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コラム「医師として、武士として」  Vol.97 「風月堂のゴーフル」    安藤 武士 Andou takeshi

Vol.97 2018.4.1  風月堂のゴーフル

アルベルト・シュバァイツァーという人物をご存知の方は少ないと思う。医師・哲学者・神学者・音楽学家で、アフリカでの献身的な医療活動が評価され1952年、ノーベル平和賞を授与された人物である。30歳で医学部生となったが、それまでは、哲学・神学を学び、大学の神学講師として研究・教鞭をとっていた。

38歳で医学博士号の学位をとり、1913年に医療施設に困っていたアフリカ・ガボンのランバレネに診療所を建て1955年まで医療に従事する。第一次大戦という混乱期では、医療活動は一時中止し、ヨーロッパでパイプオルガンの演奏者として名声を得る。その後、ガボンに戻り、献身的な医療奉仕活動とヨーロッパでの講演活動を展開、その献身的な奉仕活動が評価され、1952年度のノーベル平和賞を受賞する(以上はIT情報)。

小生も小学校時代に「アルベルト・シュバァイツァ―博士」の伝記を読んだが、木製の「輸液台」の挿絵が記憶にある。

その後、核反対運動にも参加するなどしつつ、ランバレネで医療活動を続け、1965年、90歳でこの世を去った。

何事も毀誉褒貶はある。現地での評判は決して良いものではないという。自らの神学思想を現地の文化より優先し、同時代の西洋の知識人たちと同様に白人優先主義者で、「人類皆兄弟」の標語を唱えながらも、白人を兄、黒人を弟として扱っていたという。植民地支配の側面が強かったようである。近代医学を行う医療機関も設立されたが、シュバァイツアー博士の奉仕の精神の医療施設に負け、閉鎖を余儀なくされたという。それが原因で、当地の医療は著しく遅れたという。

シュバァイツァー博士は、ゴーフルが大好物で、日本から訪れる人は「風月堂のゴーフル」をお土産として持って行ったと聞く。

小生の昼食は、長年、「風月堂のゴーフル」のみである。10月になると落ち着かなくなる。(完)

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