コラム「医師として、武士として」 Vol.108 「お風呂」 安藤 武士 Andou takeshi
Vol.108 2019. 2.9 お風呂
一般大衆新聞の一面に「コラム」が必ずある。朝日新聞は「天声人語」、毎日新聞は「余禄」、産経新聞は「産経抄」、読売新聞は「編集手帳」が代表的である、他の新聞にもある。
小生は、朝日新聞の「天声人語」に朝食の時に目を通す。それから一日が始まる。休日は、家の近くに新聞販売店があり「毎日」、「産経」が手に入るので両紙にも目を通す。無論、「コラム」を楽しむ為である。各紙には特徴がある。詳細は省く。
「天声人語」は、1960年ごろ、菊池鑑賞受賞の荒垣秀雄氏の「コラム」が、超有名大学の入試問題に出題されてから、高校生の必読の「コラム」となった。「天声人語」は、明治37年1月5日、大阪朝日新聞に掲載されてから今日まで続いている。歴史がある。その執筆者も当代一流の人物で、西村典天因、内藤湖南、鳥居素川、長谷川如是閑、大山郁夫、永井釈瓢斎が担当した。その記事のコピーを、過年、知人より頂いた。第1回の「コラム」は、日露戦争前であったため、きわめて好戦的な文章である。
本題にはいる。1月30日の「天声人語」で、親と子の関係を記した内容のものである。
一部を紹介する。▼「親子で話そう」をテーマに文部科学省が募った3行詩から始まっている。中学2年生の詩である。<風呂の時、僕と父は友達になる。怒られた時、上司と部下になる。ご飯のとき、僕と父は家族になる>。小学1年生の詩。<おふろだと、いっぱいはなせる はだかんぼなきのち>▼幼いときは、おもちゃを浮かべて遊ぶところ。少し大きくなると、いろいろと話ができる空間にもなる。それがお風呂。決して親からせっかんされたり・・・・・・、と続き、現在報道されている痛ましい事件について語っている。
事件は極めて悲しむべきものであるが、冒頭の文章が、小生の子供たちを入浴させている風景を思いださせた。記憶に残っているのは、家の近くに海があり、プールもあったので季節になると海で泳ぎ,遊び、プールでは競泳を学ばせた。スタートはお風呂で水に慣れさせることから始めた。
子供は顔を水につけるのを嫌がるし怖がる。それを慣れさせるとこから始めた。湯船の底におもちゃを沈めて、2人の子供たちにそれを拾い上げる競争をさせた。拾いあげるには、潜らなければならいので水に対する恐怖がなくなった。プールで本格的に泳げるようになった。お風呂に入ると、”ひねると、ジャー”、”おすとあんでる、食うとうまい”と、なぞなぞを楽しんみながら、宝さがしをさせた(回答は水道と饅頭)。このことが現在、どのよう子供の人生に影響しているか知る由もない。「天声人語」を目にし、その光景を思い出し懐かしんでいる。
無論、「コラム」に掲載されている事件はやるせない気持ちでいるが。
小生の知人に、娘さんが高校生になっても一緒にお風呂に入っているという父親がいた。娘さんたちは嫌がらない?、どおしてと質問したら、娘はいずれ結婚して家をでる。実家のことを忘れないように肌で教育しているとの返事が返ってきた。先日、久しぶりに、その知人にお会いした。お嬢さんたちはどうていると尋ねたら、”矢張りうちが良い”と二人とも帰ってきた。孫の世話で一日が終える。忙しい毎日を送っているとのことであった。
どんな家庭でも、家庭生活の初めは雑駁にいえば同じ風景である。20年、30年もたつと家族の誰もが予想だにしなかった状況になる。人生は、予想もしなかったことが起こるから、面白のである。
人生の終末期を迎え、いろいろなことを思い出している。(完)
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