職」と言われているように何時も何処にいても、担当の生徒のことを考えておられると思う。タイムカードを導入し労働時間を管理することは労務管理するうえでは当然であるが、導入により聖職者である先生方の「心も時間と共に変わる。」と、医師として経験したことを話したら会場は静まり返った。

このコラムは、医師、教職者の労務管理を抑制するために記したものではないとはご理解いただけると思う。

先日も若き研修医が、自分で命を絶った。医師は技術職に入るが、交代勤務を導入するようになるのではないかと思っている。今後、更に「医療の質」も変わると思う。どのようになるかは分からないが、少なくとも小生が医師になった時の「心」とは違う医師が誕生すると思っている。

人生の終末期に入ると、「くどくど」と自身の経験を述べることは人の習いと聞いている。我慢をして、目を通していただき感謝しております。(完)

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コラム「医師として、武士として」  Vol.93 「スタパ」    安藤 武士 Andou takeshi

Vol.93 2018.2.1 スタバ         

 休日は、朝から昼まで何時も家から10分ほどのところにある「スタバ」にいる。入店するとまず,定席に荷物を置きカウンターに行く。大抵、第一号客である。

カウンターに行くと「抹茶フラペチーノ グランデ」ですね、と店員はいう。代金を払い席に戻り、パソコンをセット。その後、新聞を読み、何かを始める。今日は、特に処理しなければならない事のないので、何時もお世話になっている「スタバ」を調べることにした。

 「スタバ」はご存知のようにスターバックスの、日本での略語である。スターバックスの発祥の地は、米国、ワシントン州のシアトル市という。1971年のことである。当初は、コヒーの焙煎を生業としていたが、1985年、コヒー店とし飲み物をテイクアウトできるようにしてから、あっという間に世界に広がったとのことである。世界に、900国に約225万店以上あるという。日本では、東銀座に一号店がお披露目された。現在は、店内でインターネットもできるようにしたことも時代にあったようである。どこも盛業である。小生の周囲のお客さんもパソコンで調べ物をしている。大変便利である。スターバックスという名は、メルビル著の「白鯨」に出てくる第一航海士の名前からという。云われは分からない。このコラムをかいている合間に新聞に目を通していると、重い記事が目に入った。

「嫁」もう嫌だ 縁切った 苦しんだ30年「死後離婚」届け 「3世代同居 かえって亀裂」、という表題の記事を読み、理解できることがあったので重い問題であったが、コラムの内容を変えた。

「死後離婚」とう言葉は知らなくはなかったが、記事を読み理解できた。結婚すると女性は苗字を結婚する男性の名にすることが多い。現在、その習慣に疑問を持たない人が多いようである。その逆は、世間からみると不自然に思われる。同居するか否かは別にして、女性が結婚する相手の名になる場合、籍ばかりではなく、全生活が夫の世界に入る。夫の両親、夫、自分、子供が家族の「核」になる。「核」の世界では、夫の両親は舅、姑となる。結婚した女性は誰からも「嫁」と呼ばれるようになり、家族の一員となる。夫を除けば皆よそ者である。3世代家族をつないでいるのは、舅、姑からは「孫」と呼ばれる子供である。

夫が死んだ場合も、いやでも夫の家族の一員として残らざるを得ない場合が多い。自分が死んでも、嫁ぎ先の家の墓に入ることになる。「何々家」の墓と表記された墓に入りたくないと思っているひとは少なくないようである。

愛する夫が亡くなった場合、舅、姑が全てを取り仕切るのが一般的である。「嫁」である以上、世間では当然と思われている。それを避けるため「死後離婚」制度があるという。夫の死後、夫の家族の籍を離れる制度である。これで、亡き夫の家の一員ではなくなる。自由の身になる。

小生の耳にも最近、他人事ではあるが親族、家族、殊に「嫁」とのいがみ合いの話が耳に入る。小生宅は「核家族」である。そのような問題はないが、過年、家人が子供に「私は、散骨にして欲しい」と言ったときは、ドキッとした。

「スタバ」は安らぎを与える場所でもあるが、余計なことまで考えさせる場所でもある。(完)

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